冤罪悪役令嬢救済協会の方からやって来る女
「ミーリア・ドレイファス公爵令嬢、お前との婚約は今日を以て破棄される!ここにいる皆が証人である!」
ミーリアと呼ばれた少女は、蒼白になってその場で佇んでいる。
大声を張り上げた男は、このトランザニール国の第二王子、レオンハルト・トランザニールだ。
ここは貴族の通う学園のパーティー会場。
学園を卒業すれば社交会への参加が認められる為、この国の全ての貴族子女が、一度はこの学園で学ぶ事になっている。
その学園主催の在校生の為のパーティーだ。これからのトランザニールを担う、若者達の社交場といった趣で、それはそれは盛大に催されていた。
「この場でしおらしく装っても無駄だぞ。ここにいるリリカから全て聞き及んでいるからな。身分の高さを振りかざし、なんと醜い事か…。それに不貞をはたらいているとも聞き及んでいる。よくもまぁ…王家に連なろうという者のする事ではないわ、けがらわしい!」
そう言うとレオンハルトは沢山の紙をミーリアの頭上に掲げ、バッと放り投げた。
「さぁ、これはお前の悪事が書かれた目撃者の調書だ。一枚残さず這いつくばって拾え。そしてひざまずき、リリカに謝罪せよ!さすればお前の北の贖罪だけで、ドレイファス一族を連座にはせぬ」
ミーリアはその生涯を厳しい北の修道院送りとするが、ここでリリカに謝れば、ドレイファス一族に累は及ばない。この言葉はそう言う意味だと、ここにいる誰もが悟る。
とは言っても、王族が、国の第二王子が公衆の面前で婚約破棄したという事は、貴族家の体面を完全に潰された事に等しい。ドレイファス一族がこの国の社交界で再起するのは、相当厳しいものになるだろう。
レオンハルトの横ではリリカ・パティンソン男爵令嬢が、レオンハルトの金茶のような髪と同系色のドレスをまとって佇んでいた。
脅えた表情をして、レオンハルトのきらびやかな衣装のすそを、後ろからちょこんと握っている。
「レオンハルト様ぁぁん…リリカ、すっごく恐かったのぉ」
舌足らずな喋り方をするリリカ。よく見れば、口元には笑いを堪えきれていない様子が見て取れる。
だが、後ろですそを掴んでいるリリカの顔は、レオンハルトが見る事はできない。
いや、今は誰もそのリリカの顔を見てはいなかった。
断罪されているミーリアだけが視線を一身に集めているのだ。
「皆が私たちの味方だ。ほら、証人達も爵位の垣根を越えて…こんなにも沢山、複数人で目撃したとも供述してくれているんだ。大丈夫だよ、リリカ」
レオンハルトの左右に陣取り、大きく肯く令嬢令息達。
王家に取り入りたい令息と、レオンハルトと婚約しているミーリアをやっかむ令嬢が、今回のこの断罪劇を盛り上げるのに一役買っているようだ。
リリカとこの者たちの偽りの証言で、レオンハルトはなんら自ら調査することなく、全ての罪をミーリアのものと決めつけて、現在に至っているのだった。
個人的になんの感情も持ち合わせていない者達にとっては、高位貴族が失墜する瞬間などは最高の娯楽…見せものでしかない。
令嬢令息達の悪意ある視線を避けるかのように、ミーリアは下を向いている。
そんな中、一人の少女が痛ましそうな顔をして、自らのハンカチを渡そうと、意を決して震える足でミーリアの傍へ近づこうとしていた。
だが、見た事もない男性に呼び止められる。男は小さな声で、
「エシル・マロニエール子爵令嬢ですね。ミーリア様は大丈夫ですよ。さぁ、退席なさい。ここから先を見れば、その清らかな心が穢れてしまいますから」
そう言ってウィンクすると、男は出口付近にいたシンプルなドレスを着た女性に、アイコンタクトを取る。すっと近づいてきた女性に連れられて、エシルという少女は用意された一室で、近くに来ているらしい家族を待つ事となった。
そうやって、一方をよってたかって貶めるようなこの状況に苦言を呈そうとする者や、ミーリアを支えに進み出ようとした令嬢令息が、そっと退席を求められている事を、断罪劇をギラギラした目で見つめている者たちは知る由もなかった。
お高くとまった顔してやることやってんだな…ドレイファス家は終わりだろ…嘲りの言葉が周囲から溢れてくる。
