恋は剣より強し
竹刀の白い剣先が小刻みにかち合う。小刻みに触れ合う事でカチカチと音がする。
「ぃやぁぁああ!……キェェエエエ!」
相手の竹刀がわずかに振り上がった瞬間の隙きを狙い、私は掛け声を掛けながら渾身の力で相手の面に向かって腕を振り下ろす。相手も咄嗟に私の面を捉えようとするが、私の気剣の方が速い。
「一本!」
竹刀の打撃音の後に審判からの声を受け、私は中央に戻る。ここで初めて自分が肩で息をしている事に気付いた。相手も肩で息をしている。
「それまで!」
私は相手に向かって礼をし、審判に向かって礼をする。剣道は礼に始まり礼に終わる。剣道には「気剣体の一致」が重要になる。自分が心で判断した動作を実際に行う決心が籠もった剣でないと一本を取ることはできない為、自然と声が大きくなる。この掛け声を嫌う女の子は多いが私はそんなに嫌いじゃない。
次の試合が始まるため、私は控えの場所に正座をして面を取る。汗が頬を伝い顎から落ちる。私は背筋を伸ばし、心の昂ぶりを落ち着かせる。ゆっくりと呼吸をしていると、隣に座っている和美が声をかけてきた。
「栞は今日も気合入っていたね。この調子だと来週の練習試合は大丈夫だね!」
和美はとても可愛い女の子。ぱっちりとした目を向けて、愛らしい笑顔で私に話しかけてくれる。和美とは高校1年の時、同じクラスで一緒に剣道部に入った。この春に2年になってクラスは分かれたが、同じ部活ということもあり、とても仲が良い。
「和美、話をしてると怒られちゃうよ……」
私はもっと和美と話をしたかったけど、今は部活中なので、あえて彼女に注意をした。
「神崎栞! 島岡和美! 私語厳禁よ!」
「「はい! 先生、申し訳ありません」」
やっぱり……小声で話をしていたけど、先生は私達をしっかり見ていた。和美と私はすぐに返事をして、お互いの目を見たあと肩を竦め前を向き直した。そして、他のメンバーの練習試合を真っ直ぐに見つめる。剣道は他のスポーツと比べて声を出して応援することはできない。技が決まった時に拍手をするというのが普通だ。
◇
部活が終わって、私達は頭布を解く。私の纏めていた髪が解けて垂れていく。汗でペッタリしてるから軽く手櫛で空気を入れる。和美も同じようにショートヘアの髪に空気でボリュームをつけていた。和美のショートカットの髪は空気を含むと柔らかく巻きがつく。彼女は同性の私からみてもとても可愛らしい。
「どうしたの栞?」
覗き込むように私に尋ねる和美の身長は160cmで背が低いわけではないけど、私の身長が175cmなので頭ひとつは小さい。私達は一緒に居る事が多い為、周りからはカップルみたいだといわれるが、私は髪を伸ばしているので当てはまらないと思う。もう腰の辺りまである髪は私のトレードマークだ。
まあ、こんな大女にも需要はあるようで、2年になって直ぐにバスケ部の男の子から声をかけられた。でも、私は断った。理由はこの春に転校してきた男子に心がときめいたから……
和美と同じクラスになれなくて悲しく思っていた新学期にクラスに転入してきた男子の名前は相良京介君。黒板の前に立っていた彼は、背筋をしっかりと伸ばしているけど、落ち着いた雰囲気があり、その立ち姿があまりにも自然で素敵だった。
相良君は合気道部があるということで、この学校を選んだようだった。あの落ち着いた雰囲気は彼の自己紹介にあった小さいころから習っていたという合気道のものなのかと考えてしまっていた。でも、彼の身長は170cmちょっとぐらいで、私よりも3cmは低い。剣道では有利だと思っていた自分の身長の高さを悔やんだ。やっぱり、男子には小さくて可愛い女子に人気が集まる。いくら私の心がときめこうとも現実は厳しいと感じてしまい、私の恋はスタート地点であきらめに変わっていた。
「ねえ、栞? 今日も合気道場に行くの?」
私に聞いてきた和美の嬉しそうな言葉にドキッとする。体育館から更衣室に向かう途中に合気道の道場があり、そこで相良君を見るのが私のひそかな楽しみだった事は、彼女にはバレていた。
「ちょっと覗く程度よ。クラスメイトが学校に馴染んでいるかをみてるだけ」
「ふーん、栞は私に転入生の話をしている時に凄く嬉しそうだからねー」
和美は興味深く私の顔を見上げてきた。そんなに分かり易く顔に出ていたのだろうか、少し顔が火照りそうになる。でも、急いで笑顔を作って、何事もなかったように返事をする。
