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ゴードン  作者: M
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プロローグ

プロローグ




「ゴードン!立ってよ!」

「ゴードン…」

 白い肌に、黒髪の少女二人が取りすがる。十歳を過ぎるか過ぎないか程の彼女達は、眉をひそめ、愛らしい唇を震わせて「立ってよ」「立って」と、繰り返す。

 鉄の巨人は、身体を横たえたまま、動こうとしない。

「どうしよう、尼亜(にあ)

「どうしよう、沙羅(さら)

 手と手を取り合い、肩を震わせ顔をすり寄せ合う。辺りは、都会のビル群が凪ぎ倒れ、殺伐(さつばつ)としている。埃が舞い、視界も定かではない。ゴォォォと、どこからか爆音。

 また、破壊された。双子は思った。少女たちは、一ミリ違わず、同じ顔、同じ声。

「…沙羅、尼亜、スマン」

 地鳴りのような、低く聞き取りにくい男の声。鉄の巨人が身体を震わせ、双子に呼びかけた。

「ゴードン!動けるの?大丈夫?ねえ、大丈……」

「しっ、静かにするのダ」

 乱れる感情を抑えて、双子のうちの一人が両手を握り締めた。もう一人が、巨人の背にすりよって、ため息を漏らす。彼の命が尽きていないことに、心底安心したようだ。

「ゴードン…?」

「まだダ、まだ終わってはいないのダ、最後にもう一発、でかいのが…」

「嫌だよ、嫌だよ、もういいの」

「沙羅、来るわ…」

「!」

 錆色の空から、真っ赤な炎の塊が、彼らめがけて物凄いスピードで降ってきた。双子はすかさず、お互いの手をとる。ゴードンと、呼ばれる鉄の巨人は一つ目を光らせる。

「尼亜」

「沙羅」

「やろう、これできっと最後だよ」

「終わらせましょう」

『トワイメイポーン』

 二人は同時に、万年筆をとった。只の万年筆ではない、貝殻の柄に、黄金のペン先をもったこの世にたった七つの万年筆。胸の前でぐるぐる回し、呪文を唱える。

『巨人は、満身創痍(まんしんそうい)の巨人は 立ち上がって、』

 描いたペン先から、文字が零れ落ちた。黒い美しい文字たちは、空気の中を自在に飛び回っていた。そして、双子の言葉の通りゴードンは立ち上がった。

「ぐおおおお」

 唸り、引きちぎれそうな全身の筋肉を震わせて鉄の巨人が、その全貌を見せた。赤く錆びたカラダに、機械の心臓。甲冑を思わせる頭部には、赤く丸い一つ目。

『両腕を前に突き出して 迫りくる隕石に立ち向かった 咆哮(ほうこう)し、』

「うおおおおおおおおおおお……」

『巨人は 奇跡の力で神の棍棒の一薙ぎをかわし、奇跡の力で悪魔となりし』

ゴードンは、一つ目を光らせて、迫りくる炎の固まりより降り注ぐ、火の粉を両腕で払った。

腕に付いている金の輪が、自動的に外れる。太い幹のような足を踏ん張って、吹き荒れる風を全身で受け止める。彼が庇っているのは、怪しげな言霊を唱え続ける双子の少女だ。彼女達は寸分違わず口をそろえて予言する。手にした万年筆は、絶えず空中に文字を描く。

『悪魔よ さあ 神の怒りを跳ね返せよ』

そこで、巨人から見て右側の少女、沙羅が瞳を閉じて万年筆を空に掲げた。尼亜は、文字を書き続けている。そしてニヤリ、嗤った。そこで、彼女は初めて一人で言霊を放った。

「巨人は世にも恐ろしい ゴードン・パンチを放ち、神の手を破壊した」

ゴードン・パンチ…?

沙羅が、眉をひそめる。尼亜は満足げに肯く。沙羅は少し戸惑いながらも、巨人に向かってありったけの大声で、

「行けぇぇぇゴードン・パァァァンチ!」

至って真面目に、安易な必殺技の名を叫んだ。

「おうっ、行くゾ、ゴードン・パァァァンチィ!」

至って真面目に、巨人は左腕を突き出した。二人のスカートが激しく揺れた。轟音を伴って、巨大隕石が彼らの目と鼻の先に。巨人が風に逆らって付き放った左腕に食い込んだ。それは一瞬、止まって見えた。

―――!

「……」

「……っ、やった…?」

音もなく、隕石は消滅。二人の手から、万年筆がいつの間にか消え、あたりに満ちていた土埃が晴れる。陰惨たるやその光景に、しばし息を飲む双子。彼女たちの足元に、巨大なクレーターができあがっていた。

そこに飲み込まれた、かつての都市。その残像に、小さなひざを震わせ、少女たちは手を着いた。

「終わったの?」

「いいえ、戦いはこれからよ、沙羅」

「尼亜…」

「もし、尼亜たち以外で、生き残っている人間がいたら…」

「その人たちも、伝説の五魔神を所有しているかも、しれないね…」

「ゴードン、きっと元の世界へ返してあげるね」

「沙羅たちを守ってくれて、ありがとう」

 巨人から見て右側の少女が、瞳の光を失ってもなお立ち続ける鉄の巨人、ゴードンの熱した間接部分を撫でる。ぷしゅ、ぷしゅーと蒸気を放ちながら、その不恰好な巨人は肯いた。

「お安い御用ダ、沙羅、尼亜」

 えへへ、双子は煤だらけの頬を真っ赤にして、笑いあった。褐色のショートボブが、風に煽られ揺れる。破壊され尽くされた町に、朱い西日が射した。

 雲母が空一面に広がり、その黄金の光は地上に降り注ぐ。光り輝く大地では、ボロボロに崩れ去った生活の破片と、新しく芽吹いた命とが、共存している。

 沙羅と尼亜、そして鉄の巨人ゴードンは、目に見える範囲で最後の生き残り。おそらく、この日本に立っているのは彼女たちくらいなものだろう。

ノストラダムスの神の棍棒が、一九九九年の今日、世界を破滅させた。




 遡ること、二四時間前。双子は、まだゴードンを知らない。

 古びた界隈(かいわい)に、ひっそりと佇む街の本屋。真鍮の眼鏡の老人が、店番をしている。店の看板は朽ち落ちていたが、出入り口の脇の金のネームプレートに【オズワルトの古本屋】と記されている。古い字体で、駄菓子屋のような愛らしいフォルムである。