嘲笑と冷笑。膨れ上がった悪意がさざめき拡散していく。
「はいはい、ちょーっとすいませーん。失礼しまーす!」
レオンハルト第二王子から婚約破棄を公衆の面前で申し渡されたミーリアのそばに、年のころは学園の生徒達と同じくらいか、小柄で黒目黒髪の女性が現れた。
この国に黒目黒髪の人間は非常に少ない。誰が見ても異国の者だとわかるその小柄な女性に、ポンと温かく肩を叩かれたミーリアは、数名の女性に付き添われ、会場を後にしていった。
それまでひたすら下を向き無言をつらぬいていたミーリアだったが、最後にレオンハルトをしっかりと見据えて、見事なカーテシーをして胸を張って前を向き、しっかりと歩み去って行った姿に、高位貴族のなんたるかを見せつけられ、誰も何も言葉を発する事が出来なかった。
呆然とその姿を見送る令嬢令息の前で、
「あ、私、冤罪悪役令嬢救済協会の方から参りましたハザマと申します。ドレイファス公爵家より依頼を受けまして、これより、今回の婚約破棄についての検証をおこないます。皆さまには少しお時間を頂きたく存じます」
ぺこりと頭を下げる黒目黒髪の女性。
それが合図であったかのように、バタンバタンと派手な音をたててパーティー会場の扉が閉まっていく。
第六感だろうか、何かがおかしいと思った令嬢令息が、会場からの脱出を試みたが、時すでに遅し。扉の前には屈強な騎士服の男たちが立ちふさがっていた。
「不敬なっ!私を誰だと思っている、この国の第二…」
レオンハルトが怒気を孕んだ声で言いかけた所を、さっと片手をあげて遮る黒目黒髪の女性。
「この場、国王様から一切を任せるとの委任状を頂いておりますので…こちら、お改め下さい。あと、扉の前にいるのは、国王様直轄の第ゼロ宮廷騎士団の皆さんです」
後半は会場中に聞こえるように大きな声。数名がすごすごと扉の前から戻ってきた。
第ゼロ宮廷騎士団は国王の為だけに動く精鋭部隊だ。この国の者であれば、決して逆らってはならないと、小さな子供でも知っている。
「な…父上が…ゼロを…」
「第二王子はこちらの椅子に…パティンソン男爵令嬢はそちらの椅子にどうぞ。他の方々も簡易ですが席をご用意しておりますので、適当にお座りください」
気付けば先ほどまでダンスフロアとなっていた場所に、ベンチのような椅子が、何故か一方の大きな白い壁側に向かって並べられていた。
最前列には少し良い椅子が用意されており、レオンハルトとリリカ・パティンソン男爵令嬢はそこへ座るようにと促された。
騎士団を見て諦めたような顔をした令嬢令息が、壁を向く形で徐々に座り始めている。
急にあたりが薄暗くなって、ところかしこから女性の短い悲鳴が漏れた。
「もっと暗くなりますので、早く座ってください。始めますよ」
一団と暗くなった部屋に、突然明るい音楽が響き渡る。
楽士がいるのかと周囲をキョロキョロするが、音は天井のシャンデリアのあたりから流れてきており、皆一様に首をひねっていた。
聞いた事もない軽快な音楽に乗せて、皆が見ている壁一面に『冤罪悪役令嬢救済協会による、トランザニール国、レオンハルト第二王子の婚約破棄検証』と表示された。
音量が絞られたかと思ったら、頭上から今度は男性の落ち着いた声音が降ってくる。
『これは今から半年前の事である…「えぇぇん、レオン様ぁ、一年前に初めて秘密のキスをして下さった時にプレゼントしてくれたあのアメジストのネックレスより、すっごく小さいわぁ。リリカの事、嫌いになったのぉぉ?」「何を言っているんだ。この色をご覧、私の瞳の色と瓜二つだろう?それにこの見事な細工。世界にたった一つの…」』
(いちゃいちゃいちゃいちゃ)
『これにて第二王子レオンハルトとリリカ・パティンソン男爵令嬢は、少なくとも一年半前からの、みだらなお付き合いだという事が判明いたしました。不貞証拠①』
パーティー会場だった場所に、レオンハルトとリリカの叫び声が響く。
「なんだこれは…こ、こんな事は知らんぞ。これは魔法か?認めんぞ、こんな幻影魔法は…聞いた事がないわ!」
