第5話 ユルシュル姉さん
「なあ、お前、あるふぁずーるの娘なんだろ! 剣使えよ!」
「なんで斧持ってるの?」
「けんしんゆりしーずの娘でしょ?」
そんな事、ばかりだった。アルファズールに生まれたが、剣が苦手な姉さんは、学校で、いじめられてばかりいた。
先生は、気付いていなかった。もしくは、気付かない振りをしていたのかもしれない。
姉さんは、だんだん、家で喋らなくなった。
「ユルシュル、おいで」
「さ、触らないでよ! 止めてッ!」
触れる事すら、出来なかった。
その頃、姉さんは、学校に行かなくなった。それどころか、部屋から出て来てもくれない。
母さんは泣いて扉を叩き、父さんが、小さなユーナを抱いて暗い顔をしていた。俺は、よく、分からなかった。全てを理解するには、小さすぎた。
「どうしましょう・・・。何も食べてくれないし、私、どうしていいのか分からないわ」
「・・・。ユルシュルは、いじめられていたんだな」
「何で、もっと早く気付かなかったのかしら・・・」
泣いてばかりいる母さんに、俺は、どうしていいのか分からなかった。
ある日の事。姉さんは、そっと部屋から出てきた。
「ユリ、エルくん。バケツか何かにお水入れて持って来て頂戴」
「? 分かった、お姉ちゃん」
四、五歳の俺は、素直にそれに従った。
ある日。姉さんの部屋の鍵が開いていた。
「ユリシーズさんっ! きゅ、救急車! 早く!」
姉さんは、手首を斬り、水につけた状態だった。
誰も、俺を責めることなんて出来るはずがない。四、五歳だったのだから。何も、分かるはずなど、無いのだから・・・。
死にはしなかった。当然だ。じゃなきゃ、今姉さんはこの世にいない。
ただ、この事で、姉さんを部屋から出すことに成功したともいえる。鍵も取り上げたし。
その時、母さんは望みを託し、一人の女性を雇った。カウンセラーの人だ。桃色の髪をした人だった。
「ユルシュルちゃん。おはよう」
「・・・」
姉さんが話さなくても、ずっとずっと、話しかけた。姉さんは、殆ど部屋に籠っていた。その人は、常に姉さんと一緒にいるよう言われていた。つまり、その人は、ずっと姉さんの部屋にいた。
その内、姉さんは少しずつ部屋から出てくるようになった。中で、どんなことを話すのか。俺には分かる術が無いのだから、知るはずもない。ああ、そう。頭を動かすだけだけれど、意思の疎通も出来るようになった。
それから少し経つと、姉さんは庭の白い椅子に座って、何処かを眺めるようになった。虚ろな目で、何かを見ているわけではなく、何もないところを、ただ、ボーっと。それを見るたびに、俺は胸が締め付けられるかのようだった。
だが。それも、家の外に出るという、変化があってのことなのだ。
姉さんはだんだん普通に戻ってきた。少しずつ、遠くにも行けるようになった。その頃には、カウンセラーの人は、居なくなっていた。
姉さんは、母さんと一緒にギルドに行った。すると、その日は、久しぶりに、念願の、笑顔を見る事が出来た。
「お友達が出来たんだよ、ユリエルくん」
「! ほんと?!」
「うん。パーティに入れて貰う事になったの」
「よかったね!」
こうやって一緒に喜ぶと、姉さんは、少し照れながら、もっと可愛く笑ってくれた。
そのすぐあと、俺はアルファズールに行ったから、経過はよく分かっていない。
朝。特に異状も見られないという事で、俺は退院する事になった。
家に帰ると、家族に散々言われる。
「なんで連絡してくれなかったの! 迎えに行ったのに!」
「お前は馬鹿か! 昨日の今日で歩いて帰ってくる奴が居るか!」
「ユリエルくん、連絡位しようよ、びっくりしたでしょ!」
「お兄ちゃんって、なんでいっつもそうなの?!」
