剣の舞
クルリ クルリ
クルリ クルリ
舞って、舞って
クルリ クルリ
クルリ クルリ
斬って、斬って
クルリ クルリ
クルリ クルリ
刺して、刺して
クルリ クルリ クルリ
クルリ クルリ クルリ
殺して、殺して
勇ましき戦士が集う、西国の闘技場付近。
其処には似合わない、白い髪に白い肌を持ち、白い仮面と白い衣を身に着た道化の様な細身の男が一人。楕円形の闘技場に沿うように、ふらりと歩いていた。
「何だお前、仮面なんか着けて。道化師か? 生憎、娯楽が欲しい貴族は此処には居ないぞ?」
ふらふらと当てもなく歩いて見える其の人が気になったらしい、一人の戦士が後ろから声を掛ける。すると其の人はゆっくりと振り返ると、白い仮面に覆われていない顔の下半分、其処から見える唇で綺麗な弧を描いた。
「此れは、此れは、御親切に……。しかしながら、私は面売り。道化では、ないのですよ」
そう言って否定を示す白い其の人。
しかし、其れは其れで不自然である。
「面売りが何で此処に居るんだ」
「戦いの、見物にでもと……」
「何だ、お前の方が貴族だったのか? ……悪趣味な娯楽好きの、な」
白い其の人、面売りの言葉に対し、若い戦士が鼻で笑い蔑視する。明らかに卑しまれた面売りだが、気にしていないのか、先程と変わらぬ微笑みを維持したまま白い衣を翻し戦士と向き合った。
「いいえ。私は遠い、遠い、北から来た者です。……此の西の地は初めてで、誰か案内をして下さると、助かるのですが……」
そう言って、何処かわざとらしく困った笑みを浮かべる面売り。
「案内な……。俺で良かったら、してやろうか?」
「良いのですか? 御仕事は……?」
「今度、闘技に出るから暇を貰ってるんだ。だから時間はある、やってやるよ」
「貴方が、闘技に……?」
闘技場に出ると言った戦士に、面売りは不思議そうに首を傾げた。闘技場に出場する者と言えば、奴隷か罪人。
しかし目前の戦士は、ただの自由な一般市民に見える。
「あぁ。今度の闘技大会の優勝者は、陛下の一存で賞金を与えられるんだ。しかも身分関係なく、誰でも参加出来る。優勝しなくても生きてりゃ、貴族か何かに兵として雇われる可能性もあるって話だ」
あくまで運が良ければの話だが、此の経緯により一攫千金や出世狙う者が、ここぞとばかりに集っているのだと戦士は言う。
「どうせ陛下の気まぐれ、暇潰しで考えた大会だろうが、この機を逃す手はない」
戦士は上調子に語る。だが、一瞬、彼の其の目は獣の如く鋭く輝いた気がした。
譲れない野望があるかの様に。
「成る程、ね。其れならば、有難い。……あぁ、失礼。名を、伝えていなかった。……私の名は“アジャラ”と、申します」
「“ヘルメス”だ、宜しくな」
握手を交わし、軽く挨拶を済ます面売り“アジャラ”と戦士の“ヘルメス”。軽く握ったアジャラの手は、外気の気温が低くないにも関わらず何故だか氷の様に冷たかった。
其れに対し少し訝しげに眉を潜めたヘルメスだが、気にせず話を進める。
「この帝国は元々闘技が盛んだが、他にも神殿とか劇場とかもある……。で、どうする?」
「貴方が、美しいと思う所に行ければ……充分です」
「そうか? じゃ、金の掛からねぇ所に行くぞ」
そうしてヘルメスが案内した場所は、幾つもの石像が置かれた広間や、手の込んだ彫り模様が施された神殿の外装の他、生活品が揃っている下町。
其処はヘルメスにとって目新しい場所では決してない。が、アジャラにとってはそうではないのか否か、彼は文句を言う事もなく、穏やかに微笑みを崩す事もなく、足音さえもなく、ただ静かにヘルメスに付て行った。
腹の虫が騒ぎ始めた頃。暫し観光案内に興じていたヘルメスが、不意に路地裏の小道に入る。そして、簡素な看板に“酒場”と書かれたプレートが掛けられた店の前で足を止めた。
「此処の店の飯は、安い上に旨くてな。そろそろ昼時だし、此処で食うか?」
「はい、喜んで……」
ヘルメスの紹介をアジャラは素直に受け入れた。其れに気を良くしたらしいヘルメスは顔を綻ばせつつ、酒場への扉を開く。
小汚ない店内では樽を机代わりに酒を飲む、強者ばかりだろう勇ましい戦士が集い、宴会の如く騒ぎ酒を酌み交わしていた。
「どうしたヘルメス! 昼間から酒か?」