「幻影魔法ではないですね。これは私のユニークスキルで、とある事象限定ですが…実際に起こった事のみ、その場の魔素を利用し、過去を遡り映像化・投影できるスキルです」
「私も、私も知りません。こんな捏造を…」
立ち上がり、壁をふさぐように立つ二人。どうやら壁に映った自分たちの姿を隠そうとしているようだが、その二人の上にも映像は映し出されており、全く意味のない行動だという事に、本人たちだけが気付いていない滑稽な状況を作り出していた。
「捏造?今日、パティンソン男爵令嬢が身につけられているアメジストのネックレス…映像のものと全く同じですが…」
黒目黒髪の女性がそう冷たい声で指摘すると、室内に映されていた映像が消え、一瞬のうちに暗転した。そしてリリカの胸元にどこからともなくスポットライトが当てられる。
浮かび上がる特徴的なデザイン。レオンハルトの瞳の色と同じ、紫色のアメジストのネックレス。
「煩くされるとどんどん長引きますので…席にお戻りください」
それでも暴れ騒ぐレオンハルトは、第ゼロ宮廷騎士団員に「王命です」と言われ、椅子に拘束され、猿轡を噛まされている。
有無を言わさぬ口調で嗜められたリリカも、ムスッと黙り込み座っていた椅子へと戻った。
その合間にも壁にはまた新たな映像が流し出されていた。
レオンハルトとリリカが、町中や公園、所かまわずいちゃいちゃする現場の映像が、日時付きで、次々に映し出されるのだ。
不貞証拠⑩まで出た時点で、画面が今度は学園内へと切り替わる。
自ら教科書を破いているリリカ、自ら汚水を浴びるリリカ、誰もいない階段の踊り場からジャンプして足を痛めるリリカ。『自作自演リリカ劇場』と、その映像の下には大きく表示されている。
そしてそれをすべてミーリアのせいなのだと言って、レオンハルトに泣きつく映像。
泣きながら抱きついてきたリリカの胸を、さりげなく揉みしだきながら慰める、だらしない顔のレオンハルト。
そして今日の婚約破棄現場へと、また映像が切り替わった。
「レオンハルト様ぁぁん…リリカ、すっごく恐かったのぉ」
「すっーごぉくぅ恐かったぁのぉぉ」
「恐 か っ た の ぉ ぉ ぉ 」
何故かスロー音声で何度も流され、その発言直後のリリカの姿を映し出す。
口元を徐々にクローズアップさせて、隠しきれない笑みとその勝ち誇った顔が、壁いっぱいになったまま映像は停止した。
暫くすると、ミーリアを意地悪そうな目で見ていた、周りの令嬢令息も同じような映像処理をされて、次々と大写しにされていく。下にはもちろん大きく家名付きで名前が表示されている。
扇で口元を隠して「ざまぁないわねぇ…ふふふ」と呟いた、そんな一言もしっかり拾い上げられ、その姿と共に晒されていた令嬢が、その場で倒れたが、誰も助けようとはしなかった。
やがて、今回の断罪劇に一役買った令嬢令息達が集まる、とある町中のサロン映像が映し出される。
沢山の令嬢令息が関わった証言偽証の打ち合わせ現場、クリアな音声付きの映像だ。
「あのミーリアの泣き崩れた顔が見られるのなら、私、リリカ男爵令嬢の髪くらい切りますわよ?」
「そうですわ、そうですわ。それで私たちの見ている前で、ミーリア様がリリカ様の髪の毛を無理矢理切り落としたことにすれば…」
「やはりサランドラ様が婚約者じゃないなんて、ありえませんわよねぇ」
「リリカ様は男爵令嬢ですから妾どまり。正妻はサランドラ様に決まりですわ」
「俺は教科書を破っているミーリア嬢を見たと、レオンハルト様へ伝えることにするか…弱いなぁ…」
「それならさ、ミーリア様が雇った野盗にリリカ様を襲わせるってシチュエーションを作って、それを俺達で助けるってのはどうだ?」
「ランドロイ様、さすが!名案ですよ、それ」
「そういう仕事をする奴らを知っています。そいつらに腕でも折らせて…」
『偽証罪、サランドラ・ドット公爵令嬢、ダウニール・ゼファーソン公爵令息、ランドロイ・クリスティアーノ伯爵令息、ロザリー・ミカエスタ伯爵令嬢、ジェニファー・サザンクロス子爵令嬢……』
偽証に関わった令嬢令息の名が次々と読み上げられる。偽証罪だけでなく、話している内容がたちの悪い犯罪者のそれであったため、さすがに周りの目は冷たいものとなっていた。