うわぁ。仕方ないだろ。もうすでに料金は支払われているというんだから、特に誰かに来てもらう必要はかったし。大体、もう元気なんだから、すぐ其処の病院から帰るくらい何でもないだろ。
「ああそうだ。リリィ召喚しないと」
「き、聞いてない・・・」
「おーい、リリィ! 来れるか?」
「うん、何かあったの? 随分呼んでくれなかったからびっくりしたよ」
「悪かったな。何でもないぞ」
リリィを召喚。朝だというのに、準備はバッチリの様だ。
ナデナデしていると、リリィはふわっと微笑んだ。暫く呼べなかったからな、存分にかまってやらねば。
「ねえ、ユリエルくん、今日、暇かな」
「俺か? ああ」
「じゃあ、お姉ちゃんのパーティの人を教えてあげる。一緒においで」
「・・・。ああ。わかった」
一緒にギルドに行く。リリィは暇そうだったから魔界に帰してやった。何故だか、俺から離れることはできないらしい。数分くらいなら離れている事もあるが。ジュースの時とか。
姉さんは三人の女の子たちに手を振った。女の子たちは姉さんに気が付くと、にこっと笑い、俺を見て、わぁ、と声を上げる。ちなみに、声を上げたのは一人。
「この子、ユルちゃんの弟?」
「うん。ユリエルくんだよ」
「へぇ、何歳?」
「一三歳。アルファズール武術学院のSクラスに通っているんだ」
『えぇっ?! すごーいっ!』
なんだか・・・。声を上げた、その一人だけがずっと喋ってるな・・・。青い髪の人だ。
姉さんの友達だというその人たちを、俺はじっと見つめていく。年はおそらく、姉さんと同じ位だな・・・。姉さんの反応からして、相当仲が良いんだろう。楽しそうな顔をしている。
「私、プルネラ。よろしくね、ユリエルくん」
プルネラさん・・・。さらさらした青い髪。特に目立った特徴も無いから、おそらく人間だろう。パチっとした青い目が綺麗。おそらく、このパーティのリーダーなんだろう。
「私はシャンテル。・・・、よろしく」
背が低いから、おそらく小人。人見知りなのか、少し困ったように俺を見ている。キャラメルブロンド、とかいうんだろうか? 少し黄色みの強い茶色の髪をしている。黄色っぽい目の色をしている。
「私はクラリス。ユリエルくん、よろしくね」
尖った長い耳があるから、白魔族だろう。ほぼ白ってくらい淡い金髪に、青い目。優しい笑みを送ってくれた。
「いつも、姉さんがお世話になっているようで・・・」
「何言ってるの。ユルちゃん、とっても強くて、私たちも助かってるんだから」
「あ、ありがとう。私、大して学校も行ってなくて、そんなに強くないと思うけど・・・」
「そう? ユルシュルちゃん、強いと思うよ」
プルネラさんが姉さんを褒めまくっていると、何時の間にかクラリスさんも入ってきた。姉さんは嬉しそうな顔をして、頬を赤らめる。
「でも・・・。みんなが私を強くしてくれたんだよ、ありがとう」
「・・・。もう、ユルちゃん! いきなり何言うの!」
「全く、自覚ないから、立ち悪いよ」
「えぇっ?! ごめん」
ああ・・・。なんか、楽しそうで良かった。俺は、姉さんの事が好きなんだろう。一時期、廃人みたいになっていたけれど・・・。姉さんが、本当は優しい事、ちゃんと、知っていたから。
「ユリエルくんは、ユルシュルの事、好き、なんだね」
「へっ?! えっ?!」
突然のシャンテルさんの声に、俺はびくっとして振り返る。いつの間にやら後ろにいた。
「姉思いなのは、良いこと。私たちが、ユルシュルの事、きちんと、見ているから。安心して」
とても、優しい笑顔だった。
「・・・。はい」
その時、プルネラさんが何かを思い出したように「あ、」と声を出した。
「ねえ、ユルちゃん。フィオンはどうしたの?」
「え・・・?」
「ユリエルくんに紹介した?」
「う、ううん、まだ・・」
