後編
まず、I君はおそらく「確証バイアス」に陥っている。
よって積み重なる長年の理論も実践も、殆ど自説の補強にしか用いることができていない。
(無論、その疑いは常に私自身にもかけておく必要がある)
そりゃそうだろう。彼の周囲、つまり「I君が生きる世界」の人間は皆、事実として「やればやるほど強く」なっているからだ。
大学生以上・国内トップレベルともなれば、素質の篩に掛ける段階はもうとっくに完了しているだろう。
そういう人たちは「質を保った上で」量をこなすことができる。しかし、だからこそ誤謬は起きるのだ。
結局、成長に必要なのはトレーニングの「量」ではなく、「質」である。
スポーツ関連に限った話ではない。絵画とか、楽器の演奏など、あらゆるジャンルに於いてそれは共通だ。
ヘタを何万回と重ねてもヘタのままだが、いつもそこに反省と改善があるなら、少しずつ前進していける。
成長の速度は人によるだろう。しかし、何処の世界も上位は「常に成長していく」者だけが占めている。
私自身は、クラブ活動の練習量で壊れるような肉体の持ち主。
そもそもリハビリとして筋トレを始めたこと、自分は劣っているという自覚があったことから、「人と同じことをやっていてはダメだ」という思いは最初からあった。
だから当然のように、まずはトレーニング量を増やしてみた。
すぐ間違いに気付いた。と言っても、それまでに数年かかったのだが、多くの人は気付かないまま生涯を閉ざす。
私の場合は「量を増やすほど質が落ちる」のだ。
どんなに栄養や休息を工夫しても、一流選手のような量をこなしてしまうと回復できず、その次のトレーニングが惨憺たる有様になってしまう。
生まれ持った体質は変えようがなかった。少しずつ量を増やしていったりもしてみたが、結果はいつも「やればやるほど弱くなる」。
ある時、背中と脚のトレーニング種目を「高負荷でそれぞれ1セットだけ」行うようにしてみた。トレーニング頻度も減らした。
すると、その二つの部位が成長を始めたのだ。胸や腕など、量をこなしている部位は弱いままなのに。
もうおわかりだろう。人を成長させる「量の上限値」は、個体によって大きく異なるのだ。
「先天的な」遺伝子にもよるし、「後天的な」生活習慣や、性格などによっても変わってくるだろう。
既に述べたように、私の思考にも確証バイアスは存在しているはずだ。人は誰しも「自分の眼に映る世界」こそが標準と錯覚する。
だから今後も、I君の思想は揺らぐことがないのかも知れない。同様に、私の回答も確信に満ちている。
I君が一流の素質を開花させ、日本一になったように、私もゴミの山から拾ってきたような素質を「一流の足首に手が届く」ところまで磨き上げたのだから。
もうちっとだけ続くんじゃ。