「そういうのじゃないよ。少し覗いたら直ぐに更衣室にいくから待ってて、一緒に帰ろう!」
「うん、わかった! 先に行ってるから、じゃあ、後でね!」
和美はそういうと剣道具を剣道場の棚に置いて、袴姿で小走りに更衣室に向かう。気を使ってくれているのだと思う。私も剣道具を棚において、相良君がいる合気道場に向かった。
◇
私は合気道場の中が見える廊下で少し立ち止まる。相良君は部活が終わってから少しの時間だけ一人で練習をしている。これが私が楽しみにしている彼の普段とは違う姿を見る時間。彼はゆっくりと右手を前に出して、ゆっくりと呼吸をする。合気道の事はよく分からないけど、彼は綺麗な立ち姿で目を伏し目がちに吸って吐いてを繰り返す。
吸って……吐いて……いつの間にか相良君の呼吸に合わせるように私も呼吸をしていた。一定のリズムで繰り返される呼吸は心地いい。私は彼を見つめる。長い睫毛、整った鼻筋、なによりも華奢にみえるその体とは異なる強い意志を感じる雰囲気……
吸って……吐いて……相良君と一体になった感じがする。こういう感じが私が彼を好きになった理由なのかもしれない。吸って……吐いて……その瞬間、私の息が詰まる。何が起きたのかと彼を見ると彼は息を止めていて、その腕をゆっくりと払う。
「え……」
私のバランスは崩れ、足に力が入らなくなる。体を支えようと手で何かを掴もうとするけど、後ろに倒れ始めた私の手は空を切る。そのまま、急いで首を引いて体を丸め、廊下に倒れこんだ。
ガタン……という音がなった。私の背中が廊下の壁にぶつかったのが分かった。一体何が起きたのだろう。苦しくなって体が動かなくなった。よかった……怪我はしていないみたいだ。
「君……大丈夫?」
目の前に差し出された手の先をみたら相良君がいた。私の心はドキリと跳ね上がり唇が震えた。差し出されている彼の手に恐る恐る私は手を差し出す。その瞬間、彼の力強い握りが伝わってきて、私は急いで身を起こした。
「同じクラスの神崎さんだよね。剣道部だっけ」
思わず差し伸べられた相良君の手を使って、起きてしまったけど、重たいって思われなかっただろうか……私は変な事ばかり考えてしまう。何か言わないとと考えて彼を見た時に、彼の笑顔に更に心はドキリと跳ね上がった。
「起こしてくれて……ありがとう……」
私は蚊の鳴くような声で答えていた。相良君からみて背の高い女とか興味はないとは思うけど、それでも私の気持ちは一方的に高鳴る。心臓がドキドキして仕方がない。でも、立ち上がった私を見上げる彼の姿が目に入った……
「あの、練習の邪魔をしてごめんなさい! と、友達が待っているから行くね!」
私は急いでその場を駆け出した。本当はもっと一緒に居たい。せっかく声を掛けてもらったチャンスだけど、背の高い女と一緒にいるなんて男子からみたら嫌なはずだ。
◇
「神崎さん、大丈夫かな?」
あんなことがあった次の日の休み時間にぼーっとしていたら突然声を掛けられた。顔を見上げていると相良君が私の机の横に立っている。「えっ、なんで?」と私はビックリしてしまう。
「剣道も武道だから、もしかしたらって思って……ちょうど呼吸投げの型をしていた時だったから」
そんなことをいう相良君は照れ臭そうに笑いながら指で頬を掻く。彼の笑顔にドキドキしながらも何か言わないとと一所懸命に頭を回転させる……
「呼吸投げ?」
情けないけど、出てきた言葉はそれだけだった。気の利いた言葉が言えない私が恥ずかしい。そんな私の気持ちには気付かないのか、相良君はニコニコしながら話を続けてくる。
「うん。合気道は文字通り気を合わせるんだ。神崎さんも剣道をやっているから通じるものがあるかなぁって? たぶん、僕たち気が合うよ!」
私と相良君が気が合う? 彼からそのように言われると凄く嬉しい。秘めておいた気持ちが溢れそうになるけど、お友達になれるだけでも私はそれでいい。
「剣道の事とか教えてくれないかな?」
それから、休み時間は相良君とよく話すようになった。剣道の練習試合が近い事や、剣道の試合では応援とかない事とか……同じ武術ということなのか彼はいつも笑顔で聞いてくれる。彼からは合気道が刀を持った相手を想定している事や試合という概念がなくて演舞を発表する事などを聞いた。
◇
「一本! それまで!」
気剣が乗った竹刀が面に入り、私は一礼をして境界線を出て和美の横に座る。面を外した時に視線を感じたので横を向くと、彼女は嬉しそうに小声で話をかけてきた。
