鶴見の立ち呑みで異形コレクション 蠱惑の本
還暦前のフリーライター、修善寺大地が仕事で出かけた先で、好き勝手に本を買い、本を読み、酒を飲むだけの話。
「段ボールは生物」
倉庫の主任は言った。
「だから、毎日、新鮮な段ボール箱を組むんです」
久しぶりに受けた企業PR誌の仕事は、流通業界の体験取材。
通販大手の倉庫で行われるピッキングや梱包の仕事を取材し、それを元に、「家族的な職場環境」とか紹介するお仕事だが、最近、「取材記事が美化されている」というクレームがあり、実体験の生レポートにシフトしている。
おかげで、今日はなぜか、流通倉庫の隅で段ボールを組む。
「だいたい1日1000個ぐらいですね」
うん、そういう仕事。昔した。
コツをつかもう。
手順は簡単だ。
100個までは苦痛だったが、その後は無の境地に達した。
オレ、修善寺大地はフリーランスのライターだ。
編集部のアルバイトから始めて30年。なんでも書くのが取り柄のフリーランスだ。
一応、専門はサブカル方面で、普段はマンガの紹介記事をウェブサイトに書いたり、ゲーム系の学校で非常勤講師をしたりしているが、季節によって仕事は増減し、金がない時は、知り合いの編プロから、こういう企業向けの取材原稿も引き受ける。カメラマンと取材に行って、写真を取り、記事をまとめる。
PR誌なので、少しだけ原稿料はいいが、状況を踏まえた対応が必要だったり、体当たり体験記が求められたりする。名前は出ない。まあ、そういう仕事だ。
しかし、段ボール1000個を組むのは、還暦間近の人間には、少々厳しい。
それでも、去年の夏に来た「冷凍倉庫で白菜の箱を積み上げるお仕事体験」よりは、腰と肩に優しい。
「もうちょい、爺に優しくて、金になる仕事をくれよ」
電話で愚痴ると、編集者のKはからからと笑う。
「今どきの若いのは、バイト経験が少なくて、こういうのは向かないんだよね」
そりゃまあ、若い頃からフリーターで、色々現場を経験はした。人付き合いが下手なもので、長居することはなかったが、不器用ながら、仕事に対応するコツは覚えた。営業仕事や接客業よりは、こういう地道な作業の方がいい。
あれ、もしかして、オレ、物書きに向いてないんじゃないかな(汗)
夕方になり、取材が終わると、日がくれかけていた。
段ボール箱を500個作る現場をどう書けばいいのか、最寄り駅まで歩く。
倉庫があるのは、鶴見線の安善。
倉庫と工場しかない、京浜工業地帯の外れだ。
「川崎駅まで、乗せてきましょうか?」
車で来たカメラマンにはそう言われたが、乗り物酔いするので、駅まで歩くことにした。
三半規管が弱いので、子供の頃から車酔いがひどい。一時期、車の運転をしていた頃は収まっていたが、今度は乱視がひどくなりすぎたのと、運転が下手なので、免許も返納した。
まあ、歩くのはよい。
それはさておき。
喉が乾いた。
酒が。。。できればビールが飲みたい。
そして、カバンに入れた本が読みたい。
取材に来る途中、川崎駅で買った本が開きたいのだ。
しかし、だだっ広い工場地帯の外れである安善の周囲には、食い物屋も飲み屋もない。
そもそも、ほとんど人が住んでいないので、コンビニすらない。
まじか。
そう言えば、駅の前に酒屋があった。
来た時には、閉まっていたので、もしかしたら、もう閉店してしまっているかもしれないが、少なくとも自販機はあった。あれでビールを買おう。
さもないと、非常用のブラックニッカが火を吹く羽目になる。
安善駅までつくと駅前の酒屋が角打かくうちをしている。酒屋で買った酒をそのまま飲めるスペースを用意しているということだ。
やった。
鶴見線は川崎のど真ん中にあるにしてはひなびた路線で、20分に一本しか電車が来ない。
だが、倉庫や工場で働くおじさんたちは待ち時間があれば、飲みたい口だ。
「7時までだよ」
店のおばちゃんの言葉を聞きつつ、冷蔵庫を開けてのどごし生を一缶、イカゲソをひとつ、サバ缶をひとつ。350円。安い安い。
工場勤務が上がったばかりのおじさん集団から少し離れて、ビールを開ける。
プシュッ。ぐい。ぷはあ。
生き返るぜ。
カバンのそこから出てきたのは、分厚く、黒い表紙の文庫本。
井上雅彦編「異形コレクション L 蠱惑の本」(光文社文庫)。
異形コレクションは、タイトル通り、ホラー系のアンソロジーだ。毎回、テーマを決めた短編を集めて一冊にする。ホラーが多いが、SFやミステリー、ファンタジーもある。
10年ほど前に、一度、シリーズが止まったが、今年、復活して二冊目がこれだ。
累計50冊目なので、ローマ数字で50を表すLがタイトルに入っている。
