白狐と白虎
東に住まう、
白狐は気高く。
西に住まう、
白虎は勇ましく。
似つかぬ双方、
反発し合う。
白き衣、
入り交じりながら。
日はとうに暮れた夜の町。其処から少し離れた広間を照らすのは、屋台に設置された鮮明に輝く電灯と、電柱を拠り所に縦横無尽に張り巡らされた紐にぶら下がる、淡く輝く提灯。
其の提灯に刻まれているのは“祭”の一文字。
そう、今日は此の町の小さな祭日。
パンッ! パンッ!
町の商店街に立ち並ぶ出店の一つ、射撃場にて響く柔らかな銃声。
其れと共に、玩具の銃からコルクの弾が放たれる。しかし、標的の商品には当たらぬまま地面に転がる羽目となった。
「あ~! くそ、倒れねぇ」
狙いを外した一人の少年が、頭を掻きながら嘆く。
「下手」
隣に立つもう一人の少年が、彼の失態を嘲笑う。
其の少年二人の浴衣も外見年齢も、身長も顔も瓜二つ。そう、二人はれっきとした双子である。
「タケはいつも力任せだなぁ。急所を狙え、急所を」
「うるせぇぞタカ!!」
しかしながら、常に熱血な“タケ”。常に冷静な“タカ”と、性格はまるで真逆。
「タカはいつもいつも口ばっかだな! ちゃんと行動してから言えよ!!」
「悪いけど、タケの遊びには付き合ってられないから」
「お前バカにしてんのか!? ほんっと、いつもノリが悪ぃよなぁ。もっと楽しめよ!」
「楽しんでいるさ。ただ、タケみたいに表に出していないだけで」
「ほんっとに一言多い奴だな……」
そうしてタケとタカは何だかんだ時間を潰し、祭りも終盤に差し掛かった時。締めの花火を見に、二人は屋台から離れて町の離れに流れる河原の方に向かった。
「ん? あんなとこに屋台?」
其の道中。ふと、タケの視界に小さな屋台が目に入った。薄暗い中、ただ一つ光を放つ其の屋台。の、金網に飾られた動物から人間、怪物まで様々な形を型どった仮面。
つまり其の屋台は、面売り。
「妙だな、他の屋台とは随分離れてる」
其のタカの声が聞こえたらしく、かたりと荷物を動かす音と共に、屋台の裏から白い影が姿を現した。
「此れは、此れは、双子の稚児。御面は……如何?」
現れたのは、肩ほどまでに伸びた銀の髪に透き通る様な白い肌を持ち、白い衣を身に纏った奇妙な男。そんな彼の顔を半分覆い隠す白い仮面が、道化の様な滑稽さと御化けに似た薄気味悪さを醸し出している。
仮に屋台の灯りがなくとも、暗闇に白く発光していそうだ。そう思ってしまうぐらい、彼は白かった。
ついでに言えば屋台の灯りは電飾ではなく、白提灯のみ。其の淡い光は男を幻想的に染め、浮世離れした存在感をより際立たせている。
「鬼の面に、般若の面。西欧の面も、ありますよ?」
身体の芯に響く様な低い声音と共に、面売りの唇が、綺麗な弧を描く。
顔を半分覆い隠す仮面。其れは顔の上半分である目元のみを隠すハーフマスクの為、口元の表情はよくわかった。
「へー、色々あんだなぁ」
「それにしても、なぜ他の屋台からこんなに離れてるんだ?」
感心しているタケを余所に、タカは面売りに問う。
他の屋台はみな商店街や広間、または花火の会場である河原に並ぶのみで、鬱蒼とした草木が視界を狭める其の道のりに屋台を設置するのは不自然だからである。
「其れ、ですか。ふふ……。花火を、なるべく近くで見たくて、ね。彼処からでは……遠いでょう?」
くすくすと、滑稽そうに笑いながらそう答えた面売り。確かに、屋台から花火を行う場所は遠い。
しかし、
「だからといってわざわざ移動するか?」
タカの鋭い指摘に、面売りの唇が誤魔化す様に再び弧を描く。
「ふふ……。稚児は、賢い。実を言うと、遅刻を、してしまってね。今更、彼処に向かうのが……恥ずかしいのですよ」
面売りは屁理屈染みた言い訳をすると、多種多様な仮面が飾られた金網に白い手を伸ばし、其処から一つの面を取り外した。
「賢く気高い稚児には、白狐の面が、似合うでしょう」
渡されたのは、真っ白な型の上に朱色で狐の紋様を描いた、簡素ながらも美しい面。
「あっ、なんだそれかっけぇ! なぁなぁ、もう一個ないのか!?」
其れのデザインに惹かれたタケは羨ましがり、駄々っ子の様に手足をばたつかせながら面売りに必死にねだった。
「ありますよ。しかし、勇ましい稚児には、白虎の面の方が……似合うでしょう」
口元の笑みはそのままに、面売りは再び金網に手を伸ばす。そしてタケに渡したのは、真っ白な型の上に朱色で虎の紋様を描いた、簡素ながらも美しい面。
「ん? なんかさっきと違う“ビャッコ”だな」
