補給路封鎖作戦
ムシャカマルは考えた。補給路を絶ってしまえば、新政府軍は持久戦を戦う事が出来ないのではないかと。実際には新政府軍は補給路を絶たれる事を一番恐れていた。そしてその補給路とは、江戸の地形を考えると東京湾、つまり海こそが補給路と言う事になる。ムシャカマルの考えた陸路と海路の二段構えであった。
これが成功すれば新政府軍は半月と持たないだろう。ムシャカマルは土方と榎本に連絡し直ぐ様陸路を封鎖した。海路はムシャカマル達先遣隊が抑えた。勿論抑えるとは言え、パトロールを強化すると言う程度のものであり、完璧な封鎖とは言えなかったが、それでも抑止力としては充分であった。
海での荷運びは陸路とは訳が違う。この補給路封鎖作戦と同時進行で江戸にいる新政府軍の掃討作戦も続いた。戦略で勝つしか方法のない旧幕府軍勢力にとっては、知恵比べの様なものであった。その知恵袋こそムシャカマルの頭脳であった。函館以来重要な作戦のほとんどがムシャカマルの計画である。それが旧幕府軍勢力の戦い方のスタイルになっていた。江戸奪還を果たせたならば東日本は完全に掌握したと言える。問題は新政府軍の本拠地である京都より以西の西日本をどうやって制圧するのか?と言う事であった。言わば東日本での戦いはほんの序の口であり、ホームゲームを戦っていたに過ぎない。つまり江戸奪還後の西日本での戦いは地の利の無いアウェイゲームと言う事になる。
だからこそこの江戸での戦いぶりが大切なのである。ムシャカマルは、まだ自分の実力を持て余している様に見受けられた。作戦をたてるだけで、部隊が仕事さえしてくれれば後は敵将の首をはねるのみ。それはまるでこの新政府軍との戦いでの経験値を自分ではなく、配下の部隊に与えているようであった。ムシャカマルにとってはもう経験済みの事であり部隊の強化をする事で最終的に作戦を運用しやすくなる。それはまるでムシャカマル自身を強化する事でもあった。
そこまで考えて部隊を運用しているとすれば、ムシャカマルは本物の軍師である。先の事を考えて大局を見誤らない様にしている姿は、何処かの国の政治家にも見習って欲しいものである。さて、新政府軍としてはここで一矢を報いなければ勢いこのままに西日本まで旧幕府軍勢力の進軍を許す事になる。それだけはなんとしても避けなければならなかった。徐々に徐々にではあるが、旧幕府軍勢力は江戸の新政府軍包囲網を狭めつつあったのであった。




