なんてこともない終わりと出会い1
午前7時過ぎ。5月に入ったこの頃、世界には草木が生い茂り、夏を前にした準備運動が始まる。何時外に出て眠くなってしまうのは致し方無いというものだろう。1年を通してこの気候が続けば良いのに。まあ、それはあくまで外の話であり、建物の中の話では無いのだが。
「聞いているのか!!」
ああほら、朝からこんなに叫んで。元気ですね、教官殿は。こんな殺風景な部屋なのに。
コンクリートを打ちっ放しにした空間には入口から入った奥側に大きめの事務机と椅子がある。事務机の上には書類やら本やらが散乱していて目も当てられない状態だ。更に状況を殺風景だと思わせる要因というのは窓が無い事だろう。四方の壁に取り付けられたランプ型の電球に灯る黄色の光が辺りを照らしてくれるのみだ。
ぶっちゃけ、暗い。天井には一般的な白色の光を放つ蛍光灯があるのだから、それで良いではないか。わざわざ部屋を暗くしなくても。雰囲気作りなんて教官殿も似合わない真似をするものだ。
「まあ良い。次の実技試験で幻獣を召喚出来なかった場合の覚悟は当然、出来ているのだろうな」
覚悟も何も、そんなことは再三言われている。ある程度の努力もしている。それでも聖霊を召喚出来ない。聖霊界の扉を開けない。と来れば決まっているではないか。私にはその才能がなかった。私は使い手などではなく、一般人であった。他の使い手よりも聖力の保有量が著しく多くて、聖霊の声を聴くことが出来て、特定の聖霊の居場所を見つけられる才能を持った一般人。
……そう片付けられたらどれだけ良かったか。
少女____雨宮悠莉は溜息を飲み込んで、そしてうんざりした今の状況への不満をおくびにも出さずに教官を見つめていた。彼女にとって、この状況は日常茶飯事であった。そしてまた、相対する教官にとってもだ。
「お前を怒鳴りつけるのもこれで最後になりそうだな。言っておきたい事はあるか?」
「いいえ」
部屋に入って初めて口を開いた悠莉は被りを振る。
それよりも早くこの場所から出て行きたい。
「そうか。では行くと良い」
教官が最後まで言葉を言うか言わないかのうちに悠莉は回れ右をして薄暗い空間から廊下に出た。
「はあ……」
1つ大きな溜息をつく。電気は点いていないが、5m間隔にある窓から差し込む日の光が真っ白な壁に反射して随分と明るく感じた。
肩まで伸びる焦げ茶色の髪と同じ色の眠そうな瞳。黒を基調としたブレザーの襟や袖、スカートに黄色のラインが入った制服。いつも通りのどこか冴えない雨宮悠莉が窓の向こうから悠莉を見つめ返している。
まだ7時半にもなっていない。これからどうしたものかな。
悠莉は校舎の中心部に向かって歩みを進めることにした。
聖都心学園。初等部から高等部まで約1200人ほどが在籍するこの学園は全員が聖霊使い____一般に使い手と呼ばれる者を目指している。……というか、使い手を目指すも何も使い手であることが常識であり、使い手で無い者____一般人と差別される彼らは使い手にとっては存在しない生き物に等しい。
かくいう私も一般人は今までで数えるほどにしかお目にかかったことがないわけだが。
これが聖都市学園京都支部まで行くと生徒の約2割が一般人だというのだから驚きである。
「あらあら、そこにいるのは落第必至の雨宮悠莉さんじゃなくって?今朝も教官の所までお勤めご苦労様」
「大根芝居を続けるようならこのまま歩き去るよ」
「わわっ、ごめんね悠莉ー。行かないでー」
悠莉の元へ小走りで走ってきたのは悠莉よりも顔1個分ほど小さな少女____篠崎美結だった。肩に付くくらいの長さの亜麻色の髪は天然パーマがかかっていて外側にふわふわと跳ねている。一時期ストレートにしようと試みたようだが無事に失敗したらしい。
「その顔を見ている限り、今日も盛大に怒鳴られたみたいだねー」
「いつも通り。良いよね、成績優秀者は」
「悠莉は聖霊召喚以外の科目ではトップなのにね」
「この場所が使い手の訓練校である以上、召喚される聖霊の強さが最終的な成績に反映される。至極当然の事でしょう」