・・・? 誰だろうな。よく分からないが、姉さんはスマホを取り出し、カチカチと操作をする。そのすぐあと、ギルド内で着信音が鳴った。
「あれ、フィオン、もしかして・・・」
「ユルシュル! 此処にいたんだ?」
「フィオン! ごめんなさい、気がつかなかった」
「いや、気にしないで。で、この子は?」
「ユリエルくん。私の弟だよ」
・・・。どんな関係か。見ればわかるさ。俺だって、其処まで鈍感じゃないんでな。ただ、俺が言うのも何なので、二人が言うまで黙っておく。
「ユリエルくん、お姉ちゃんたちね、付き合ってるんだよ」
「よろしく、ユリエルくん。フィオンだよ」
「あ、よろしくお願いします・・・」
いやぁ、まさかな・・・。姉さんに恋人か・・・。
淡い茶髪に、紫色の目。ふぅん、黒魔族か・・・。
今、黒魔族が嫌われているのは、わけがある。魔王が復活した。そのことが原因なのだ。
魔王は、魔族を通じてこちらに干渉してくる。弱い黒魔族は魔法に操られ、いつもとは、比べ物にならないほどの力で、町を破壊する。
ただ、強い黒魔族なら、その術にかかることはない為、安心なのだが。
「どうしたんだい? 僕が黒魔族だというのが気にいらないかい?」
「いえ。ただ、少し不安だったもので」
「大丈夫。俺はきちんとユルシュルを愛しているよ」
そうやっていう奴ほど不安なんだよ・・・。姉さんも沢山の人と関わったわけではないから、見極める能力が低そうだしさ。すっごい不安なんだけど・・・。あ、いや、魔族とか関係無く、な。
「ユリエルくん、大丈夫だよ。あ、そうだ。じゃあフィオン。今日はうちにおいで。ユリエルくんと少し話したらいいよ」
「平気かい? なら、御邪魔させてもらおう」
「・・・。はい」
何となく・・・。変な感じがするな。この髪の色、目の色、声・・・。
「あら、フィオンさん、いらっしゃい」
「お義母様、こんにちは。少しユリエルくんと話したかっらもので」
「ええ、いいわよ。入って」
母さんも知っているのか。でも、隠す事くらい、出来るだろうし・・・。
とりあえず、二人きりになった。何を話していいのか分からず黙っていると、フィオンは困ったような顔をする。
「実はね・・・。ユリエルくんに、教えて欲しい事があるんだ」
「・・・。何ですか」
姉さんの誕生日とか言わないよな。
「ユルシュルが、どうしてああなったのか」
「・・・。え?」
どうして、わかった? 俺が目を見開くと、フィオンはニヤッと笑う。
「知ってたんだよ。あの子、何か隠してるでしょ。教えて欲しい。ユルシュルの口から聞くの、なんだか、怖くて」
「でも、俺なんかが、話すか、決めて」
「大丈夫だ。今ユリエルくんが言わないなら、ユルシュルが話さなくちゃいけなくなる。どういう事か、分かるよね」
少し俯いて考える。・・・。もちろん。姉さんが泣きながら話すのは、正直、見たくない。
仕方がない。俺が話そう。顔を上げると、フィオンは嬉しそうに微笑む。
「話して、くれるんだね」
「何で、分かったんですか」
「何となくね。さ、気が変わらないうちに」
少し躊躇ったが、俺は覚悟を決めて話しだした。
いじめの事。自殺未遂の事。カウンセラーの人が来てくれた事。少しずつ、回復していった事。
あぁ、なんでだろう。涙が止まらない。けれど・・・。何となく、すっきりしたような気がする。
「なるほどね・・・。そうだったのか。じゃあ、ユルシュル、相当変わったんだ」
「は、はい。で、でも、姉さん・・・。まだ、人混みに行くのは、嫌だって。どうして、こんな事に・・・」
フィオンは困ったように俺を見る。それから、俺の頭を撫でる。
「ごめん、話させちゃって。俺が、絶対に、ユルシュルを何とかするから。顔を上げて」
「・・・。本当、ですか?」
フィオンはハンカチを出して俺の目を拭う。そっと微笑んだ。
「ああ。もちろんだ」