感傷的な二十四時
過去作品です。
軽く読めるSSです。
受話器を左耳にあてて肩で押さえながら、右手に持った鋏で枝毛を切り落とす。最近、彼との電話中、片手間に何かをすることが多くなっていた。今日は枝毛切り。一昨日はペディキュア。その前は買ったばかりの雑誌を読んでいたっけ。
『ちょっと、聞いてるのか?』
苛々した口調の彼の声で、私は我に返った。左耳でしっかり聞いていたつもりなのに、いつの間にか枝毛処理に夢中になっていた。
「聞いてるよ。で?」
適当に相槌を打って誤魔化した。ふと、自分の言った言葉にデジャブのようなものを覚えた。ずっと前に言ったような。
『式の事だよ。式の。明日は代官山のレストランだよな』
私達はもうすぐ結婚する。付き合いはじめてちょうど五年。そろそろだろう、と思っていた頃、彼がタイミング良くプロポーズをしてくれた。私はあんまり嬉しいとは思わなかった。凄くホッとしただけで。
「でもさあ、代官山って場所的に高いよね」
乗り気じゃなかった。私の両親は保守的だ。レストランのパーティープランで披露宴……なんて、絶対反対するだろう。代官山なんて洒落た所、場所代でお金を持っていかれる。それよりも王道の有名ホテルのプランを値切った方が得策な気がしていた。でも、彼の考えは違うらしい。
『いいじゃん。最近はカジュアルなのが流行ってるんだからさ』
彼は流行に五月蝿い。それがたまに鼻に付く。彼が買う服も、流行にばっかり左右されている。来年着られそうな服、一着も持っていないんじゃないだろうか。毎年毎年買い換える服。不経済すぎる。少し苛々してきて、私は枝毛処理に精を出した。どうせ彼は私の言葉に耳を貸さない。何でも、彼の思い通りにしてしまう。付き合いはじめたばかりの時は、男らしいと思ってウットリしていたものだけど。ただの自己中心的な……いや、やめておこう。これ以上ぶつぶつ考えても、ストレスが溜まるだけだ。結婚後に改めてもらえば良い。「結婚するのやめたら?」よく彼の愚痴を言う私に、女友達は呆れたような声で言う。結婚する前からそれじゃあ、後が大変だよ、と。でも、彼と別れて新しい結婚相手を見つけるほどのスタミナが、私には無かった。
何気なく、壁にかかった時計に目をやった。もう深夜十二時。その瞬間、またデジャブを覚えた。
『あと一ヶ月以内に全部決めなくちゃいけないのか……疲れるなあ』
ため息交じりの彼の声で、ハッとした。やっとデジャブの正体がわかった。
――あと十時間で会えるよ。
あの頃は、時計の針が進むのを眺めては、心を弾ませていた。彼とのデート前夜の電話。明日会う彼の顔を想像して、受話器を両手で握り締めた。ドキドキして指が痺れて、電話の彼の声に集中できなくて。――あれから五年。なんて落差なんだろう。
「……とりあえず、明日代官山の駅十時……ね」
話をまとめ、私は受話器を置いた。毛先を指でつまむ。まだまだ沢山ある枝毛を、徹底的に切ろうと思った。
「伸ばしすぎると枝毛になる……ってね」
独り言を零す。伸び過ぎた髪の先には栄養が行き届かないそうだ。
いっそのこと、髪をばっさり切ろうか。そんな事をしても、彼への気持ちに変化は起こらないのだろうけど。