 オズワルトとは、店の店主の名。店番の老人は、店主ではない。彼の名が一体何なのか、近所の住人も知りはしない。そんなことは、どうだっていいことだから。

 そして、ここに毎日通う少女の名も、此処の住人にとってはどうだっていいことだった。此処は横浜、日本である。しかし、オズワルトの古本屋に、世界の港都市らしさはない。裏には竹やぶが茂り、付近一帯はレンガ造りか木造。近くには墓地や山があり、ヨーロッパの酪農場を想像させる。空気が湿っている外は、夏らしくない寒さや放し飼いの犬などが、日本離れした町並みを印象付ける。駅までは歩いて四〇分弱。バスも通らない工業都市の一角。

 大体が教師か、建築家の類が住んでいる。彼らのモードは、常に外へ外へ向いている。誰も、町の古本屋に通う少女を知りはしない。

 そして、誰もが少女は一人きりと思い込んでいた。

 双子の姉妹、沙羅と尼亜だ。

 彼女たちは、交互に本屋に顔を出す。真鍮眼鏡の老人と、親しげに挨拶を交わす姿を、不思議に思う者はない。何故なら、オズワルトの古本屋の客は、交互にやってくるこの幼い少女だけだから。

 黄ばんだ、分厚いガラス戸を押し開け、ギシギシと音のなる漆喰の上を歩き、おかっぱ頭の少女は螺旋(らせん)階段を上り、いつもの定位置である二階の西側窓の前の床に座る。そしていつも、適当な本を一冊、読み終わるまで帰らない。

 その日は、妹の方の尼亜が、本屋に顔を出す番だった。双子が決めているわけではない。沙羅は月水金に練習のあるバトミントン部。尼亜は、毎週火曜日のみに活動する科学部と、木曜に定期会議のある生徒会に属している。二人は、お互いが、同じ古本屋に顔を出していることを知らない。たまたま、ここが自分だけの秘密基地と思い込み、たまたま、顔を合わせずにいるだけだ。

 水曜日。夏休み前の沙羅は、次の大会に向けて必死になっている先輩を、応援していた。おとなしい尼亜と違って、沙羅は何にでもすぐ熱くなった。髪の毛を一つに縛って、体操着姿で手を叩く。

「ファイトー、エイッ、ファイトー、エイッ」

「いっけー、行け行け行け行け…」

 少女たちの威勢の良い声援に応え、三年生が弓のようにカラダを曲げて、飛び上がった。

 パンッ

 体育館に、切れの良い音が響く。饐えた樹木の独特の臭いと、思春期の少年少女たちのすっぱい汗の臭いが混じり、熱を帯びる。顔を真っ赤にして、沙羅と沙羅の友人は手を叩き、先輩たちの名を叫ぶ。

「あ・さ・みっいけー、ファイッ、いっけーあさみっ」

「そーれそれそれっ、今だ、さやか、さやか、さやか」

バトミントン部は、幽霊部員も多い代わりに、熱血部員も多い。彼らにいったん火がつくと、体育館の主と化しているバスケ部も、そうそう文句が言えない。体育館を網で半分に仕切って、隣のコートでシュート練習をしている少年たちは、飛び上がる度にまくれ上がる、バトミントン部女子のスコートをちらちらと、覗き見る。熱血部員と化しているバトミントン部は、誰も気付かない。後ろめたさのある男子バスケ部は、バトミントンの羽が飛んでこようが、ラケットが散らかりっぱなしであろうが、何も言えないのである。

 怒号にも似た声援。むせ返るような臭いを放つ体育館を尻目に、帰ったはずの尼亜が何故かまだうろうろしていた。暑さの為に開けっ放しになっている、体育館の扉を気にしながら、下駄箱を行ったり来たりしている。

「沙羅」

 双子の姉の名を呟き、長いまつげを瞬いて、小さな唇を振るわせる。制服のないこの中学校で、沙羅と尼亜はいつもお揃いのワンピース姿だった。ホクロの位置まで寸分違わないものだから、どんなに親しくしている友人も、彼女たちを必ず間違える。

「あれ、沙羅…?だよ、ね?どうしたの?」

 こんな調子だ。尼亜は、喋ったこともない二組の女子に顔色も変えず首を振った。

「…わたし、尼亜の方」

「ああそうなんだ、ゴメン、こんな時間に学校いるの、珍しいね、忘れ物?」

ホットパンツの女生徒はにっこり微笑みながら、そう聞いた。彼女は、確か沙羅のクラスの友達で、バスケ部のマネージャーだ。尼亜は、逡巡(しゅんじゅん)した。しかし、すぐにあきらめた様なため息を漏らし、またもや首を振った。

「沙羅を、待っているの」

「…六時までは、片付けとかあるし、帰れないんじゃないの?バド部、もうすぐ試合らしいもん、まだ四時半だよ?」

「だから、迷っていたの、沙羅を呼び出そうかどうか…アナタ、バスケ部のマネージャーでしょう?お願いだから、沙羅を連れ出して来て欲しいの」

 懇願(こんがん)する尼亜に、足のすらりとした女生徒はVサインで応えた。ほっと胸を撫で下ろす尼亜に、彼女はウィンクしながらこう言った。

「アナタじゃなくて、堀千恵巳(ほりちえみ)だよ、千恵巳って呼んでいいよ、ヨロシクね」

「…あ、よろしく、千恵巳ちゃん」

「いいって、呼び捨てで」

「千恵巳…」

「オッケー、沙羅呼んでくるから待ってってね」 

一瞬、堀千恵巳は、尼亜が胸に抱いている分厚い本に目を奪われる。そういえば、さっきコートに入る前に、沙羅もそうして本を抱えていた。まるでドッペルゲンガーだ。

首を振ってもう一度、待っててね、と言った。

「…うん」

 尼亜は、下くちびるをきゅっと結んで、恥じらいながら肯いた。小動物を髣髴(ほうふつ)とさせる、尼亜や沙羅の黒目がちの瞳は、見るものに愛執を覚えさせる。目じりが垂れ下がっているものだから、大きな宝石のようなその瞳が、零れ落ちてしまうのではないかと思わせる。