面売りがタカに渡した面も、タケに渡した面も彼は“ビャッコ”と呼んだ。しかし、形が違う事にタケは首を捻る。
反対に、タカは納得した様に頷いていた。
「なるほど、言葉遊びか。俺は白い狐でタケは白い虎。確かに両方とも“ビャッコ”と言うな」
「へ? そうなの?」
「……。タケ、お前はどこまでバカなんだ」
「バカって言うなよ!」
呆れられ馬鹿にされたタケが頬を赤く染めながら、タカに文句を言う。其れに対し、また悪態を吐くタケ。に、反発するタカ。
同じ事で繰り返しぎゃあぎゃあと騒がしく言い争う二人を見て、面売りは静かに笑い声を零した。
「微笑ましい事だ……」
面売りの、他人の視線に気付き我に返った二人は、思い出したかのように赤面した。其れに伴い訪れる暫しの沈黙。
其の殺伐とした空気がを気にしてか、面売りは沈黙を破り、不意にこんな事を言ってきた。
「……面とは、面白いものでね。顔を隠す事も出来れば、ココロを写す事も、できるのですよ」
渡した“ビャッコ”はその一例と、面売りは付け足す。
「成る程なー。白いとこと読み方で双子を表して、模様で性格を表すのか。面白ぇな。」
「あぁ、気に入った。買おうか」
「毎度あり……」
二人は面を買うと、面に付けられた赤い紐を首に掛け後ろに下げた。
「よおし、んじゃ帰ろう!!」
「花火はどうした。花火は」
「あ、忘れてた」
タカに指摘され、タケは家に向かって出し掛けた足を踏み、止め慌てて方向転換する。
鬱蒼とした茂みの先、河原の近くへ目をやると、既に人だかりができ第一球が打ち上げられようとしている事が推測出来る。
「急ぐか!」
「あぁ」
駆けて行く二人。其の姿と、打ち上げられ始めたた花火を見ながら面売りはぽつりと独り言を呟いた。
「今宵の火花は、艶やかさがない……」
酷く詰まらなそうに、呟いた。
翌日。タケは自宅の部屋にて、自分の勉強机に置いた白虎の面をじっと見詰めていた。
「どうしたんだ、タケ」
同室であり、タケとは反対側の壁に勉強机を持つタカが、横目の視線だけを此方に向けて問い掛ける。
「いや……。この面は、何で作られているのかなと思って……」
「木か何かじゃないのか?」
そう言うタカに、タケは面を手で持つと、持ち手と反対側の手で軽く叩きながらこう答えた。
「それにしては堅いし重い。けどうすいんだ。変な面だよな」
「柄にもなく鑑定ごっこか? 素材など、普段気にもしないくせに」
「別にいいだろ!」
日常茶飯事である筈のタカの悪態が、今日は妙に癪に触り、タケ思わず白虎の面を彼に投げつける。其れは真っ直ぐ標的に向かうと、見事にタカの後頭部に命中した。
「タケ……。お前な……」
意外と痛かったらしく、タカはぎりりと歯噛みをしながらタケを鋭い一瞥を送る。
「わ、悪かったな!」
案外、素直に謝るタケ。普段ならば頑固なタケが謝った此の時点で、多少文句は言おうが適当に流して終わる。
筈なのに、今日は何故だか怒りが収まらない。
感情が抑えきれなくなったタカは、すくりと立ち上がりタケの前で直立した。
「タケ! お前は何時も身勝手だな!!」
「なんだよ! 謝ったじゃねぇか!!」
「一度死ね!!」
言うだけ言ったタカは、足取り荒く部屋を出る。そしてバンと大きな音が出る程に思い切り扉を閉め、何処に行ってしまった。
「タケの奴、思い切り投げやがって……」
外に出たタカはブツクさと文句を言いつつ適当に走っていると、白い影が視界の端に写った。
銀色の髪に白い肌、白い服に顔半分を隠す仮面を着けた白い影。河原の近くに佇む其れは、昨日の面売りだと気付き、彼はふと走る足を止めて面売りに歩み寄る。
「おや……。此れは、此れは、白狐の稚児……」
すると面売りも気付いたらしく、白い衣を翻しタカへ身体を向けた。
「散歩、ですか?」
「まぁな」
タカがそう答えると、昨晩と同じ様に、面売りの唇は綺麗な弧を描く。
「傍らは、居ないのですか?」
仮面越しに伝わる面売り視線が、タカの周囲を泳ぐ。其れに加えて“傍ら”と言われれば、昨晩の出来事と相まって誰の事を言っているのか直ぐに判った。
「タケか? 今はいないな。双子だからって、いつも一緒にいる訳じゃない。むしろ……」
「いつも、反発してる、と?」
にっこりと微笑みながら、面売りはタカの台詞を遮った上で真をつつく。
「当たり。まぁ、見てればわかるよなぁ」
「……。反発は、罵倒を飛び交わす……」
ぽつりと、面売りが独り言の様にそう呟いた。
確かについ先ほどまで口喧嘩をしていたのだから、其れも真実で間違いないだろう。其の旨を伝えると、彼は続けてこう言った。