其の戦士の中でも大柄な男が一人、ゲラゲラと豪快で下卑た笑みを浮かべながらヘルメスに絡んできた。どうやら彼の知人らしい。
「違ぇよ。てか、お前の方が酒入ってるだろ。顔赤いぞ?」
「バレたか!!」
ヘルメスの指摘に誤魔化す気もない同僚は、真っ赤な顔を更に赤くするかの如くガハハと又も豪快に下卑た笑い声を飛ばした。
仮に誤魔化そうにも片手に杯を持っている時点で、飲酒している事は否めないが。
「ヘルメスさんの、御知り合いで……?」
「あぁ。昔からの腐れ縁でな、“フランツ”ってんだ」
「おぉ! てっきり一人かと思ったら、彼女とデートだったのか! 憎いねぇ!!」
「……彼女?」
赤い顔をアジャラに近付けながら言う腐れ縁の知人もとい友人“フランツ”だが、ヘルメスは誰の事を言っているのか分からず首を傾ける。
「しかも綺麗な容姿してやがる!! 面を取りゃあ、絶対べっぴんだろ!? 取らねぇのか? はっ! もしや、彼氏の前だけ取るのか!?」
其処で初めて、フランツがアジャラの事を言っているのに気が付いたヘルメス。アジャラ自身も気付いたらしく、彼は不敵な笑みは其のままにゆっくりと口を開いた。
「……フランツさん。済みませんが、私は、男。ですよ……?」
そうして静かに告げられた、否定の言葉。
「へ?」
対し、フランツは其の事実を中々呑み込めずに呆けた顔を見せた。そしてニ、三度瞬きをしてから漸く其れを呑んだかと思えば、彼はまた笑い始める。
「いや、済まねぇ! あまりに綺麗だったからよ、てっきり女かと思っちまった!!」
豪快な笑い声と共に、“許せ”と陽気に言うフランツ。其れにヘルメスは呆れつつ、仮にも友人である彼の言動に責任を感じたのか、彼は律儀にアジャラに謝罪をし始めた。
「酔っ払いが酷い事を言って悪かったな。気分を害しちまったなら、謝るよ」
「いえ、いえ。謝る必要など、ありませんよ。たまに、あることですから……」
其のアジャラの口振りから、どうやら初めてではない様だ。
確かにアジャラは背は低くはないものの、身体は細く肌は雪の様に白い。また仮面で半分隠れていて尚、認識出来る整った顔立ち。総合的に見れば、アジャラは女性に間違えられても可笑しくない容姿を持っていた。
誤解の騒動も落ち着きフランツも交えた食事を済ませた後、ヘルメスは店から出るとアジャラをとある高台へと連れて行った。
「明日、日の出前に此処に来てくれ。いいもん見れっから」
其の高台は街全体を見渡せる、絶景な場所。其処に明日も来て欲しいと言うヘルメス。
アジャラは何も疑問に思っていないのか、二つ返事で承諾すると、翌日、彼の言う通り日の出前に其の場に足を運んだ。
そして先に其処で待っていたヘルメスが“よくきたな”出迎える。
「……そろそろか。よく見とけよアジャラ、一瞬だ」
海から太陽が頭を出した、其の瞬間、朱色の光線が全てを照らす。
海は波打つ毎に光輝き、其の先にある地上を朱色と共に覆わんと動いている様だ。
そして街に建ち並ぶ白い壁を持つ家が、其の隙間を埋める様にある石造りの道が、其の隙間を縫う様に走る水路が、押し寄せる朱色の波の様に染まり、街全体がまるで赤い宝石の様に輝く。
「……此れは……」
其の美しさに浸るのも束の間。数秒後、太陽が海から離れた頃には、朱色は引き潮の様に身を潜め、街はいつもの明るさになった。
「秘密の場所だけど、フランツの詫びも兼ねて特別にな。すげぇ綺麗だろ」
「はい……。とても……」
「これを見たのは、多分あんたで三人目だ」
「そう、ですか。……態々、秘密の場所にまで案内して頂き、有難う御座いました」
深々と頭を下げ、礼をするアジャラ。しかし、そんなに畏まれても性に合わず困ると、ヘルメスは早々にアジャラに顔を上げるように促した。
ただ、其れではアジャラの気が済まないのか、彼は不意に白い衣に手を入れ探り寄せると、茶色い物体を取り出した。
「今度、闘技場に行くのでしょう?」
「あぁ」
「ならば、此れを差し上げます。身に着ければ、少しは身を守る事が……出来るでしょう」
彼が取り出した其れは、唐草模様が彫られた仮面。恐らく銅で造られているのだろう、渡された仮面を手に持つと見た目以上の重量を感じた。
「良いのか?」
「今日の、御礼です。どうか、御気を付けて……」
ワァアァァアアアァァァァ!!