 小さくて白いその両腕に、しっかりと握り締められているのは、古く分厚い本だ。十センチ以上の厚みを持ったその本は、白い皮の衣をまとい、銀の刺繍で【トワイメイポーン 下巻】とある。四方に、さねかずらと剣を模した刺繍が。表紙には、鳩の文様が描かれている。その刺繍を人差し指で撫でながら、尼亜は座り込んだ。

 北側の体育館出口から、沙羅を伴って千恵巳が出てくる。千恵巳が尼亜を、指差した。

 サラサラの栗毛を揺らして、尼亜は勢いよく立ち上がり「沙羅」と、急かすように大声を張り上げた。その切羽詰った表情に気付いてか、沙羅は走って尼亜の元へ駆けつけた。

「尼亜?どうしたの?」

「大変よ、沙羅聞いて」

「え?どうしたの?」

 スポーツバックを肩にかけ、汗で塗れた体操着姿の沙羅は、眉をひそめる。

「とにかく、大変なことになってしまったのよ」

 尼亜は、沙羅がまだ自分の元にたどり着かないうちに、まくし立てた。普段、全くといって動揺しない妹の焦り口調に、沙羅もただならぬ気配を察した。

「オズワルトの古本屋、沙羅あなた、あそこに通っているんでしょう?凄い秘密を、知ってしまったの…どうしましょう、あそこのおじいさん、とても恐ろしい人だったのよ」

「ちょっと待って、何がなんだかわかんないよ、ゆっくり、落ち着いてよ」 

 沙羅の細い腕が、息を荒げる尼亜の肩をしっかりと抱いた。尼亜は、びくっと震えて、思わず抱いていた本を廊下に落とした。

【トワイメイポーン 下巻】

「……これ、尼亜?」

「え」

「これ…」

 落とされた本を凝視しながら、沙羅は自分のスポーツバックから、分厚い赤い皮装丁の本をおもむろに取り出した。十センチ以上厚みのあるその本も、相当に古く読みにくい装飾字体で、表紙に【トワイメイポーン 上巻】と、刺繍してあった。

 同じく、さねかずらと剣、鳩のデザインだったが、尼亜の持つ下巻よりもずっと地味なデザインである。金のその刺繍自体も、ところどころ解れていて、尼亜の物よりもさらに時代の古いものと分かる。

 双子は、顔を見合わせた。

『トワイメイポーン?』




 水曜日。今日は、尼亜がオズワルトの古本屋へ行く日だった。学校帰り、迷わず本屋へ急行した彼女は、いつもの通りガラス戸を開けて、古い螺旋階段を上り、窓枠の下に陣取った。沙羅を呼び出しに学校へ戻る、僅か三十分前のことだった。

 お話がたっぷりつまったこの本屋は、尼亜だけの秘密基地だった。小さな少年たちがそうであったように、彼女もまた、自分だけの、誰にも秘密を持っていたかったのだ。

 しかし、その日、不思議なことが起こった。

いつも彼女以外にいないはずのお客が、今日に限って二人もいたのだ。尼亜は、自分だけの聖域が侵されたような気がして、悲しくなった。

「ふぅん、どうやらここは古紙回収を商売にしているらしいぞ」

「いやいや、綺麗な色ばかり陳列されている…きっと此処は、婦人服の色見本屋さ」

姿は見えなかったが、尼亜以外に男が二人、床をギシギシと鳴らしている。おかしな会話をしながら、男たちは、右へ左へ行ったり来たり。

「それより、此処には食べ物がないらしいな」

「けしからん」

 この人たち、本屋を知らないのかしら。

 立ち読みもしないし、買いもしない。ただ、本棚を眺めている様子の男たちに、尼亜は興味を持った。手にした本を棚に返し、忍び足で男たちの後を追った。

 けれども、膨大な古本に阻まれて、なかなか男たちの姿を見ることができない。二人とも、野太く低い声だった。

「おや、見たまえ、下のほうにご老人がいるようだ」

「ほう、それよりも後方に少女が我々をつけて来ているようだが?」

 尼亜は、聞き耳を立てて本棚に張り付く。どうやら、バレてしまったようだ。しかし、それならば何故、姿を見せてくれないのだろう。

「かまわん、言葉は通じないだろう」

「そうだな、此処はどうやら異国の地、とうてい言語理解力のある生物がいるとは思えぬ」

 ギシギシと、床を鳴らして進む二人の男。本棚のすぐ向こうに居る。だが、積み重ねられた古本に阻まれて、尼亜は次の通路へ行くことができない。しかたなく、下のほうの棚から、本を取り除き、そこに頭を突っ込んで見ようと考えた。

床に両肘を着いて、勢いよく本を掻き出し、すっからかんになった棚に頭を押し込んだ。泳ぐように手を広げ、無理やりに目を開く。

 と、そこで尼亜が見たものは、二人の男などではなかった。

「きゃあっ」

 金切り声で悲鳴を上げて、尼亜は気を失いそうになった。大慌てで口をふさぐ。

「驚いているぞ?」

「…面妖な所から顔を出すな、我々の方が驚くよ」

「きっと、先の戦争で身体を失ったのだろう、頭しかないんだ」

 肯きあう二つの影は、天井に届くほど大きい。黒光りする身体は、どう贔屓に見たって、人間のものではなかった。盛り上がった手足や、渦を巻く機械部分など、ロボットのような造りをした巨大な人。

「我々の言葉が分かるかね?我々は魔神だ、驚かせてすまないな」

「ダメだ、分かってない」

「紳士たるもの、淑女への挨拶は誠意を込めねばなるまい?言葉が通じなくとも、我々の誠意は伝わるだろうよ、お前も謝れ」

「ふん、どうかな、恐怖で怯えているぞ、逆効果のような気がするよ」

 その通りだった。尼亜は、大粒の涙に溺れながら、抜けなくなってしまった頭を、ひっきりなしに、本棚にぶつけている。両手を踏ん張って、身体のほうへ頭を引き寄せるたびに、がつん、がつんと、後頭部を木の本棚に叩きつけている。

