見守る日(1)
月曜日。
登校した小松原さんは、安在さんに土産の礼を伝えた後、誰とも話さずに過ごした。
「で? 小松原さんとはどうなったの?」
彼女の後ろ姿をぼんやり眺めていたところ、裕司がこそりと話しかけてきた。
「さっきから熱心に見つめちゃってさ」
「そういうんじゃないよ」
「土産、届けに行ったんだろう?」
「うん」
「それで? 何か話した?」
「うん」
「それでそれで? その後は?」
目を輝かせ、裕司は質問を重ねた。完全にこちらの反応を楽しんでいる。僕は仏頂面を作り、「別に。ちょっと喋っただけだよ」と返した。
「本当にそれだけ?」
「あ、ごはんごちそうになった」
「マジか。家に上がったの? てことはいきなり家族公認の仲になったわけだな。やるじゃん、綾人」
「だから、そんなんじゃないってば」
「まったく、隅におけない奴だなあ」
調子のいい裕司のことだから、否定してもますますからかってくるだろう。僕は曖昧に笑い、窓の外に目をやった。
午後一時過ぎの空は、どんよりとした雲に覆われ、日暮れ間近のような暗さだった。
「雨降りそうだな」
僕につられて外を見た裕司が言った。
視界の端に、席を立つ小松原さんの姿をとらえた。通学バッグを肩にかけ、ひっそりと教室を出ていく。
雨が降れば、桐丘が襲いに来る。
桐丘と対するため、人気のない場所へ移動するつもりなのだろう。
「なあ、裕司」
「ん?」
「目の前に、明らかに助けを必要としている人がいて、だけどその人自身は助けなんかいらないと言っていたら、どうすればいい?」
「どうすればって、それは……」
僕の問いかけに、裕司は首をひねった。
「構わず助けちゃえばいいんじゃねえの?」
裕司の答えはいつだって単純明快だ。
単純なことほど難しかったりするのは、どうしてだろう。
「助けられるだけの力が自分にない場合は? 助けたい気持ちだけで動けば、むしろ相手に迷惑をかけるかもしれない」
「いやいや、助けたいって思う気持ちだけで充分だろ。迷うことないじゃん」
裕司は至極当然といった顔で言った。
「だってさあ、もしも目の前に崖から落ちそうな奴がいたとしたら、どうするよ? 手を伸ばして引き上げようとするだろ? その瞬間に、自分の手は今汗で湿っているから、相手を不快にさせてしまうかもしれないとか、うじうじ考えたりするか?」
「しない」
「だろう? そもそも相手を助けたい、親切にしたいなんて気持ちは究極のエゴなわけで、それを相手に押しつけたり、あるいは自分が押しつけられたりしながら日常が成り立ってるわけじゃん? 自分の善意がかえって相手を困らせるかもしれないなんて、心配すること自体ナンセンスなんだよ。自分が助けたいから助ける。相手の都合? そんなもん知るか。余計なこと考えて足踏みしているうち、救えるものも救えなくなるんだよ」
僕はかつて、裕司に救われた日々へと思いを馳せた。
中学生だった僕は、親の再婚をきっかけに荒れに荒れ、誰彼構わず当たり散らしていた。友人はみんな僕と距離を置くようになった。家でも学校でも、僕は孤独を噛みしめていた。
そんなとき声をかけてきたのが、これまでほとんど絡んだことのない裕司だった。
お調子者で人当たりのいい裕司は、クラスメイトから慕われていた。裕司の周りには常に人が集まっていた。そんな裕司が、あるときから僕と行動を共にするようになった。
「嫌われ者とつるんで、楽しいかよ」
「いいから僕のことなんて放っておけよ」
今振り返るとだいぶ痛々しいセリフを、僕は裕司に投げつけた。しかし裕司は腹を立てるでも、愛想を尽かすわけでもなく、ただにこにこと僕の傍にい続けた。不機嫌に黙りこむ僕に、あれこれと話題を振っては、ひとりで楽しそうに喋っていた。
裕司と過ごすうち、頑なだった僕の心は解けていった。
「早退するよ」
立ち上がり、僕は言った。裕司の言葉に背中を押された。
「おう」
裕司は余計な詮索をしてこない。さっぱりとした笑顔で言った。
「じゃあ、また明日な」
「うん、また明日」
学校を出た直後に、小雨が降りだした。
小松原さんはどこへ向かったのだろう。今頃また公園の雑木林で、桐丘と対峙しているのか。
彼女に対し、僕ができることはあるだろうか。
早くに両親をなくし、従妹からは疎まれ、学校に来ても気を許せる友人はいない。雨が降れば桐丘から襲われ、帰る場所はひとりぼっちの殺風景な部屋。
そんな彼女の傍に、僕はついていたかった。
小松原さんに、孤立という選択をしてほしくない。
あっという間に雨は本降りになった。
小松原さんを探して走る。濡れたシャツが張りついて、体が重い。目にかかる水滴が鬱陶しい。それでも、僕は走り続けた。
ふいに、どこからかキンッと耳障りな金属音が聞こえた。僕は足を止め、音のした方向を探して視線を彷徨わせた。
小松原さんを見つけた。