翌日の闘技場は、見物客によるけたたましい声が響き合っていた。
「……行くか」
剣を持ち、鎧を着込み、装備を整えたヘルメスは対戦者の待つリングへと足を運ぶ。
今回の闘技大会のルールは至極簡単。形式はトーナメント制の勝抜式。
敗北条件は負けを認めるか、死ぬかのみ。
(今回は、今までの大会とは訳が違う。負けても生きてりゃ健闘賞を得れる可能性がある)
振り上げたヘルメスの剣が、対戦者を鎧諸とも叩き付ける。
(……が、優勝しなきゃ意味が無い)
反撃させぬまま、間髪入れずに剣を突き出せば、其れは対戦者の喉を簡単に引き裂く。
(だから勝つんだ。相手が誰であろうと……!)
次いで壊した鎧ごと胸を貫ぬけば、血が止めどなく吹き出る。
(何であろうと……!!)
戦いが終わる頃には、斬った分だけ浴びた返り血がヘルメスを紅く染めいた。
雄々しい闘技が一先ず収まった其の日の晩。初めて会った日に訪れたあの酒場で、アジャラとヘルメスは夜食を共にしていた。
「闘技場で、見ましたよ……。勝ち残れて、何よりです」
「まぁな。けど、今日で終わりじゃ無い。人数が人数だからな、優勝するにゃまだまだ掛かる」
「そう、ですか。どうか、無理をしないで……」
ヘルメスの宣言通り、翌日も、翌々日も戦いは続き、彼は勝ち残ろうと剣を振り続けた。
そんな日々が続いたある日の黄昏時。ヘルメスは返り血を拭く事もなく、高台から街をぼんやりと見詰めていた。
「どう、しました?」
偶然か、其処に居合わせていたアジャラが、気になったのだろう彼に声を掛ける。
「アジャラか……。今日な、フランツを斬った」
「フランツさんを……?」
腐れ縁の仲だと、酒場で共に過ごした、あのフランツを。
「あぁ。あいつも、参加してたんだな。知らなかったよ……」
そう言うと、ヘルメスは着けていた銅の仮面を外した。其の下に隠れていた瞳からは、涙が零れ落ちている。
「いつも通り、首を掻っきったら、相手の兜が落ちてな……。フランツって気が付いた時は、もう、息してなかった」
ただ呆然と、暗闇に染まりつつある海を見詰めるヘルメス。きっとフランツを斬った時も、此の様な顔をしていたのだろう。
放心状態のヘルメスに、アジャラは此処で初めて一つの疑問を投げ掛けた。根本的な一つの疑問を。
「……ヘルメスさん。貴方は、何故、闘技に参加したのです? 何故、戦うのです……?」
他者を殺す闘技場に。友人を殺す闘技場に……
何故?