「ふっ…うっ…いやぁ…」

 しゃくりあげ、体中をわなわな震わせて、尼亜は必死に顔を戻そうと試みた。

 クロガネの巨人は、どうやったのかすぅっと、床を滑って尼亜を覗き込んだ。二体の恐ろしいロボットに、文字通り手も足も出ない尼亜。

「ふむ、これはなんだろうな」

「生物の分泌液だろう、おい、何をしている?汚いだろう」

「調べるだけさ」

 一体の巨人の指が、尼亜の陶器のような頬を伝う涙を、掬い上げた。真っ赤な一つ目でじっとそれを睨み、調べ終わったのか、それを又、尼亜の頬に上手に戻した。

「危険はなかった、おそらく、眼球の渇きを防ぐためのものだろう」

極めて精巧な仮説に満足し、巨人たちは彼女から離れた。尼亜はぽかんとして、巨人たちを目で追った。彼らは壁になっていた本棚を左へ曲がって…。

 尼亜はぎょっとなって、今度は身体を首のほうへ寄せようと、必死に前へ前へ地を蹴った。

 ワンピースのレースの裾を蹴っ飛ばす。二人の巨大ロボットが、尼亜の身体側の通りに曲がって来たのだ。気配がだんだんと近づく。尼亜は、泣きながら肩を本棚の枠に入れ込む。片手が出た。

 しかし、首が引っかかった程の場所。到底、彼女の身体ごとは入れない。だが、混乱している尼亜は、それしかできない。

「先ほどの少女の身体部分だな」

「そうか?やけに小さく思えるが」

 もがく尼亜の身体を見下ろして、それぞれ勝手なコメントをする。

「頭部の比率が大きいんだろう、この壁を壊してやろう、どうやらはまってしまっているだけらしいからな、……えらく脆そうな壁だな」

「ああ、ツメ一本で何とかなるだろう」

 言うなり、巨人の刃物のようなツメが、尼亜の背中と上部の棚板との間に入り込んだ。その冷たさに、すくみ上がる尼亜。

 ばきっ、ばきばきばき…

 並べられた本ごと破壊して、尼亜の嵌ってしまった箇所だけ大きく広げられた。彼女はすかさず、飛び上がって逃げた。

 壁のほうまで這って逃げ、両手を合唱して釈迦に祈った。何故か六波羅蜜(ろくはらみつ)を唱えながら、必死に煩悩と戦う。巨人たちは追ってはこなかった。ただもう、恐ろしくて恐ろしくて、尼亜はガタガタ震えながら手を合わせた。

「何の音じゃ」

 そこへ、救いの主。本屋の店番のおじいさんだった。

「おお、言語理解能力のあるご老人だ、早速ですまないが、ここは何処かね」

 巨人が、老人に問う。真鍮眼鏡の老人は、全く同様の気配もなくこう言った。

「現実の世界じゃよ、本の中の住人たち」

 尼亜は、耳を疑った。

「一体、どういうことだねご老人?」

「お前さんら、どの異世界から来たか知らぬが、ここは世界を繋ぐ場所じゃ、ここにある本の数だけ、異世界が存在する、この場所もまた、本となっているだろうがのう、まあ、言っても理解されないのはいつものことじゃ…それ、お前さんら今まで何をしてきたか答えてごらん、わしが、元居た世界へ戻してしんぜよう」

 鷲鼻の老人は、声を擦れさせながらそう言った。尼亜の中に、かすかに残っていた好奇心と恐怖心が、せめぎあった。一体何が起こるか知りたい、でも怖い。

「我々は、戦争をしていた」

「王国の正義のために、我々は戦っていた」

「しかし、何故か気が付いたら此処に居たのだ、おそらく昨日から、ずっと…眠っていたのだよ、この色見本屋でね」

「目覚めたのはつい先ほどだ」

 交互にそう言う。

「ああ、それは伝説の五魔神が活躍する【トワイメイポーン】という童話じゃったのう…おや、おかしいのう…お前たちのような新兵部隊は、上巻で活躍するはずだが…下巻しかないのう、まあ良い、戻すのは簡単じゃ」

 老人は、チョッキから、くたびれた洋紙をとりだした。茶色く黄ばんだそれを、巨人たちのほうへ掲げると、呪文を唱えだした。

 遠めに覗き見ていた尼亜には、しかしその呪文は聞こえなかった。だが、先ほど巨人に追いかけられたのよりも、恐ろしい光景を目の当たりにするのであった。

 黒い鉄の巨人たちが宙を舞ったのである。ぐにょりと、身体が曲がるのをしっかりと見た。

 いつもは穏やかな表情をした白髪の老人が、厳しい眼光で彼らを射抜き、もごもごと呪文を唱えながら、洋紙を掲げている。ひゅんひゅんと、光と風につつまれながら、巨人たちは竜巻に遭ったように身体をくにゃりと曲げて、洋紙の中へ吸い込まれてゆく。

「ほーほっほっほー、ははぁ、ほーほっほっほー」

 本屋の老人は快活に笑い、黒い巨人たちをすっかり吸い込んだ洋紙をぎゅっと抑え付ける。そして、リズム良くその紙きれで紙飛行機を折ってゆく。

「ほっ、ほっ、ほいっと」

 それを、西側の窓に向かって投げる。洋紙は、翼が生えたように自由に飛び回り、晴れた空に、白いシミの様になって、どこかへ飛んでいった。

 床に這いつくばって、老人にばれないように一部始終を目撃した尼亜は、目をまあるく見開き、今見たものを、信じられなくなっていた。

「いったい、なんだったのかしら…」

 老人が、何食わぬ顔で一階のレジに戻ったのを確認した後、そう一人言した。彼らの去ったその後に残されていたのが、白い皮に、銀の刺繍。

【トワイメイポーン 下巻】だったのだ。尼亜はそれを持って、階段を下った。何事もなかったかのように、古い木の椅子でパイプをふかす店番のおじいさん。

「これ、お幾らですか?」

 尼亜は、おそるおそるそう尋ねた。おじいさんは、白い眉毛を片方上げて尼亜を見やる。

「ああ、そうだった、上巻は売っちまっとったんだ…、思い出したわい」

 ぎしっと、椅子に深く腰掛けなおすおじいさん。まじまじと見つめる尼亜。

「探したってないわけだ…お嬢さん、昨日も、買って行ったじゃろう?わしは、その時値段を

言わなかったかえ?」

 とんっと、パイプの柄で机を叩き、目を細めてそう言った。

 尼亜は、昨日は科学部で、悪がきどもと一緒に、なまこに電流を流して遊んでいた。オズワルトの本屋に来たのは、おとといだ。昨日は、間違いなく来ていない。

 そこで、はっと気が付く。

 沙羅。双子の沙羅が、もしも昨日この本の上巻を買っていたとしたら、老人が間違えるのも無理はない。なんだ、自分だけの秘密の場所と思っていたのに、二人して交互に通っていたのだろうか。

