なんてこともない終わりと出会い2
午前10時。悠莉は早朝にいた学園の中心部に聳え立つ中央棟から5分程歩いた場所にある訓練棟に来ていた。この建物は名前にこそ棟と付いているが、体育館と用途はほとんど変わらない。1階建で中は更衣室とお手洗、医務室、教官室、それに大きな訓練室があるだけだ。今日は1200人の生徒が一斉に実技試験、具体的には聖霊召喚の試験を受けるということもあって、学園中の訓練棟が1日中使用されることになっている。悠莉が指定された訓練室には現在、高等部の1年生の出席番号の前半組がいるようだった。余談だが出席番号は50音順で決まる。
実技試験の内容は至ってシンプルだ。教官の前で聖霊を召喚する。ただそれだけ。聖霊にも色々と種族はあるが、日本では幻獣を扱うのが常であり、それ以外の種族の聖霊を召喚すると反逆者だの何だのと呼ばれて学園都市から永久追放されるのだそうだ。そういうわけだから召喚する聖霊は幻獣に限られるし、日本で聖霊と言えば幻獣を指す。
実技試験は高位の幻獣を召喚出来れば評価が高く、下位の幻獣しか呼び出せなければ落第。とはいえ使い手には大器晩成型も多い。下位の幻獣しか呼び出せない者であっても、基本的には学年を上げてくれるのだ。私のような全く聖霊を召喚出来ない者以外は。
「おおっ……」
周囲のどよめきによって悠莉の思考は現実に引き戻された。何事かと目をやった先には1対の羽を持った美しい白馬が立っていた。ペガサス。天馬とも呼ばれるこの幻獣は中の上位くらいであるが、聖力を多く消費する為に召喚される例は意外と少ない。人気の無い聖霊ということだ。
その道を極めた使い手や個別の聖霊と契約を交わした使い手ならともかく、私たち学生はそのほとんどが聖霊をランダムに召喚する。つまり、どの程度の強さの聖霊を召喚するかは任意で決められるが、実際に誰が召喚されるかは蓋を開けてみないと分からなかったりする。不便な事だが。
のだが。聖力の消費が大きい少数の聖霊は例外であり、任意での召喚が可能。つまり、ペガサスを召喚したこの生徒は自分の実力を申し分なく教官に見せつける為にわざわざ負担の大きいペガサスを選んだということだ。エリートは高等部を卒業してから学園のお偉いさんになれると言うし、成績が大事なのも分かるけれど。
「なーんか、ナルシストだよねーあの人ー」
「美優はもう少しだけオブラートに包んだ物言いをした方が良いと思うな……」
確かに私もそう思ったが。
「次。雨宮悠莉」
悠莉の名が読み上げられた瞬間、先程とは違った意味のどよめきが起こった。
「はい」
落ちこぼれの吊し上げだ。
どうせ今回も無理だろう。
わざと悠莉の耳に届くように言っているその声を無視して悠莉は訓練室の真ん中に立った。
「始め」
悠莉は目を閉じた。
意識を飛ばす。あちら側の世界へ。
目を開く。目の前には巨大な金色の扉が立っていた。細部に至るまで細かな装飾が施されている両開きの扉の取っ手を掴む。押す。ぴくりとも動かない。
『私はいつになったらこの世界と繋がる事が出来るの?』
応える者は無い。
こうやっていつも、いつも、いつも。
この世界に拒否された私は私の生きる世界に帰ってくるのだ。
緩く目を開く。私の視線の先には表情を変えない教官の姿。薄暗い大理石の床には何もいない。
「……あら?」
おどけて言ってみせる。それだけで訓練室は爆笑の渦に飲まれた。教官が苦々しげに眉間を押さえた。
「不合格」
悠莉は小さく頭を下げると教官に背を向けた。美優が苦笑してこちらを見ている。飄々とした笑みを返してやると、美優にしては珍しく、呆れたように首を振ったのだった。
ヴォーン!ヴォーン!
突然、けたたましいサイレンの音が響き渡った。悠莉は思わず歩みを止める。つい先程まで悠莉を嘲笑っていた者達が何か信じられないような物を見るような目で訓練室の中心を見ている。
「あれ、は……」
魔法陣?
紫色の光が描いている幾何学模様は紛れもなく魔法陣だった。それは中から何かが出てくるという事を指しているわけだが、悠莉を含めてそんな模様の魔法陣は見たことがない。
悠莉はほとんどの学生が魔法陣と自身とを交互に見つめている事に気付いた。どうやら彼らは私がこの魔法陣を作り出したと思っているらしい。確かに幻獣が出てくれば万々歳だけれど。
悠莉の勘は違っていた。コレは触れてはいけない何かとてつもなくヤバいものだと。
「悠莉!」
「!」
「逃げて!!早く!そこから少しでも離れて!!」
言いながら美優は悠莉の腕を引っ張っていた。呆気にとられて動けない人々の間をすり抜けていく。2人が訓練室の入り口近くまで戻った時、悠莉の体を生温い風が吹き抜けた。それから少し遅れて悲鳴が上がる。
思わず立ち止まって振り返った悠莉は絶句した。
「____」
倒れていた。たまたま魔法陣の近くにいた人々が。何十人もの学生が、教官が。その周りには意識こそ失っていないものの、胸の辺りを押さえて蹲る人々がいた。
地獄絵図だった。動ける誰しもがこの死の空間から逃げ出そうと1つの扉を目指して走った。
「これ、私が……?」
「違う!絶対に違う!私が保証する!だから今は逃げて!このままだと悠莉も殺される!」
「殺されるって誰に…………」
悠莉は1番大事な物を見ていなかった。いや、見ようとするのを躊躇っていた。一瞬で人の命を刈り取った物を。いつの間にかあの魔法陣は消えていた。代わりにその場所には半透明の巨大な何かが浮いていた。訓練室の天井近くまで達するそれは人の形をしていたが、頭と腕はあるのに足は無かった。目と鼻と口の部分がぽっかりと空いて紫色の霧を巻いている。
「誰に、って決まってるでしょ!あのゴーストに!!」
ヴォーン!ヴォーン!
サイレンの音は止まない。
「侵略者が現れました。生徒は全員、最寄りのシェルターに避難してください。教官及び__」
放送が流れる。
あれ、私ってここでお終い?
自分の意識を別の世界まで意識的に飛ばすことができる使い手は世界を探してもそう多くはありません。ほとんどの使い手は”なんとなく”聖霊を召喚しているっぽいです。