「栞、なにか良い事あった? すごく気合が入ってるよ?」
練習中はおしゃべりをしては駄目だけど、和美は興味津々と言った感じで私に視線を送ってくる。先生から怒られないようにするために、私は小さく返事をした。
「相良君とお友達になれたかもしれない」
お友達って言ったんだけど、きちんと伝わってるのかな? 和美はすごく嬉しそうな笑顔でうんうんって頷いている。 このままじゃ、また怒られちゃうよ……
「島岡和美! 姿勢が乱れてる!」
「はい! 先生、申し訳ありません」
和美は姿勢を正して、表情を整えてるけど、ちょっとニマニマしている。やっぱり、勘違いしているみたいだから、後で訂正しなきゃ……
「今日はここまで!」
「「「ありがとうございました!」」」
和美と私はいつものように頭巾を外して髪を整える。二人で剣道具を剣道場の棚に置いて更衣室に向かおうとした時に彼女は嬉しそうに耳元に顔を寄せてきた。
「せっかく相良君と友達になれたんだから、お話しする機会があったら話をしなよ。私の事は気にしないで。遅かったら一人で帰るから」
「そ、そんなんじゃないから!」
私の返事を聞いていないのか、和美は更衣室に急いで向かっていった。彼女なりに気を使ってくれているんだと思う。私は合気道の道場へと足を運ぶ。
廊下の端から道場をそっと覗くと、相良君はいつも通り部活の時間が終わっても一人で練習をしている。彼の立ち姿をみて改めて素敵だと感じる。すると、彼は私に気付いて、手を振りながら走ってくる。どうしようって思ったけど、逃げるのもおかしいから道場の入り口に私も向かう。
「神崎さん、一つお願いがあるんだ。剣道の構えを僕にしてくれないかな? 竹刀を構えているつもりで構えて欲しいんだ」
私は言われた通り両手を前に構える。そして、相良君を見た時に私の体は固まった。彼は右手を開いた状態で前に出して構えている。これは試合だ……空気がピリッと鋭くなる。じんわりと背中に汗が浮かび、空気の重さに耐えきれず、思わず面の構えをしようとした時……
バンッと踏み込む音が鳴ったと思ったら、彼の右手が私の手首に触れていた。何が起きたのかわからなかった。茫然としていると、彼は笑顔で私に話しかけてきた。
「凄いね……殆ど起こりが無かったから、入るのが難しかった。すごく剣道に向き合っているんだね」
相良君の手から体温が私の手首に徐々に伝わり、彼に触れられている事を意識して急に恥ずかしくなる。な、何かを言わないと……
「お、おこり?」
相良君はまた微笑んで、私の手をそっと放す。触れられていた手首からぬくもりがなくなり、少し寂しく感じる。
「相手が攻めてくる予備動作みたいなものだよ。武道では強い人ほどそれが無いんだ。だから呼吸を合わせて一瞬の間合いを読む感じかな?」
私には難しい内容だけど、相良君が合気道に凄く向き合っていることはわかった。彼のこういう所も好きなのだと思う。
「それで良かったら、部活が終わったら、この練習を付き合って欲しいんだけど駄目かな……あ、試合が近いんだっけ?」
相良くんと付き合う……本当の恋愛は儚い夢だけど、こういう形で付き合いは良いかもしれない……
「わ、私も勉強になるし、つ……付き合うね。試合のことは気にしないで、単なる練習試合だから」
思わず答えてしまった。相良くんと二人っきりでの練習……短い時間かもしれないけど、凄く嬉しい。
◇
練習試合は地区内のライバル校とだ。互いの学校で場所の持ち回りをしているから、基本的に授業がない日となる。今回の練習試合はうちの学校で明日の土曜日だ。
あれから相良君とは部活が終わってから少しの時間合気道の練習の手伝いをしている。彼が休み時間とかにクラスの女の子と楽しく話をしているのを見ると、背の高い自分に悲しくなっていたけど、今は二人だけの時間がある。
だから平気。この時間が穏やかにずっとこのまま過ぎてくれれば……
「なあ、相良? お前神崎と付き合ってるの? 放課後一緒にいるところを見たって奴がいるんだ」
男子とは別の移動教室が終わって、教室に戻ろうとした時、部屋の中からその声は聞こえてきた。
「そういうんじゃないよ。部活が終わってから僕の練習を手伝ってもらってるんだよ……」
「なんだ、やっぱりそんなところか……まあ、お前モテるし、わざわざデカい女と付き合うこともないよな」
現実は残酷だ……私は浮かれていただけだ。やっぱり相良くんはモテる。今みたいに変な噂が立ったら彼に迷惑がかかる。私みたいな女が邪魔をしたらだめだ。