アジャラの問いにヘルメスは戸惑った顔をしたが、少し間を置くと断片的な言葉をぽつりぽつりと紡ぎ始めた。
「夢が、あんだよ」
「夢……?」
「俺は帝国に遣えるただの平兵士。つまり、使い捨ての駒に過ぎない……」
そう言って、ぐいと、手甲を外した手でヘルメスは涙を拭った。次いで開けられた彼の瞳は、涙を止めどなく流していた所為で腫れ、赤く充血している。
「戦が始まったら、捕虜として奴隷になっても、何も出来ないまま死んでも可笑しくない。だから、まだ自由で平和なこの時に……確かな華を咲かしてぇんだ」
「華、ですか」
「あぁ。一人の戦士としての華をな……。ろくな実績を残さないまま、俺は終わりたくない」
赤く充血した瞳を細め、にかりと明るく笑うヘルメス。
「それと……。優勝したら、華を咲かす事が出来たら、やりたい事がある」
そう言うとヘルメスは顔をしかめ、少し迷った様な表情をした。が、やがて迷いは断ち切れ何かの決心が付いたらしい彼は、不意に立ち上がるとアジャラと向かい合う。
真剣な眼差しを向けて。
「アジャラ、一つ頼みがある。聞いてくれるか?」
「良いですよ。貴方には、色々と御世話になりましたから……」
「有難う、アジャラ」
けたたましい歓声の中、ヘルメスはリングに立った。決勝の時が始まるのだ。
(これで、最後だ)
決意を胸に、ヘルメスは剣を構える。そして、始まりの合図と共に対戦者の元へ駆け出した。
キインッ
刃が弾き合う音が響く。こうして決勝まで勝ち残ったヘルメスだが、其れは相手とて同じ事。やはり生半可では勝てない。
おまけに対戦者は鎧で全身を固め、急所どころか生身の部分も狙えず、容易に剣を突き刺す事は叶わない。
(仕方ない。悪いが兜を取らせて貰う)
このままでは埒が明かないと判断したヘルメスは、兜の薄い箇所一点を狙って剣を叩き付けた。
ビキリと音を立てひびが入った兜を、追い討ちを掛けるように、更に斬りつける。と、ヒビが広がり兜が割れ、対戦者の素顔が露になった。
現れたのは、見目麗しい女性。
「……ナターシャ……?」
見覚えのある彼女の顔に、ヘルメスは思わず振り回していた剣を止めた。
「……ヘル、メス……? その声、ヘルメスなの?」
聞き覚えのある声に、女性も剣の動きを止める。
「久し振りだなナターシャ」
見目麗しい其の女性の名は“ナターシャ”。かつて家と家柄が近いのを理由に幼少期を共に過ごした、ヘルメスの幼馴染み。しかし兵の職に就く為に彼が家を出た頃に疎遠となっていた存在。
「お前も参加してたのか、女の癖に」
「ふふ。今回の闘技は“誰でも参加可能”がミソですもの」
そう言って破顔するナターシャだが、其れでも女性が闘技に、しかも自ら参加するなど特例以外の何物でもない。
そうまでして、闘技に出場したい理由があるのだろうか。一瞬、疑問に思ったヘルメスだが、今はそんな事などどうでも良く其れは直ぐ思考から消去された。
「しっかし、何年振りだ? こんな所で会うなんて、縁ってのは面白いな」
「本当に奇遇ね」
「感動の再会をしたいが、場所が場所だ。其処で一つ提案がある」
「何?」
「ナターシャ、降伏してくれ」
簡潔に、率直に、ヘルメスは剣をナターシャに向けつつ志願した。
「嫌よ、全てが無駄になってしまう……。貴方が、降伏してくれない?」
「それは出来ない」
其処はやはりと言うべきか、二人共拒否した降伏。どちらも譲らない意向に、ヘルメスは舌を鳴らしナターシャは眉を潜めた。
どちらかが負けを認めなければ、殺す他ないからだ。
「……嫌よ。貴方を斬るなんて……」
「俺もだ。だが、勝たなきゃいけないんだ!」
怒気を含むが如き雄々しい掛け声と共に、ヘルメスは地面を蹴りあげナターシャに剣を振るう。
『アジャラ、一つ頼みがある』
ナターシャは其の剣を払い、そのまま仮面を斬りつけ彼の顔から剥がした。
『もし俺が負けたら』
しかしヘルメスは怯む事なく、仕返しとばかりにナターシャの剣を弾きその手中から遠ざける。
『もし俺が死んだら』
万事休すと目を瞑ったナターシャ。だがどういう訳か、幾ら待っても痛みは一向に来ない。
不思議に思って彼女が目を開ければ、ヘルメスが剣を振りかざした姿勢のまま固まっている姿が伺えた。
「俺、なんで勝ちに、こんなに拘ってたんだろうな……。本末転倒も良い所だ……」
「ヘルメス……?」
「最期に、お前を見れてよかった。目が、覚めた」
