内幸町のパクテー屋で、「機龍警察 白骨街道」を読む
還暦前のフリーライター、修善寺大地が仕事で出かけた先で、好き勝手に本を買い、本を読み、酒を飲むだけの話。
フリーランスのライターとして長生きする方法は、編集部にアピールできる得意技を持つことだ。ああ、この件なら、あの人に頼もう、という編集者のリストに載るようになるとよい。
この日、内幸町の某映画会社の試写室に、オレが座っているのもそういう理由だ。
ちょっと古いマニアックなSFやファンタジーの説明が必要になった時、呼ぶリストの最後から3番目ぐらいにオレの名前があり、何かあると、声がかかる。原作物にありがちな独特の専門用語、細かい注意点を説明しなくてもいい、というだけで多忙な編集部のマンパワーが圧縮できる。下手すると、本物の専門家と編集者の「翻訳」をさせられることがある。
「●●って作品、好きですか?」
そういう場合のメールや電話はたいてい、こう始まる。
そして、オレはだいたいこう答える。
「●●! 好きですねえ」
そういう訳で、目の前には、遥か未来の惑星の広大な砂漠が広がっていた。
40年以上前に原作を読んだ。傑作SFの映像化だ。
すでに映像化の試みはなされているが、最新技術と監督の原作愛が爆発している。
2時間はあっという間に過ぎた。
何? ここで終わるのか?
いや、ここで終わるしかない!
く、この監督、分かっていやがる。
早く、続編を撮れ!
試写室を出て、編集長や仲間のライターに感想を語り、記事にできそうなページの企画を告げる。見ながら、闇の中でメモした内容を反芻しつつ、湧き上がる読書欲にかられ、近所の本屋に飛び込む。
あんなものを見せられたら、SFを読むしかないじゃないか?
海外SF文庫をざっと眺める。
残念だが、スペース・オペラの気分じゃない。もっとガツンとハードな感じがいい。
アップロード系の最新トランスヒューマニズムSFは嫌いじゃないが、今日は、脳のシフトが切り替えられない。中国SFもいいんだが、今日は中華じゃない。
ハードカバーの棚の前に、黒い表紙とドクロがある。
月村了衛「機龍警察 白骨街道」! おお、発売されていたか!
「機龍警察」は、パワード・スーツである機甲兵装が実用化された近未来の日本が舞台だ。犯罪やテロにも使われるようになり、警視庁特捜部は、最新世代の新型兵装「機龍兵」を導入し、それを操る操縦者として、ベテランの傭兵である姿、ロシアの元警官ユーリ、元IRAのテロリストであるライザを突入班として雇った。
彼ら特捜部は、日本の首都東京に降りかかる機甲犯罪と立ち向かうことになる。
突入班が実行するパワード・スーツでの激しいバトルとともに、国際犯罪シンジケート、テロリストだけでなく、日本の社会の背後にすくう経済犯罪や政治陰謀とも戦うことを余儀なくされ、特捜部の捜査員たちの捜査が並行して描かれる、稀有な警察SFである。
今回は、なんと舞台がミャンマーだ。
そうクーデターで揺れるあの国だ。
これだ、これ。
今のオレが読みたいSFはこいつだ。
あの砂の惑星で展開する陰謀劇と通じるひりひりした空気がオレを読んでいる。
家に帰るまで待てないな。
どこかで一杯やりながら、読みたい。
残念ながら、内幸町はそこまで飲み屋がない。
試写室のあったビルの近くは、試写会の前に昼食を食おうとさまよったが、ほとんど閉まっていた。あの時と同じく、新橋まで出る方がいい。少なくとも、ファミレス的な物は空いていたし、肉屋もあったはずだ。可能なら、こいつにふさわしいエスニックな奴がいい。
表通りはビジネスマン向けのまっとうな店か、ファストフードばかりだ。
しけこんで、本を肴に一杯やるには向いていない。
裏路地に入ると、自粛しない香りが漂ってきていい。
少し先に、ちょっと中華がかった店構えが見えた。
さすがに、ミャンマー料理はないか?
近づくと、肉骨茶と書いてある。
中華系の香辛料の強いスープで、豚の肋の骨付き肉を煮たものだ。
シンガポールに住み着いた華僑たちが愛する料理。
いいじゃないか、いいじゃないか?