表紙には、今回の寄稿者の名前がずらりと50音順に並んでいる。
あの朝松健から、もの木犀あこ、まで。
倉阪鬼一郎や間瀬純子、平山夢明といった常連作家から、真藤順丈、三上延の名前にそそられる。斜線堂有紀に続く柴田勝家は、戦国武将のようだが、新進気鋭のSF作家だ。ウェブでぐぐったら、本当に外見が柴田勝家で、本職は人類学者でデレマスPらしい。
いや、これはどこから読むか悩むねえ。
アンソロジーも、頭から読みたい方だが、時折、我慢できずに、好きな作家から読んでしまうこともある。
表紙を開くと、見開きに50音順に作家名とタイトルが並ぶ。
一番上には、「朝松健 外法経」とある。
朝松先生お得意の室町伝奇物、主人公は一休さんである。アニメのくりくりした小僧ではなく、ひょうひょうと生きる中年から老境にかけての一休禅師が室町時代の怪異と戦うというものだ。華麗にして、暗く、どろりとした風情がたまらない。
じゅるり。
思わず、ビールを一口。サバ缶を一口。
斜線堂有紀「本の背骨が最後に残る」もそそるタイトルだ。
いや、どんな話だろう。
「本の背骨」という言葉がいい。
げそをひとかじり、ビールを一口。
中扉を開けば、実際の目次。
最初に井上さんの編集序文、続いて、一番手は大崎梢「蔵書の中の」、トリは北原尚彦「魁星」。諸々あって、この「魁星」が今回の狙いだが、それが一番最後か。
目次は見開きなので、のどの右に、間瀬純子「雷のごとく恐ろしきツァーリの製本工房」、左に柴田勝家「書骸」が並ぶ。
おいおい、これはそそる配置だ。
目次は、食堂で言えば、お品書き。そのど真ん中にこの二人を並べるかい?
憎いねえ、井上さん。
ビールをぐびり、おや、空だ。
冷蔵庫からもう一缶出して、120円。
編集序文は、井上さんのいつも挨拶から始まる。
「闇を愛する皆様。」
井上雅彦さんはきっと黒いスーツが似合うに違いない。
編集序文は今回のテーマ「本」に関する解説で、古今東西の魔書、奇書に触れていく。ラヴクラフトの作り出した魔導書『ネクロノミコン』やその仲間たちは、随分、新しい口だ。
我慢できずに、巻末の北原尚彦「魁星」へと進む。
異形コレクションには、それぞれ章扉の後ろに、作品解説が1ページつく。
「魁星」の解説は最大限の賛辞から始まる。
北原尚彦は、どちらかと言えば、シャーロック・ホームズの研究者として知られており、関連書籍の執筆が多いが、古典SFの研究者でもあり、先年、亡くなられたSF作家・横田順彌の親友でもあった。
個人的には、横田順彌さんというと、平井和正の「超革命的中学生集団」の主人公だが、彼は実在のSFファンであり、彼の所属していたサークル「一の日会」のメンバーをそのまま、モデルにしたというものである。
その後、横田順彌氏は、ユーモアSFでデビューし、日本の古典SFの研究で名を成す。北原さんは、古書収集の趣味で横田さんと深いつきあいだったという。その思い出を異形の物語に編み直したのだ。
ある意味、最高の弔いである。
一読、献杯。
「なんだい、本好きなのかい?」
倉庫で見かけたおいちゃんが酔眼で声をかけてくる。
うなずき返すと、おいちゃんが笑って、こういう。
「物書きを仕事にしなよ、ありゃ、定年がないらしいからな」
いやまあ、そういう仕事なんですけれどね、という言葉は飲み込んでほほえみ返す。
「やべえ、電車が来るぜ」
おいちゃんが腰を上げる。
オレも、ビールを開けて、サバ缶の残りをさらう。
残ったげそはそのままぽっけにいれて、駅へ。
「異形コレクション」は、ちまちまと読もう。
電車に飛び乗り、座ったところで、ふっと思い出した。
今から40年近く前、同じような会話をした。
渋谷のハンズでゲームの洋書を手に入れ、東横線の中で読みふけっていたら、同じような会話をした。向かいに座っていたおいちゃんが、声をかけてきたのだ。
「坊主、そんなに本が好きなら、そいつを仕事にしちまえはいい」
おかげで、オレはこんなところにいるよ。
ありがとうな、おいちゃん。
発作的に書き出した、本読み版の「孤独のグルメ」的な話。
私自身も、フリーランスのライターなので、倉庫取材の話とか、安善の立ち呑み屋も含めて、自分のネタですね。
「異形コレクション」は大好きなシリーズで、今回の復活は実にうれしい。
最初は、クトゥルフ神話を追いかけて読み始めたが、「蠱惑の本」は本当に小説の達人ばかりなので、素晴らしいし、物書きとして悔しいところでもある。
井上先生には、SF大会やホラーイベントで何度かお会いできたが、「蜂蜜酒を持ってくる人」という認知になっていた。しかたない。