異世界に行って人生再出発だよ!(暗い)
僕の父親はおかしかった。
いつまで普通を装っていて、
いつからおかしくなったのかわからない。
でも、瞳孔の開ききった目で仁王立ちし、
僕と僕の母親(つまり妻)を見る僕の父は、
どうみてもおかしくなっていた。
「異世界転生だ」
夜のダイニングキッチン、暗い電灯の下で、僕の父は笑った。
ダイニングテーブルの上にはいくつかの借用書といくつかの保険証書が並んでいる。
さっき食べたばかりの夕ご飯は最近の我が家ではありえないぐらい豪華で、まさに最後の晩餐という感じだった。
嫌な予感は何日か前からしていた。
夕食はたくさんの唐揚げとカニ鍋だった。
キッチンのコンロの上には油がたっぷりの鍋がある。
キッチンスツールの上には無造作にカセットコンロとボンベが並んでいる。
そして昨日まで空っぽだったはずの灯油ストーブ。
火気厳禁。
僕の父親はその時、今まで見たことのない携帯端末を持っていた。
携帯端末をじっと見たあと、また僕と僕の母を見て笑った。
「手筈は整ってる。なんの心配もいらない」
僕にはなんの手筈が整ってるのかわからなかった。
でも父の手は震えていたし、いくら灯油ストーブでガンガンに部屋を温めているといっても、さほど暑くもないのに汗をだらだらと流す様子からは、'心配いらない'ようには見えなかった。
「とりあえずさ、説明してよ、わかるようにさ」
僕は小さい声で尋ねた。
「転生するんだ。家族で。わかるか、転生って…」
「わかるよ。あの、ネットとか。アニメ化したりしてるやつだろ。そういうことがききたいわけじゃなくて」
「それ以上の説明がいるか?」
いるに決まってる。
いい歳してなんて無責任なんだろう。
いいや、逆に僕の父親にそんな最低限の責任感があれば、こんな状況にはなってない。
無職、借金まみれ、アル中、精神疾患。
人間のダメな部分を煮詰めたような父親だ。
僕は母の様子をうかがった。
アルカイックスマイル。
何かを悟ったような微笑みを浮かべている。
僕の母親は底抜けに優しく、弱い人だ。こんな父親についていくことしかできない人。
父からはなにも聞かされていないのかもしれない。
でもなにも言わずに微笑んでいる。
肝が座っているとかじゃあない。
僕の母親もおかしいんだ、きっと。
「ユウキ」
僕の名前だ。
「ユウキ」
2人が僕の名前を呼んだ。
僕は、ダメな2人の、ダメな子供だ。
頭も悪い、元気もない、中学でもうまくいかない、いじめられて通えない。
「うん」
なんとなく、僕はうなずいた。
僕の父親が手にした携帯端末から光がもれだす。
小さな爆発音と衝撃。
いつのまにか元栓のあけられたガスに引火して、僕が炎に包まれた時、苦痛を感じる前、ちょうどいいタイミングで僕の意識は途切れた。