最後の日
リュシンさんがメイドのユンさんとなって現れてから、数日が経った。
私はまだアジャスト・ウルセイルの屋敷にいる。
あの日リュシンさんは、私の食事が終わるとすぐに部屋を出て行った。
幾つかの注意を、私に促して。
リュシンさんが告げた内容は、纏めるとこんな感じだ。
ひとつ、食事は自分が運んだもの以外絶対に口にしない事。
これを告げてから、食事はほとんどリュシンさんが持って来てくれている。
ごくたまに他の人が持って来た時は、食べずにリュシンさんに渡された袋に入れて隠し、空の食器を戻す。
お腹はすくけど、こういう時も、どんなに遅くなっても後でリュシンさんが軽食を持って来てくれるから、空腹のままで過ごす事はない。
ただ、突然天井から音もなく部屋に降り立たれたから、物凄くびっくりして危うく悲鳴をあげそうになり、それに気づいたリュシンさんに即座に手で口を塞がれた。
あれは、あらかじめ言っておいて欲しかった……。
まあそれは最初だけで、次からはそんな事はなくなったけど。
ひとつ、夜はしっかり眠る事。
これについては、特に問題はなく守れている。
何かやる事があるとかで、屋敷にはいるものの昼間は側にいないリュシンさんも、夜には部屋に来て、側についていてくれるから、安心して眠る事ができている。
……ただ、寝顔を見られているかもしれないと思うと、ちょっと……いや、かなり恥ずかしいけど。
そして、そんなリュシンさんはいつ眠っているのか心配になるけど、尋ねたら、昼に数時間仮眠を取っているから大丈夫らしい。
その話をした時に、もう一人、隠密部隊の隊員がこの屋敷に潜入している事を教えてくれた。
仮眠はその人と交代で取っているから、万一の時の私の警護も問題はないそうだ。
ひとつ、この屋敷にいる人間は、どんなに優しく見えても、決して信用しない事。
これは、言われるまでもない。
私にとってここは、誘拐犯の根城なんだから。
でも、そんな場所でも、同じ建物の中にリュシンさんがいてくれてると思うだけで、心穏やかに過ごしていられる。
リュシンさんが来てくれる前の不安や絶望感が嘘みたいにない。
自分がリュシンさんを本当に、心の底から信頼しているんだと、思い知った。
★ ☆ ★ ☆ ★
「アイラさん、お待たせ。遅くなってすまない」
「あ、ううん、謝らなくていいよ。……けど、今日は本当に遅かったね? 格好も、メイド姿じゃないし……どうかしたの?」
その日もやっぱり天井から降り立ったリュシンさんの姿に、少し目を見開いて尋ねる。
いつもはメイド姿のままで来るのに、今日はリュシンさん本来の姿に戻っている。
「城から連絡がきたんだ。ついに証拠が揃った。今夜中には片がついて、明日の朝には迎えがくる。城に帰れるよ、アイラさん。何日も不自由な思いをさせたけど、もう終わりだから。明日を楽しみに、今日はもう眠るといいよ」
「えっ、ほ、本当に!?」
「ああ。だから、安心しておやすみ、アイラさん」
「うん……! おやすみ、リュシンさん!」
思いがけずリュシンさんからもたらされた吉報に、私は胸を弾ませながらおやすみの挨拶を口にして、いそいそとベッドに入って、目を閉じた。
…………のだ、けれど。
「……リュシンさん……どうしよう、眠れない。眠気、吹き飛んじゃったみたい……」
いつまで経っても訪れない眠りに、私は再び目を開けてぼそりと呟いた。
すると、リュシンさんが小さく笑う声が聞こえてくる。
「……いつもなら、それならもう少し話でも、って言うんだけどね。さすがに今日は無理かな。明日、寝不足顔をしたアイラさんを陛下の御前に連れて行くわけにもいかないから。軽く、睡眠の魔法をかけるよ。いいかな?」
「あ、うん。わかった、お願い」
「じゃあ、目を瞑って」
リュシンさんの提案に私が頷くと、リュシンさんは私の顔の上に右手をかざした。
それを見て、言われた通りに目を閉じる。
瞼の向こうから、微かな光が降り注いだのを感じたのを最後に、私の意識は深く沈んでいった。