分水嶺
仙台は旧幕府勢力にとっても新政府軍にとっても分水嶺となる戦いになりそうであった。旧幕府勢力は新政府軍よりやや少ない4万である。しかし1万人の差などムシャカマルがいれば、あってない様なものである。この戦い以上に辛い戦いを函館でも盛岡でも潜り抜けて来た。とは言うものの、油断する程の余裕は勿論ない。ムシャカマルはあくまで総大将は土方と榎本であり、自分はよしんば参謀でもあるが一兵でもあると言う認識であった。
それを全兵士に伝えていたのだから、ムシャカマルは尊敬されていた。戦いは、新政府軍が新兵器を持って待ち構えていたものの、ムシャカマルの戦いは防御から始まる、と言う理念の元でひたすら敵が来るのを待ち続けた。案の定先に焦れたのは新政府軍の方であった。後は旧幕府軍はムシャカマルに言われた通りに動くだけだ。新兵器が無い以上下手に攻め手に出れば敵の思う壺である。ムシャカマルは瞬く間に敵勢力を蹴散らしていき、五日も経過する頃には大勢が判明していた。
無論、旧幕府勢力の圧勝であった。流石に3連勝と見事な圧勝劇が続けば、ムシャカマルの能力を疑う者はおろか、ムシャカ様、ムシャカ様と崇め立て奉る様になる。いかんせんムシャカマルも悪い気はしないが、あまりに自分が軍神と神格化されるのは考え物であった。ただ、そんな事を気にするまでも無くまだ仙台制圧の為に倒さなければならない敵がいた。新政府軍大将の松下康太である。勝敗は決したが、大将の首を討ち取って勝利を宣言する戦国スタイルが、日本ではまだ主流であった。
投降を呼び掛け武装解除する様にうながしたが、旧幕府勢力に投降をするくらいならと、自害する者もいた。武士のプライドが残っていたと言えば、それまでだったが結局の所その死は日本の未来にとっては何の役にも立っていなかった。素直に投降をしていれば、違う未来も待っていたかもしれない。
話は別にしてもムシャカマルは白旗を挙げていない兵士には容赦なかった。白旗を挙げていない兵士は敵勢力として認識しないと、いつ自分の命が狙われるか分からないからである。闘いの道理に沿ったまでの事なのだが、ムシャカマルは徹底していた。ムシャカマルは愛剣コルセアを振りかざし、松下康太を討ち取って、仙台を勢力下に治めた。次はいよいよ江戸である。旧幕府勢力にとってはここが天下分け目の一戦となりそうであった。




