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結論

 落ちこぼれは、エリートを超え()るか?


 私が見てきた世界で、それは残念ながら「基本的に」不可能だ。


 まず、スタートラインが違う。練習量の許容範囲(キャパシティ)が違う。成長速度が違う。


 しかし。ただひとつ、「成長の上限値」は見えていない。


 つまり、もし『ウサギとカメ』の寓話のように、エリートが成長しなくなり何処かで留まるとすれば、追い越せる可能性がないとも言えないのだ。




「そんなに無駄だらけのトレーニングで、なぜそのレベルに達することができたのか」


 というのが、多くの「素質エリート」に対しての私の感想である。


 彼らの殆どは現状、私より「少し下」のレベルに位置するけれども、ジムで見かけるトレーニングの多くはそれ以上に「ひどい」ものだ。


 もし私がそんなやり方で続けていたら、10年続けたところで、ベンチプレスで言えば100kg(キログラム)にも届いていないだろう。


 おそらく彼らの多くは、週単位、月単位で「自分が強くなったか」を判断できていない。だから筋トレを始めて数年の時点で、成長がほぼ止まってしまう。


 それは、私が様々な分野で見てきた現象だ。


 勉強・スポーツ・芸術……周囲から「君には素質がある」と言われていた子が、いつの間にか輝きを失い、埋もれ消えていく。


 上位に残るのは「飛び抜けるような素質を持っていた」子と「成長を続けた子」、そして「その両方を備える子」。


 当たり前だが、頂点に立つような人間は両方を備えている。素質に劣る者では到底、敵わない。


 しかしだ。その頂点の人間がトレーニングを量に依存し、「やればやるほど強くなる」という認識をいつまでも持ち続けてくれるなら、凡人が追い越せる可能性は残っている……のかも知れない。


 一度でも効果を確信した方法に、人は拘泥(こうでい)する。


 たしかに「量をこなす」ことは、それが「質を保てる限り」重要だ。が、それができてしまうタイプの人間にも、自身にとっての「量の上限値」を見誤る可能性は、厳然と存在する。


 素質のおかげでバカげた練習量をこなすことができ、その経験則の中で「なんとなく頂点に辿り着いた」のが、エリートの正体であるとすれば。


 凡人にも「トレーニングの質を、ひたすら反省によって高め続ける」ことで、そのラインに並び立つ可能性がある。私はそう考える。




 ……とは言ったものの、もしエリートがそれに気付いてしまったら全て終わりだ。


 トレーニングで得られる経験値が同じなら、「最初から強い奴」と「量をこなせる奴」が強い。


 一流の皆さん。どうか真理に達することなく、上のほうでもがき留まっていてほしい。もうしばらく経てば、そこに凡人も届くだろうから。


(終)

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