「おじいさん、値段は忘れてしまったわ」

「毎日通って来てくれるから、お嬢さんだけは特別に無料じゃよ、と言うたのじゃ」

「…ありがとう」

「いいさ、明日もおいで、いつものように」

「…はい」

 明日は、生徒会だ。つまり「いつものように明日来る」のは、尼亜ではなく、沙羅。間違いない、この本の上巻を買って行ったのは、沙羅だ。

 尼亜は、思いつめた表情で、駆け出した。たった今起こった、世にも恐ろしいことが、心臓を揺らす。裾を翻して、彼女は学校へ駆け戻った。

 何故だろう、胸騒ぎがした。




「…どうしましょう、沙羅、あんな恐ろしいことがあるなんて」

 尼亜は帰り道、長いまつげを瞬いて、そう言った。急いで早退してきた沙羅は、彼女を慰め川べりを並んで歩いた。二人とも同じワンピースに、それぞれ分厚い本を抱えている。沙羅がスポーツバック、尼亜が小さなハンドバックを持っている。

 黙って聞いていた沙羅も、神妙に肯いた。尼亜が嘘などつけないのを、沙羅は良く知っていた。彼女のした恐ろしい体験は、本当なのだ。

 だがしかし、ありえるだろうか。沙羅は、前に抱えた赤い皮の本を見つめてため息を漏らした。本の中から、巨人が出てくるなんて聞いたことがない。黄昏に染まる高い空を見上げながら、沙羅は何気なく本を開いた。

 尼亜は、すっかり話してしまって、何度も頬を両手で包み込みながら、歩いた。初夏独特の草花の匂い。双子の横顔は全く同じだ。

 上向きの唇に、円い鼻。大きく、目じりの下がった黒い瞳。うるうるのショートボブ。真っ白の肌。まるで、人形のような容姿。やわらかい風に吹かれて、川面が揺れた。

「あ…うそ、尼亜ちょっと、これ見て!」

「どうしたの、沙羅」

「本が…」

「!」

 尼亜が息を呑んで、沙羅は本の一ページを凝視する。黄ばんで、ボロボロの洋紙に描かれた茶きんの文字は、“尼亜は おびえた”と、あった。

 “尼亜は おびえた 二人の鉄の巨人は 老人の摩訶不思議な力に導かれて 世界の門を再びくぐった 異界の少女は、ただ黙って二人を見送った そんなことがあるものか、と 兵のひとりは 疑った しかし、じきに二人の鉄の巨人が 帰ってきて 事態は事なきを終えた だが、勇兵の不在の影響で 王国との戦いが 長引いてしまった 王はついに、一体目の五魔神を 召喚することにせん 王は厳かに 真っ黒い球体、ロングバックチェアの『はじまりの玉座』へ赴いた”

「尼亜って、そうそうある名前じゃないよね」

「珍しいよね」

「二人とも、鉄でできてた?」

「たぶん」

 双子は、互いにページを凝視しながら会話した。やわらかい、風が凪ぐ。と、そこで尼亜が気付いた。

「あ、このページ…折り目!」

「……紙飛行機」

「うん」

 そのページにだけ、折り目がしっかり付いている。真ん中から、放射状に伸びた折り目。紙飛行機を折った後の折り目だ。

「沙羅の国語のテストと、おんなじ折り目よ」

「やだ、沙羅ったら、またそんなことして…」

「だって、時間余ったんだモノ」

 沙羅のひとり言に、尼亜が呆れる。

 ぱたんと、沙羅は本を閉じた。

「気にしすぎると、ハゲるらしいわよ?ここで沙羅たちが考えても、どうにもならないよ」

「それはそうだけれど…」

「ヒーント、虎穴にはいらずんば虎児を得ず」

 くるりと一回転。羊雲をバックに、桃色夕日の逆光を浴びて、八重歯を覗かせる沙羅。

「嫌だ、尼亜はもう嫌だよ!」

「嫌だ、尼亜はもう嫌だよ〜」

「真似しないでよ、意地悪、沙羅」

「意気地なし、尼亜、壊れちゃった本棚とか、そのままかどうかとか、おじいさんが何か知ってるかーとか、気になっちゃって、沙羅は眠れないもん、確かめに戻ろうよ」

「うえー」

 尼亜は、顔をゆがめて心底嫌そうにした。お構いナシで、沙羅は今歩いてきた川べりを引き返し始めた。くるんと軽く、身を翻して一人きりで、行ってしまいそうになる沙羅に、尼亜はしぶしぶ付いて行った。

「何かあっても、知らないから」

 憎らしくて、沙羅の背中に言葉をぶつける。

「何があっても一緒だよ」

 突然、立ち止まって呟く沙羅。

「…わかってるよ、もう二度と沙羅の手を離さないんだから」

 尼亜は、後ろから沙羅に飛びつき、手を握った。俯いて、一瞬真剣な相貌をした沙羅も、つられて微笑む。きゃあきゃあとじゃれあいながら、二人はオズワルトの古本屋への道を行く。

 日は、沈みつつあった。ゴードンと出会う、八時間前のことである。




 沙羅と尼亜が双子であることに、腰を抜かして驚いたのはオズワルトの古本屋の老人だ。先ほど帰っていった常連客が、今度は二人になって戻ってきた。入ってきた二人の珍客を、わしも歳かのうっと、目を擦っていた。

「沙羅です」 

「尼亜です」

「おじいさん、この本なんだけど…」

「尼亜はさっき見ました、巨人が出てきたでしょう?いったいどういうことなんです?」

「教えてください、おじいさん」

「教えて」

「お願い」

「お願いです」

交互になって、カウンターに近づく双子に、老人は目を白黒させ、頭を振った。

「何がなんだか…ああ、良い、そうか、双子だったのじゃな?年寄りを驚かすでないわ、まあまあ、落ち着いて、まず座るのじゃよ」

 双子は顔を見合わせ、沙羅は左側の円椅子に、尼亜は右側のソファーに腰掛けた。沙羅の椅子は激しく軋み、今にも折れそうになるし、尼亜のソファーはその場に居る全員が咳き込むほど多量の埃が舞い上がった。

