江戸の鬼退治
旧幕府軍勢力は破竹の勢いで快進撃を続けた。その原因は旧幕府軍勢力に力があったと言うよりは、想像以上に早い進軍により、新政府軍の装備の充実化や人員の整理が追い付かない事であった。それに加えてムシャカマルと言う得体の知れない猛者が力のあった者達(芽の出なかった者達)を、上手くコントロールし一騎当千の崩しがたい軍隊を形成した事が追い討ちをかけていた。
制圧した所にはその空席を埋めるべく、旧幕府軍勢力に復帰してきた有力者達を登用し徐々に徐々に江戸は、旧幕府勢力のものになりつつあった。新政府軍もただ指をくわえて首都を訳にはいかず、敗走していた4万人とまだ耐え忍んでいた3万人の合わせて4万人の軍勢を一挙にまとめて、一大決戦を画策していた所であった。後に(1869年2月3日)江戸の鬼退治と言われるこの旧幕府軍勢力と新政府軍の攻防の為、小競り合い以外は大きな戦闘は無くなる。まさか新政府軍が江戸防衛の為、これほどの戦力を集めていようとは、土方・榎本は思っていなかった。ムシャカマルが土方・榎本の旧幕府軍本隊に合流をしたのは1869年1月16日の事であった。
「土方はどこにいる?」
「こちらです。」
「ムシャカマルか!よくぞ戻った。してどうだ江戸は?」
「報告するまでもなく、我が旧幕府勢力の優勢だ。」
「ムシャカマル?何やら新政府軍が江戸防衛の為、一大決戦を仕掛けようとしているらしいが?」
「心配ないさ。敗残兵士の集まりなど粗大ごみに等しい。」
この時ムシャカマルは、一つだけ読み間違えていた事があった。その粗大ごみが旧幕府勢力に対して牙をむく事はないだろうと。勝てると思った時に全力を尽くすのが一流。逃すのは二流。と言われる中でここが天下分け目の一戦第2章であった。新政府軍は急ぎヘンリー・マルチニー銃や回転連射のガトリング砲やアームストロング砲を揃えていた。兵器の質や量には新政府軍に分がある。それはムシャカマル達旧幕府軍勢力は緒戦の戦いで理解していた。
だが、今になってもその状況が変わっていない事にはムシャカマルは懸念材料として捉えていた。新政府軍兵士を倒してえた兵器中心の戦いが臨界点を迎えていたのは確かだ。そこまで確実に戦いを制するだけの力もなかった為、その様な事態をまねいていたのも事実である。ムシャカマルは土方・榎本の旧幕府軍勢力本隊に武器・兵器の確保及び全軍の統制を依頼して、撹乱作戦継続の為前線に戻って行った。