「知って、いますか? 言葉には……魂が、宿っていると」
「言霊のことか?」
「そう。言葉には力が宿っている……。どうか、気を付けて……」
面売りは意味深にそう言うと、くるりと身を翻し河辺にそって歩き始める。
タカから遠ざかる白い影。しかし此のまま別れのは、さざ波が引いていくが如く妙に名残惜しく感じる。せめて最後にと、タカは彼に言葉を投げ付けた。
「おいっ、面売り!」
「はい、何ですか……?」
振り返らぬまま、面売りは応える。
「えっと、その……」
何か何か、言いたい。
「な、名前は何て言うんだ!?」
咄嗟に出たのは其の言葉。しかし客とは言え、他人であり面売りと至極無関係な人間であるタカが訊いても、仕方がない気がした。
失敗したなと内心ぼやいている彼に反し、面売りは身体は正面に向けたまま、顔だけを後ろに向けると
「“アジャラ”と、申します」
そう、名乗った。
後日、タケは高熱を出した。
同室に設置された寝台の上で、大量の汗をかきながら唸り、苦しむタケ。タカが“死ね”と言ったからまさか本当に叶ったのだろうか。だが其の真相は今はどうでもいい。兎に角、今はタケを助けたい。
『言葉には力が宿っている』
アジャラの言葉を思い出したタカは、手を合わせ、何度も何度も祈った。言葉で傷付ける事が出来るのならば、言葉で癒す事も出来る筈だと。
「神よ、神よ。お願いだ。タケを助けてくれ。たった一人の兄弟なんだ…!!」
懺悔に近い祈り。すると其れが届いたのか、横になったまま眠っていたタケが不意に目を覚ました。
「タカ……?」
「タケ、よかった! お前三日も寝込んでたんだぞ!?」
「腹、減った……」
タケは虚ろな瞳で呟いた。
「そうか、腹が減ったか」
「肉……」
「よし待ってろ、今何か……」
部屋を出ようとしたタカの腕を、タケは掴んだ。
「肉……」
「タケ、どうした?」
「肉、喰いてぇ。今すぐ」
「タケ……?」
言うが早いか。タケはいきなりタカの頭を掴んだかと思えば、人とは思えない力で力任せに首をもぎ取った。
新鮮な血が部屋を、床を、寝台を、タケを紅く染める。其の姿はまるで、密林の王者。
ガブリ
空腹を訴える身体を落ち着かせる為、タケは朦朧とした意識の中で試しにタカの腕にかぶり付いてみた。
鋭い犬歯が食い込み、肉を引き裂く音が辺りに響く。
しかし、
「まじぃ」
しかし味覚は人のままだからか、生肉は美味しく感じない。
するとタケは何を思ったか、勉強机からライターを探り出すと、其れを床に落す。そして、タカ諸とも部屋を焼き始めた。
木製の床によりは瞬く間に火が広がり、カーペットも寝台も其の上の布団も箪笥も机も壁紙も、其の中の壁も、ゆっくりと、確実に黒く焦がし火の海と化させる。
「お、これだったらいけるな」
タケは嬉しそうに、部屋の中心で燃えるタカにかぶり付く。餌にかぶり付く猛獣の様に。狐を喰らう虎の様に。
自らに火が移っても気に止める事なく、彼は只々肉に喰い付く。
ぼんやりとした彼の思考。其れは喧嘩をしたあの日、扉に向かって言った事を思い出していた。
『だったら死ぬ前に、お前を食ってやる。この白虎みたいに』
片手に持った白虎の面で、白狐を小突きながら。
冗談だった筈である。悪意も何もなかった筈である。しかし、タケは“其れ”を口に出して言った。
言ってしまった。
火と血で紅く染まった部屋の壁には、全てを見届けるが如く、ビャッコの仮面がただ静かに鎮座していた。
「……おや、だから、忠告したというのに……」
アジャラの唇が、綺麗な弧を描く。
町の傍らに佇む彼の視線の先には、燃え上がる一つの民家。
「……言霊は、力をもたらす……。例え其れが、本意でなくとも……」
くすりと、アジャラは口の端を持ち上げて、怪しく微笑む。
「例え其れが、誰であろうとも……。だから、忠告をしたというのに……」
白虎に喰われるな、と。
「其れとも……もう、ビャッコの面に、呑まれていたのか……? しかし、見たい物が見れた」
そう呟きながら、アジャラは、全てを焼き付くさんと燃え上がる紅の炎を見詰めた。
「嗚呼、いと、艶やかな……」
何処か感涙に浸っているかの様な、うっとりとした声音を紡ぐアジャラ。
そして充分に堪能したと思ったのか、不意に身を翻し民家に背を向けかと思うと、既に彼の姿は其処には無かった。
神出鬼没な面売りアジャラ。
他者に面を売り、
己のココロを満たす。
されど所詮、其れは戯れ。
融通無碍な面売り戯。
次は何処ぞで戯くる?