「けほっ、けほっ…」

「ほっほっほーう、よしよし、これで落ち着いて話ができるのう、さて、お前さん達が双子で、わしを驚かせたことはまあ、罪に問わないとして…」

 老人は、おどけてそう言った。沙羅と尼亜は、上唇を噛んで、まあ!という顔をした。お互いに見合い、老人に視線を戻す。手にはしっかり、赤い皮の本と、白い皮の本。

「その本は、まずこっちの赤い皮の上巻がだいたい三〇〇年前に書かれた物で、白い皮のほうは一〇〇年前に書かれた物じゃ、二つとも童話でありながら恐ろしい戦争の話じゃ……作者を見てみたまえ」

「アラン・オスカー…?翻訳者は書いてないわ」

「こっちも、同じ!」

「三〇〇年前と」

「一〇〇年前が、同じ?」

「ありえないわ」

「アラン・オスカーが本名かどうか、同一人物かどうかは分からぬ、しかし、この筆名で出された著本は、すべてが惨酷な結末の童話…一六九九年から一八九九年まで、多くの本があることは事実じゃ、彼が何者かどうか、古本屋仲間達に聞いても、誰も、分からんのじゃ」

 沙羅は目をまるくして、尼亜は口をぽかんと開けて、自分の持っている本を穴が開くほどじっと睨んだ。どんなに睨んでも、アラン・オスカーが何者なのか分かるはずもない。

「これがこの本の第一の不思議、更にのう、ああ、ええっと…さっき鉄の巨人を見てしまったのはどっちじゃ?」

聞かれて、二人は同時にぱっと顔を上げ「尼亜の方」と、言った。

「…どっちじゃ」

 老人は、困って双子を交互に見た。最初に名を名乗られはしたが、声も違わぬ、服装も同じでは分からない。双子は、何故分からないんだと思い、首をかしげた。

 彼女達は、今日は割りと見分けの付きやすい日だと思っていた。沙羅は、髪の毛を一つに結わいて、スポーツバックを地面に置いて、円椅子に座っている。尼亜は、レースのカチューシャにおかっぱ頭、小さなバックを膝に抱えている。こんなに違うのにと、肩を上げ、しかたないなあと、尼亜が手を挙げる。

「わたしが、尼亜」

「そうか、ソファーの方だな」

 老人は、そう覚えた。そのうちすぐに、分からなくなってしまうのだが。

「尼亜よ、さっき見たことは、誰にも言ってはいけない」

「沙羅に言ったけど?」

「…誰じゃ?」

「わたしが、沙羅」

「ほっほっほー、まったく、ややこしいのう…まあいい、ここの三人だけの秘密にするんじゃよ?とにかく、本の第二の不思議、アラン・オスカーの描いた童話は実は現実になるのじゃよ、すぐには信じられないだろうがね、さっきのように本の中の登場人物が、身体を持って出て来てしまうのじゃ…困ったことじゃ、しかも、ここ数年頻繁に」

「嘘、嘘だわ」

「嘘じゃないわよ沙羅、尼亜は見たんだもの、信じましょう?」

「ありえないわ、じゃあ、さっき尼亜を襲った巨人というのは、沙羅の買った本から出てきてしまっていたことになるじゃない?沙羅、そんなの知らないよ」

「それこそ、嘘じゃな」

「え?」

「…っ」

 老人は、真鍮眼鏡を指で押さえ、にやりと笑った。不穏な空気が流れた。埃っぽい店内で、三人の視線が交錯する。

「のう?」

 老人は、再び沙羅に向き直った。尼亜は、疑いと困惑の眼差しを向けた。一人、本を握り締めてじっと震える小さな膝に視線を落としていた少女は、小さく息を吐いた。

「…まさか、本の中から出てきたなんて思わなかったの」

「やはりのう、鉄の巨人を召喚したのはどうやらお嬢さん、アナタじゃな」

『そ、そんなっ』

 双子は同時に身じろぎした。沙羅は、信じられないという表情で、尼亜は、沙羅を信じている表情で。老人は、その反応に満足そうに肯いた。

「そして、眠っていた二人の巨人を起こしてしまったのは、こちらのお嬢さんじゃ」

『え、尼亜が?』

 尼亜は自分を指差し、沙羅は尼亜を指差す。二人が、全く同じタイミングで動くので、老人は「まったく、ややこしい…」と、小声で言った。

「つまりじゃ、おぬしら双子には何か特別な力が備わっているのではないか…と、そういうことじゃよ、誰もおぬしらが悪いとは言うておらん、まあ、そうやって【トワイメイポーン】を手にしていても…」

それぞれ指を指されて、本と、お互いと、そして老人へ視線を移す。双子は、上唇を舐めて、老人の言葉を一言も聞き逃すまいと、真剣な表情をした。

「何も起こらないトコロを見ると、本に近づいただけで、本の中の住人を現実世界へ呼び寄せてしまうだとか、そういった訳ではなさそうじゃ、一体何が決め手でそうなってしまったのかはワシにもわからぬが」

 首をひねる。双子も真似して首をひねって「そんなこと、言われても」「ねえ…」と、井戸端会議のおばさんのように肯きあった。

「言ったじゃろう、ワシにも分からぬ…ただ、ワシは昔から本から出てきてしまった住人を元の世界に戻すことのできる不思議な能力を持っている、だからおぬしらも、きっとそういう星の元に生まれ付いてしまったんじゃろうのう……何か、起きるのかも知れんなぁ…」

老人は、予言した。双子は、いよいよ不安になってお互いの手を握り合った。

「尼亜」

「沙羅」

『怖いわ』

 テレパスのような二人の行動に、老人はにっこりと笑った。

「ほっほっほー、案ずるでない、また同じようなことが起こったら、ワシの元へおいでワシはいつだってオズワルトの古本屋にいるのじゃから、店番は、店がなくなってしまわない限り、番をするもんじゃ」

 老人は、もう一度快活に笑った。双子は、眉をひそめて未だ不安そうだったが、彼はまったくのお構いナシだ。

「その本は、おぬしたちを選んだのだから、大切にしてやっておくれ」

 最後に、真鍮眼鏡の老人はやさしい声でそう付け加えた。いつの間にか、太陽が沈み、紺碧のビロードを引いたような空に、宝石のような星が煌いていた。雲ひとつない夜空に、双子は心を奪われ、吸い寄せられるように外へ出た。古いガラスに木枠の、重く分厚い扉を押し開け、古本屋を出た。