カウンターに座り、ざっとメニューを見る。
パクテーは2人前からとあるが、もう口がパクテーになっていた。
「パクテーを2人前、油条(揚げパン)をつけて、タイガービール」
鶏出汁ジャスミンライスも捨てがたいが、今日はまず様子見だ。
突き出しの煮たピーナッツをつまみに、タイガービールを一口。
ぷはー。
これだよ、これ。
一息、ついたところで、「白骨街道」を開く。
目次には5つの章の名前が並ぶ。
これがまた仏教の六道のうち、極楽以外が並ぶ。
第一章「畜生道」の章扉の向かいには、アウンチェインという聞いたことのない名前の人物の詩が載っている。21世紀のミャンマーの詩人らしい。検索したタブレットには、最初、アンチェインという京都のロックバンドの名前が引っかかったが、どうやら無関係のようだ。
0と題された章は物語の発端のシーンだが、ミャンマー奥地での戦争アクションと、ひりつくような現代東京での陰謀劇が小気味よく続く。月村了衛の描写力なのか、シーンが脳にグサグサ刺さる!
タイガービールをぐい。
こいつの生ぬるさがまだ暑い9月初旬の気候にぴったりだ。
視界の隅にメニューが映る。
え、蟹?
パクテーばかりに気を取られていたが、この店は蟹も美味そうだ。
ソフトシェル・クラブの料理が並んでいる。甲羅ごと食える蟹をバターソースで煮たもののようだ。だが、値段から見て、それなりの大皿で来そうだ。
残念だが、今日のオレはひとりだ。
もうパクテー2人前に、油条、ビールも頼んでしまった。
どうしようかと思ったら、ソフトシェル・クラブのエッグヨークフリットが1個から頼めるとある。パクテーを持っていたお姉さんに、1個、追加注文。
独特の中華系香料スープで煮込まれた豚の肋骨つき肉をかじりながら、「白骨街道」に戻る。1は、突入班の中でも日系の姿警部の登場から始まる。小気味いい姿の動きを楽しんだ後、ミャンマー派遣の話になる。ミャンマーと言えば、ロヒンギャ問題で知られているが、そこもちゃんと言及される。そして、この罠にあえて踏み込むしかない特捜部の決断に対して、現代のインパール作戦という表現が飛び出してくる。そう、今回の舞台は、まさに、第二次大戦中に、インパール作戦で多数の日本兵が餓死、病死した場所なのだ。
いや、すげえよ、月村了衛!
この時期、この本が出るなんて。
インパクトを飲み込むように、タイガービールをもう一口。
骨付き肉をかじり、スープに油条(揚げパン)を浸して食う。
これがいい。
「はい、ソフトシェル・クラブのエッグヨークフリット!」
目の前に置かれたのは、揚げられて真っ赤になった小ぶりに蟹に、卵の黄身らしい黄色い粉末がかぶった一皿。味が分からないので、そのまま口に運ぶと、軽くくしゃっと潰れ、その瞬間、甘みのある黄身と、蟹の肉の芳醇な味わいが同時に飛び込んでくる。お、面白!
こいつはすごいや。
感動のまま、ビールをもう一口含んで「白骨街道」に戻る。
あえて、罠に飛び込む特捜部だが、その裏側を探る刑事たちの戦いがまた良い。今回の派遣の名目が「新型機甲兵装の技術を盗んで国外逃亡した企業人の受け渡し」という名目なので、その裏側を探り、真の敵に迫ろうとする特捜部の捜査がスリリングだが、並行して、ミャンマーに入国し、死地に送り込まれる突入班の動きがいい。
そして、混乱するミャンマーでゲリラや軍閥の機甲兵装が登場してくると、一気に盛り上がる。主人公機である機龍兵はお休みだが、その分、アジアの戦場で使われるさまざまな機甲兵装が登場し、その運用がまた面白い! そうか、そう来るかい?
ガンダムだって、他のモビルスーツの可能性が面白いじゃないか?
こいつはすごいや。
今夜は眠れそうにないな。
「じゃあ、お会計」
タイガービールの残りを飲み干し、オレは店を出る。
さて、あっちの記事もなんとかしないとな。
グルメと本という話。コロナのおかげで飲みにいけないので、過去に飲んだ店をモデルに。
内幸町の試写室には、何度か行っていますが、最近、見たアレも大傑作です。
ぜひともご覧ください。
機龍警察もほんとうに傑作なので、オススメです。