寸での所で剣を止めたままだったヘルメスは、何を思ったのか、剣を構え直したかと思えば其れを己の喉元に向けた。
「ナターシャ、優勝おめでとう」
刃が首に触れているのにも関わらず、にかりと朗らかに笑うヘルメス。
そして、
「じゃあな」
紅い血が、ナターシャを染める。
勝者が決定した事により騒ぐ観客、野次馬。だが当の本人であるナターシャは何が起こったのか判らず呆然と佇んでいた。
そんな彼女にアジャラは、周囲の音さえも遠ざける様な存在感と共に、静かに近付いた。
「優勝、御目でとう御座います。ナターシャさん、ですよね……」
「優勝……?」
「はい」
アジャラはナターシャへ穏やかな微笑みを向ける。と、ヘルメスに近寄り、其の細身に似合わぬ力でもって彼の亡骸を抱えた。
「……貴方は?」
「ヘルメスさんの、知人です。……あぁ、そう、そう。明日、日が出る前に……高台に来て貰えますか?」
そう言い残して、彼はヘルメスを抱えたまま、文字通り姿を消した。
だが思考が低下しているナターシャは其の不可解な現象に気付かず、ただ“高台”と言う言葉が頭をぐるぐると廻っていた。
翌日、ナターシャはアジャラが待つ高台に訪れていた。其処は彼女にとって、酷く懐かしい場所。
其の記憶の底を辿れば、此処にはよくヘルメスと共に訪れていた事が思い出される。しかし共に訪れていた彼の姿は何処にも見当たらない。
否。もう、見る事は叶わない。
「あぁ、良かった。来てくれましたか……」
此処に居たのは死した彼ではなく、死した人間の様に白いアジャラのみ。
そんなアジャラの目前には、ヘルメスの代わりにと言わんばかりに立つ、一つの十字架があった。
彼がよく海含めた街全体を見渡す為に立って居た其の場所に、簡素な造りながらも細密な唐草模様が彫られた、小さな十字架。
「この十字架、貴方が……?」
「はい。頼まれたので……。其れから、遺言を預かっています」
「遺言?」
「はい……。彼は、夢があると言っていました。もし戦士としての、華を咲かす事が出来たら……告白をしたいと」
貴女に。
「もし死んだら、此の高台を教えてくれた……貴女の名を共に彫って欲しいと。そう、言っていました」
自分の墓に他人の名を彫るとは、一体どんな趣向をしているのかとナターシャは少しの憤りを覚えつつ十字架に彫られた文字を確認する。
途端、辺りが紅く染まった。
朝日が昇ったのだ。
「綺麗、ですね」
「えぇ……。久し振りに見たわ……」
だがナターシャに写る、街と同じく紅く染まった十字架は歪んでいた。
彼女の瞳からはぽろぽろと止めどなく、涙が零れ落ちていたからだ。
『アジャラ、俺が死んだら此処に俺の墓を造ってくれ。そして、墓にこう刻んでくれ』
“ナターシャ、愛してる”
涙腺が、其の文字を読んだが為に緩んだからだ。
「ア~ジャラ!」
用を済ましたアジャラが高台から降りた後。散々と朝日を浴びる家の影から、一人の少年が飛び出して正面から体当たりしてきた。
其の少年はアジャラと同じく銀色の髪を持つ、十二歳程の少年。
「……おっと」
小さいながらも容赦のない攻撃に、アジャラは数歩後退りしたものの、体勢を崩す事無くしっかり受け止めた。
「見てたぞ見てたぞ! 女を泣かせるたぁ、罪な野郎だな」
アジャラにへばりついた体勢は其のままに、少年は顔を上げ、磨き上げられた宝石の如く輝く紅い瞳を彼へ向けた。しかし、口元はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。
「私は、頼まれた事を行った……。其れだけですよ」
「お前、他人の頼み聞くような奴だったのか!?」
無遠慮に驚愕の声を上げる銀髪の少年に、アジャラは心外そうに溜め息を吐いた。
「失礼な。私も、手助けくらいしますよ。だから、優勝出来る様、銅の仮面を……渡したというのに」
しかし其の仮面は戦闘中に取れた為、彼の目論見は叶う事は無かった。アジャラはもう一度、不服そうに溜め息を吐くと
「次は取れない様にしないと、ね」
少年に負けず劣らず、何処か嫌な笑みを零した。
「あ、なんだ。手助けとか言っといて結局遊んでただけか」
「……はて、何の事やら」
素知らぬ顔で戯は言うと、少年を軽々と持ち上げ自身の肩に乗せた。
そして再び、静かに歩き始める。
「次は、何処で……戯れましょうか。ねぇ」
ルシファーさん。