「ええ、大切にするわ」

「今日は色々、ありがとう…また明日」

「明日は沙羅よ」

「どっちでも、いいじゃない」

「ほっほっほー、では、明日のう」

『おやすみなさい、おじいさん』

 沙羅がオズワルトの古本屋の敷居をまたぐことは、二度となかった。老人と幼い少女二人の約束。明日、世界は悲劇に変わる。

 



「沙羅、沙羅」

「どうしたの?尼亜」

「なんだか、変な感じがするの」

「本のことでしょ?実は沙羅もね、変な感じ…」

 町が寝静まった頃、二人は布団から顔を出して、互いを確かめ合った。隣の子を起こさないように、寝室から忍び足で出た彼女達は、まっしぐらに自分のロッカーへ向かう。

 その日の深夜である。廊下の窓から、真っ赤で大きな満月。ひたひたと、裸足で歩く。

「あら?」

『……!』

 突如聞こえた人の声に、二人は口を押さえて慌ててしゃがみ込んだ。そのまま這うようにして、空いていた食堂に滑り込む。直後、T字の廊下を曲がって、懐中電灯を持った女性が現れる。見回りをしているようだ。

「おかしいわね、確かに物音がしたと思ったけど…」

 優しそうな三十代くらいの女性は、エプロンを正して、すぐに又もと来た道を戻っていった。

 息を殺して、彼女が居なくなるのを待っていた双子は、慎重に、何度も確認して誰も居ない廊下にそぉっと顔を出した。

「見回り、消えましたぁー」

「ご苦労だった、さあ行くぞ軍曹」

「あいあいさぁ」

 おちゃらけながら、彼女達は玄関横にあるロッカールームへ。

「ヤバかったね」

「見つかったら、また座禅させまくられるところね」

「だってもうすぐ十二時だよ?こんな夜中に座禅堂、開けないでしょ?」

「じゃあ、明日朝一で?」

「うわっ、そっちのがキツイ」

 沙羅は、身震いした。湿っぽい空気が流れる。二人は、お揃いのスモッグのポケットから、鍵のじゃらじゃら付いた塊を取り出した。沙羅には水色のストラップ、尼亜には緑色のストラップ。これもお揃いのモノだ。中から同時に、金色の小さなロッカー鍵を見つけ出し、隣同士のロッカーを、これまた同時に開けた。

 かちゃん、とフックが落ちて私物入れの大型ロッカーが手前に開く。二人とも、殆ど同じものが入っている。双子だからではない。ココの子供たちの持ち物は、殆ど同じなのだ。

 その中央に鎮座する、分厚い書籍を同時に掴んで出すと、無言でそれをじっと見つめた。「なんだか、変な感じ」

「本が、尼亜を呼んでいる…」

「沙羅も、呼ばれている気がするの」

「なんでだろう、胸騒ぎがする」

「ドキドキする」

「クラクラする」

『不思議、この本を見ていると、私が私でなくなりそう…』

 がちゃん、物音が廊下から聞こえ、双子はぱっと顔を上げた。又、見回りだ。こっこっと、ヒールを鳴らして、白いエプロンの女性が向かって来る。少女たちは、無言で肯きあった。

「尼亜」

 沙羅が、尼亜の腕を取り、二人は裸足で駆け出した。

 白いエプロンの女性が、ロッカールーム前の踊り場で見たのは、沙羅の水色のストラップだった。彼女は特に不信感も抱かず、玄関ホールにある可燃ごみの箱にそれを投げ入れた。




「はぁ、はあ、はぁ、…沙羅」

「尼亜」

 二人は、ポーチをくぐり、建物の外に出た。裸足のままだ。

 まだ突き進もうとする沙羅に遅れをとりながら、尼亜は振り返った。背の高いポーチには、可愛らしい鈴と【愛成孤児院】という文字と、釈尊のレリーフ。

「こ、ここまでくれば、見つからないよ」

 双子は、そこから数メートル離れた公園に身を隠した。すぐに見つかってしまうであろうことは、容易に想像できたが、尼亜は沙羅に何も言わなかった。

「あ、尼亜あそこ」

「あ、ああ…」

 汗をぬぐって、顔を上げた二人の表情が凍りついた。小高い丘になっているその公園は、町を見下ろすのに最適な場所だ。二人の通う中学校も、病因も、市役所もよく見ることができた。

 もともと古墳だったところに、愛成孤児院やマンション、二人のいる公園は建っている。天気がよければ、ランドマークタワーも望めることだろう。しかし、彼女たちを釘付けにしているのは、観光地でも住宅地でもない。

 二人が登下校に使っている川べり。その少し脇にちょっとした竹林があり、その中に誰が立ち寄るのか、オズワルトの古本屋がぼうっと建っている。双子は、そろってその一転を凝視した。無理からぬ。オズワルトの古本屋が、燃えていたのだ。

 うーうー、とまもなくサイレンが鳴り響く。真夜中の町が、にわか騒がしくなった。

 沙羅も、尼亜も、二・〇の両眼を凝らして、燃え続けるオズワルトの古本屋を見ていた。もう、言葉もない。尼亜はショックで震えだし、沙羅はがっくりとうな垂れる。

 どのくらいそうしていただろう、双子は空が割れるような音を聞いて、咄嗟に身構えた。

 遠く。はるか遠く。

 双子の視界を越えた先に、何かが投げ入れられた。空から、流れ星がそのまま落ちてきたのだ。恐ろしい轟音がして、あんなに遠くに落ちたというのに、風が吹いた。

 突風とまではいかなかったが、強風だ。

「何、今の?」

「わからない、どうしよう、怖いよ沙羅」

「今の、一体…なんだったのよ」

 怒って激昂する沙羅に、答えを差し出したのは、尼亜ではなかった。

「隕石だよ」

「誰?」

「あ、千恵巳…?」

「やっほー、沙羅、尼亜、偶然だね、あたしも竹やぶの火事が気になって出てきちゃったんだあ、二人って、この近くに住んでたんだね」

「え、うん…千恵巳、隕石ってどういうこと?」

「さあねぇ、ノストラダムスの大予言が当たったんじゃない?」

 何処までも明るい、あっけらかんとした堀千恵巳の物言いに、尼亜はムッとしたが、あながち的外れでもない。今日は、一九九九年だ。夏だ。ノストラダムスの大王が降ってくる日だ。