「総合成績の6割が聖霊召喚の成績なんだっけ?その点、今まで聖霊召喚で落第しか取ってこなかった悠莉が学年を上がり続けてるのは凄いよねー」
「義務教育期間は終わっているし、もう無理よ」
悠莉のどこか投げやりな物言いに少女は首を傾げる。
「教官に何か言われたの?」
「実技試験で聖霊を召喚出来なかったら退学だって」
「それって今日だよ!?」
「そ。だから私は晴れて学園をさようなら。学園都市も追放ね」
学園都市というのは聖都市学園を中心とする巨大な街の事だ。この街に居住する権利は使い手のみが持っている。一定のレベルの聖霊を召喚出来ない者とその家族が学園都市を追われる場面は数年に一度のペースで見ているが、あれほど酷いものは見たことがない。
「そっかそっか。じゃあ悠莉、今からパフェ食べに行こー。学園名物メガパフェ」
「そんなもの、朝からお腹に入らないよ」
「いーから行こ!」
この子、結構強引だよね。見た目によらず力も強いし。
美結に腕を引っ張られる形となった悠莉は半ば諦めてその背を追った。
「美結、今日は偉く学校に来るのが早いね。どうかしたの?」
「早く目が覚めちゃって。あと、悠莉が朝から怒られてるだろうなって思ったからー」
「ありがと」
「おだててもメガパフェは奢ってあげないよー」
語尾を伸ばす癖のあるこの少女は私にとって唯一の友達とも呼べる存在だった。聖霊召喚の成績によって生徒間のカーストが決まるこの学園、もちろん私は下の下だ。悪戯と称して聖霊に攻撃されるのも珍しくなかったりする。今まで大した怪我もせずに生きてこられたのはこの少女の存在が大きい。イジメがあるなら教官が止めれば良いと思う者もいるだろう。だが、この学校では教官ですらそのカースト制度に従う上に、理事長としては学生同士で競い合って欲しいらしい。私への仕打ちは私が聖霊召喚を成功させるための手助け、という形で勝手に筋が通っている。死ななければ構わないし、他の生徒が良い具合にストレス発散になるのだから良いと思うのはこの生活に慣れてしまったからだろうか。
2人はエレベーターに乗って8階で降りた。360度をガラスで覆われた食堂もといレストランは学園都市を一望出来るとあって生徒からの人気は高い。まだほとんど人の入っていないそこの奥まった2人席に座ると、間もなく大きな器にこれでもかと甘そうな具材を乗せたパフェが2つ運ばれてきた。悠莉は思わず顔を顰める。
「うっわ……」
昼食ならばともかく、朝ご飯にコレはさすがにキツくないか。コーンフレークの敷き詰められた底はまだ良い。その上のヨーグルトも健康的で許せる。更に上の生クリームやらアイスクリームやらフルーツやらベリーソースやらの山は何なのだろう。軽く混沌としているではないか。手始めに悠莉はアイスクリームに刺さったクッキーを齧った。うん、久しぶりにこんなに豪華な物を食べた。
「美味しいねー」
そう言う美結の口はさながらハムスターだ。
「喉に詰まらせないでね」
「はーい」
第一陣を飲み込んだ彼女はすぐさま第二陣を口に放り込んで行く。
「悠莉は学園都市から追い出されたらどうするのー?」
「どうする、って。とにかく住める場所を探すしかないでしょう。それこそ京都まで行ければ何とでもなるだろうし」
「ここから京都までどれだけあると思ってるのー?」
「3日で着く?」
「着くわけないでしょー。そもそも、京都に辿り着く前に悠莉が死んじゃう。今の日本には人が住める場所なんて無いんだから」
「侵略者、ね」
パフェに伸ばす手を止めた悠莉は窓の向こう、学園の周りに広がる巨大な街とその先にそびえる城壁を見た。
「あの壁の向こう側は死地。人の住まない荒野が広がる」
独り言のようにポツリと呟いた悠莉を美結はどこか悲しそうに見ていたのだが、悠莉はそれに気付いていない。
「ね、悠莉」
「何?」
「京都まで行かなくても、あると思うの。人が住んでいる街が」
「そうね。あると良いけど」
悠莉は溶けたアイスをすくって喉に流し込んだ。
______。
「!」
「悠莉?」
「……何でもない」
今、何かが私に呼び掛けたような。
見切り発車です。