大きな顔写真と一緒に、壁一面にフルネームが表示される。その顔は一番意地悪い表情をした映像からわざわざくり抜いて、ご丁寧に、この国の重罪犯罪者似顔絵のように仕上げられていた。
そして、『検証終了』との文字と共に、学園の一室であられもない姿で乳繰り合っているレオンハルトとリリカの姿が大写しにされる。その画面のままで映像は停止し、数分後、いつの間にか室内に明かりがゆっくりと戻ってきた。そして壁の映像もいつの間にか消えていた。
しんと静まり返る元パーティー会場。そこに黒目黒髪の女性の声が響く。
「レオンハルト・トランザニール第二王子、ミーリア様が不貞をはたらいたと公衆の面前で仰られましたが、その根拠をすぐにもご提示願います。王族と言えども根拠なく令嬢の不貞を口にされた場合、処罰対象となるそうですので。そこの証言捏造組…こちらの令嬢令息方の証言は、今回、すべて無効となります」
一礼し、去りかけた黒目黒髪の女性が思い出したように立ち止まる。
「ちなみにですが、こちらの映像は王家の皆さま、貴族家の皆さまにも隣室にてご鑑賞頂いております。大変ご不便かと存じますが、ご家族が迎えに来た方からの退室という事で、父兄の皆さまから許可を得ております。このままお待ち頂きますよう、ご了承願います」
そう言って、黒目黒髪の女性は、青ざめた顔の一同を残して、颯爽と退出していった。
§
「この度は本当にありがとう。アミ・ハザマ殿。ミーリアの名誉と未来を守る事が出来た」
ここはあの婚約破棄から2週間経った、ドレイファス公爵家の応接室。
当主であるドレイファス公爵と黒目黒髪の小柄な女性がソファに座り、穏やかに相対している。
「国王様から、ミーリア様の身の潔白については全てが息子の妄言であり、一切非がない事を王家が証明するとのお言葉を頂けたそうで、何よりでした」
「あぁ。あの国王の息子なのに、何故あのような男が出来たのか…嘆かわしい限りだ。まぁ、奴は廃嫡された事だし、これで手打ちにするべきなのだろうな。親としては許し難いが…」
「第一王子の立太子がお決まりになられたとか。ずいぶんと誠実な方だとお伺いしております」
「今回の騒ぎで、国王がその座をそのまま第一王子…立太子に譲る事になってな。国王が自らの進退を以て、ドレイファス公爵家に仁義を切って下さったんだ。次の治世も我が公爵家はしっかりとお仕えしていこうと思っているよ」
「そうですか…あの…リリカ男爵令嬢はどうなるのですか?」
「それなんだがなぁ…なんとも妙な魔術を使って第二王子に取り入っていた事がわかったんだ。まぁ、すべてがすべて男爵令嬢が悪い訳でもないから、第二王子の廃嫡は取り消される事はないけれど…少しだけ哀れになってしまったよ。変な女に魅入られてしまったんだなぁ…。なんでも男爵令嬢は『逆ハー狙ったらバッドエンドになりそうだったから、ちゃんと一人に絞ったのにどうしてよ!』とか…喚いているらしいんだ。意味が分からず皆、困惑していると聞いた。魔力だけは高いから、生涯塔に幽閉して、国の魔力補充装置に組み込まれる事に決まったがな。男爵家はお取りつぶしだ」
「そうですか。他のかたは?」
「もう、あの映像を見た家の者は、貴族の矜持はどうしたと大変な剣幕で…第二王子が廃嫡されたことで、例の犯罪者のような輩は同じく廃嫡されたり、北の修道院へ送られる事になったと聞いている。あとの者も領地で謹慎しているようだ。今回の件で婚約破棄される者もたくさん出たらしい。そう言えば…事前にあの場を離れる事を許された者たちは、貴族の誉れだと騒がれて、毎日大量の釣書が送られてきたり、お茶会の誘いがひっきりなしで…そっちはそっちで違う意味で大変な事になってしまって、申し訳ない気持ちなんだが…」
「なんだか大騒ぎですねぇ…。ミーリア様は…その後、いかがですか?領地へ戻られているとか」
「あぁ、領地からの報告では、随分と以前のミーリアのような明るさを取り戻してきていると聞いているよ。私達も王命での婚約だったから、ミーリアがどんどん窶れていく様を黙って見ているしかなかった…暫くは、のんびりさせてやりたい」