あれから私は何も言わず下を向いて教室に入った。部活の後も合気道場に寄るのは止めた……
◇
剣道に身が入らない。剣気が乗らない。あの日から試合を迎えた今まで私は絶不調だ。何回か相良君に話しかけられたけど、誤魔化すように逃げた。
始まってもいない恋に翻弄されて私は何をしてるんだろう……対抗戦がどんどん進んでいく……
「正面に礼!」
蹲踞の構え、二本先取……立たなきゃ……相手をみるとすごい気迫……声がでない。
「始め!」
一方的に攻められる……ふ、防がなきゃ……どうすればいいんだろう……
「待て!」
審判に止められて足下を見た。場外だった。向こう陣営からは拍手が起こる。私は和美を見る。彼女は心配そうにしている。ゴメンね……
「神崎さん!」
声掛けの応援をしてはいけない剣道の試合で名前を呼ぶ声が響いた。その声がした剣道場の入口には相良君がいる。相手校も含めて全員が彼に注目している。
相良君は真っ直ぐに姿勢を正すと、ゆっくりと深呼吸をしてみせ、さらに静かにお辞儀をする。
「部外者は出ていきなさい!」
先生の声を聞いた相良君は私に微笑むように頷くと剣道場の入り口から姿を消す。彼は知っていたはずだ……拍手以外の応援はマナー違反なことを……でも、私のために声を出してくれた。今の私には百人力の応援だ!
呼吸を整えて向き合う……なんか変だ。なんで相手は呼吸が荒いのだろう……場外まで取っていて優勢なのに? 私は不思議に思って相手を観察した。
吸って吐いて……相手の呼吸を感じる。相手の肩に力が入っているのがわかる。これは面を狙っている。剣先を動かすと相手の目が動き呼吸が乱れる……これが相良くんが見ている武道の世界……
相手が面を狙って振りかぶろうとした時、私は足を大きく踏み込んだ。その音で相手の動きが硬直する。
「どぉぉぉ!」
バシリ! という音が道場に響いた。乾いた音だが声と相まってはっきりと痛烈な音として響いた。その状況を誰も反応できていない……しばらくの沈黙の後、遅れて旗が上がった。
「一本!」
相手はなんとか立て直そうと自信を鼓舞しようとしていたけど、もう既に決着はついていた。私には相手に負ける要素はもうなかった。
◇
「「「ありがとうございました!」」」
練習試合が終わって両校が挨拶した後、私は急いで剣道具を置いて剣道場の出入り口に向かった。廊下には相良君が立っている。私の相良君に対する気持ちが溢れていく……
「神崎さん、おめでとう!」
相良君の笑顔………もう、私の気持ちは止められない。勝手に自分で諦めるのはもう嫌だ。言え、言うんだ私!
「さっきは、ありがとう! そ、それで……相良君に伝えたい事があるの!」
こんな背の高い女の事を相良君は気にも留めていないかもしれない。でも、言わないままだと何も伝わらない。断られたって構わない……諦めるにしてもしっかりと気持ちを伝えないときちんと諦められない。
「私……神崎栞は相良京介君の事が好きです!」
言えた! もちろんお断りされるのだと思う。でも、自分の気持ちをしっかりと伝えたんだから私は後悔しない……
「僕も栞さんのこと好きだよ。こういう事は僕がしっかりとすべきだった……改めて言うよ、これから僕とお付き合いをして欲しい」
京介君の言葉に……笑顔に心臓が跳ね上がる。嘘、私達付き合っていいの? 顔が火照ってくるのが分かる。私は震える唇でか細く声を発した。
「よ、よろしくお願いします……」
私は俯いてしまった。まさかOKを貰えるとは思っていなかったから、恥ずかしくて京介君の顔を見る事が出来ない……その時、私の腕に抱き着いてくる影がみえた。
「栞! おめでとう! そして凄いよ! こんな大勢の前で自分の気持ちをしっかりと伝えるんだから!」
和美の声を聞いて、改めて自分の状況を確認する。後ろをみると部員全員が私達の事を見ていて、みんな拍手を送ってくれている。は、恥ずかしい……
穴が合ったら入りたい気持ちで縮こまっている私の手を京介君は取ってくれた。その温もりが心地よかった。私の春は始まったばかり、これから素敵な思い出を彼と一緒に作っていきたいと感じている。
Fin.
短編を読んでいただき、ありがとうございます。
私の初めての青春物語です。新しいジャンルへのチャレンジとなります。
前向きになる女の子の気持ちが表現できていればいいなぁと思って書きましたので、楽しんで頂ければ幸いです。
皆様が良い小説に出会えることを
茂木 多弥