「長くご苦労されていたようですし、心の傷も大きいでしょうね…。でも、王弟陛下御長男のローデリヒ様が随分と献身的に付き添っておられると…」
「ははは。知っていたのかい。二人は幼馴染でもあるからな。私も…のんびり見守っていきたいと思っているよ」
「ふふふ、最後にお会いした時の様子だと、あまりのんびりしている暇はなさそうですが…」
「ハザマ殿もそう思うかい?そうか、そうか…。そうそう、これは今回の報酬だが…本当にこんな金額で良いのか?」
「えぇ、かまいません。今回はご家族が皆さん味方でいて下さった事もありますし、人手もたくさん用意してくださいました。それに国王様以下、学園長やサロン経営者など、皆さんが全面的に協力してくださったので、とても楽な仕事でしたから」
「そうなのか?まぁ…こちら達成報酬の30000ジラと必要経費だ。あと、この世界でまたこんな事があった時の支援だったな。それは家名に誓って支援をお約束しよう。息子はもちろん、その子供にも必ず。ハザマ殿の要請があれば我がドレイファス家は総出で支援する。それから…ローデリヒ君もミーリアも協力を惜しまないと言っていたよ」
「ありがとうございます。それでは報酬を確認させて頂きます。…はい、確かに」
「あと、これなんだが…見た目は小さいがマジックバッグになっているんだ。これも是非ハザマ殿に持って帰ってもらいたい。そちらのポーチに入るものなら、ハザマ殿の世界へ持ち帰る事が出来るとミーリアに聞いたものだから。ハザマ殿が住まわれているという世界で使えるかどうかは不明だが、またこちらの世界に来る時にでも使ってくれ。中に、この世界の服やら小物やら、役に立ちそうなものを入れておいた」
「わぁ、嬉しいです。ありがとうございます!」
部屋をノックする音が二人の会話を遮った。家令の声がする。
「お話し中、失礼いたします。ミーリア様、お戻りになられました」
「おぉ、間に合ったか。入りなさい」
今回の事をいたく心配していた祖父母に顔を見せる為、領地に戻っていたミーリアが帰ってきたのだ。
「アミさん、お久しぶりです」
「ミーリアさん、ご無沙汰しております。まぁ…少し見ない間に、お顔がとても明るくなりましたね」
最初に悩みを打ち明けてきた時のような苦悩も、あの会場で倒れそうになるのを、すんでで堪えていた姿も、今は微塵も見られない。
もし、耐えられなければ片手を挙げる。そうすれば会場からすぐに連れ出す。そういう算段だった。しかしミーリアは下を向いたままではあったが、黒目黒髪の女性が用意してくれる舞台が整うまではと、その場で一人、耐え続けていた。皆の悪意を一身に受けてもなお、一人耐え続けていたのだ。
この心根の優しい令嬢にとってはどれほど辛かったか、心中を察するに余りある。
それが今は…陶器のような頬にはうっすらと赤みが差し、快活な表情には一点の曇りもみられない。沈み込んでいたその琥珀色の瞳も、今は生き生きとした輝きを放っていた。
「ふふ…アミさんのお陰よ。何とお礼を言えば良いのか…本当にありがとう」
「私の…というより、後ろの男性のお陰じゃないかしら?」
ミーリアの後ろから、穏やかな微笑みを湛えた男性がやってくる。
二人ともドレイファス公爵が治める領地帰りの旅装束のままだ。思い出に残る旅になったのだろう事は、二人が並ぶその距離感でも察する事ができた。
「アミ様、お久しぶり」
「こんにちは、ハイデンベルク様」
「ローデリヒと呼んでください。ミーリアの友ならば、私も是非その輪に加えていただきたい」
「ふふふ、ごちそうさまです」
「まぁ、アミさんったら!」
ミーリアとローデリヒの仲睦まじい姿を冷かしつつ、和やかなムードの中、黒目黒髪の女性は皆にいとまを告げる。
別れは豪華な公爵家の応接室の扉をただ開けるだけ。
その扉をくぐり、彼女は彼女の世界に帰るのだ。
彼女の名前は狭間亜美。日本在住の日本人。
これは、これからあらゆる異世界で、冤罪悪役令嬢救済協会の方からやって来る女、そう呼ばれる事になる、ごく普通の一人の女性の物語。
突然勤めていた会社が倒産してしまった…ごくごく普通な元会社員の異世界出稼ぎ物語である――