 全く信じていない様子の沙羅は、鼻で笑って千恵巳にまったく取り合わなかった。

 しかし――

 ぐぅぉんっ、ぐぅおんっ、けたたましい空の悲鳴。尼亜が耳を塞いでしゃがみ込む。沙羅と千恵巳は、目を見開いて夜空を睨む。

 真っ赤な塊が、空から降ってきた。

 隕石だ。

「き、きゃああああ!あたし、逃げるね!二人とも、お父さんとお母さんたたき起こして、逃げたほうがいいよ!あたしもそうするから、じゃあね」

「え…?」

「逃げたわね」

 ポカンとして見送る尼亜と、キャミソールのまま駆け出してゆく千恵巳に、悪態付く沙羅。隕石と思われる何かは、一つや二つではない。まだまだ降ってくる様子で、あっちこっちから、空が割れてしまうような轟音が響いていた。

「千恵巳、家族と一緒に逃げるって言っていたわ、逃げようか?」

「お父さんとお母さんとって言ったのよ」

「怒ることないじゃない、沙羅」

「怒ってない」

「怒ってる」

「怒ってないよ」

「そう、お父さんとかお母さんとかがいなくってもいいじゃない、家族はいるんだから」

「……家族」

「そうよ、沙羅と、尼亜が二人で家族じゃないの、沙羅には尼亜がいるよ」

 尼亜に説得されて、沙羅はくすっと笑った。

「逃げようか」

 沙羅が、また尼亜の手を取ったその時…

『トワイメイポーンが!』

 カッと、眩しい光を放って、二人の持っている赤と白の本が浮かんだ。スカートが、どこかに落ちた隕石の作る疾風に薙がれて揺れた。

 突然のことに戸惑う双子。彼女らをよそに、本は空中に浮き上がって光り続けた。

 沙羅は赤い皮に金の刺繍の【トワイメイポーン 上巻】に、尼亜は白い皮に銀の刺繍の【トワイメイポーン 下巻】に、それぞれ小さな手をかざした。それは、自然に出た行動だった。  

 根拠は何もないし、後々考えた二人自身にも分からなかった。兎にも角にも、物語はつむがれ始めたのだ。その訪れの合図を告げるように、町中いたるところからサイレンが響いた。

『いでよ、ライティング・メイス』 

 ぽんっと、小さな煙を上げて本が消えた。いや、消えたのではない。

 【トワイメイポーン】両本に、記されていた全ての文字が、剥がれ、その黒いインクが彼女らの小さな手で作った筒に飲み込まれてゆき、残った真っ白の紙くずが、外郭となって、二人の手に一本の万年筆を誕生させたのだ。

 物語を描いていたインクが、元の万年筆に戻ってしまった。

 お話は、これから再構築されなければならないんだ。双子は、何故かそう確信した。

『トワイメイポーン』

 双子は、同時に唱えた。

 その時だった。空が真っ赤に染まり、燃え盛る炎の中を迫り来る隕石の襲撃が、いよいよ二人めがけて降りてきた。彼女たちの頭上に、巨大な石の塊。

 しかし、二人は慌てなかった。

『双子は 運命の双子は ペンを手に取った それは力 生き延びるためのノアの船』

 何かに操られるように、同時にそう言って万年筆を掲げた。

 不思議なことが起こった。二人の万年筆から、文字がこぼれたのだ。何もない、空気の上をビクトリアン調に加工された文字がゆたい、二人を取り囲む。彼女達は、眉一つ歪めることなく、それを極自然に受け入れた。

『鉄の悪魔は 迫り来る 神の棍棒を跳ね返すため 双子の元へ降り立った』

 そこで、沙羅ががくんと上半身の力を抜き、倒れこむようにふら付いた。何かに乗り移られたように痙攣し、糸で操られるマリオネットのように、両手をぶらんぶらんさせている。沙羅には、自分の鼓動しか聞こえない。尼亜は、苦悶に顔をゆがめ、更に強く万年筆を握り締めた。

「くっ、うっう…、さ、沙羅は悪魔の名を叫んだ…ゴー…ドン…」

 尼亜が途切れるのとほぼ同時に、沙羅は叫んだ。

「ゴードン!」

 沙羅は身体を仰け反らせ、そのまま力なく倒れた。ぷつんと、操り糸が切れたかのようだ。体重の軽い双子が柔らかい土に崩れ落ちても、ほこり一つ舞うことはなかった。しかし、双子の持った万年筆が放った衝撃波は、近隣の木々をなぎ倒し、粉砕した。

 二人を直撃しようとしていた隕石も、同じ運命だった。万年筆からこぼれ出た光線に、体を不自然に捻られて、隕石は粉々に吹き飛んだ。

 ず、ずぞぞぞっぞぞぞぞぞぞぞ……

 辺りに、細かい石の破片が降り注ぎ、突如天候が変わる。夏の夜空にふさわしく、晴れ渡っていた空は不穏な空気と、灰色の雲でいっぱいになった。青白い稲妻が迸る。

 ごぉんっ

 一拍遅れて、音。

 双子は、ゆっくりと顔を上げた。周りの自然林は消滅したのに、彼女たち自身には、何の損害も見られなかった。そのことを疑問に思ったのは、もっとずっと後のことだったが…。

「に、尼亜…」

 沙羅も尼亜も、憔悴しきっていた。だがしかし、二人は立ち上がった。小さく細い両腕を、ぬれた地面に付いて、膝を折って、立ち上がった。

 空は雷鳴を轟かせ、あちこちに真っ赤な飛礫が投げられてゆく。

 なぎ倒された森林から、小さな炎が立ち上る。空が、真っ赤に焼けている。

 両足を肩幅に開き、並んで立ち尽くす二人の目の前に、空と同じくらい真っ赤なボディの鉄の巨人がいた。

 卵のように小さく丸まってはいるが、像三頭分くらいの高さに顔らしきものが見える。尼亜が古本屋で目撃した、二メートル弱の灰色の巨人たちとは比べようもなく、“巨人”だ。

「……」

「……」

 双子は、口を真一文字に結び、互いの手を取りあった。

 触れ合っていると、一人でない気がするから。

 いつの間にか、手に握っていた二人の万年筆は消えていた。ボロボロに崩れたスモッグの下に、深い色のワンピース。就寝時には左右対称につけていた白いリボンも、どこかへ消えてしまった。尼亜のポケットには、緑色のストラップが付いた鍵の束。沙羅のポケットには、何も入っていなかった。二人とも、裸足で立ち尽くしている。

「…ゴードン…?」

 尼亜が、巨大な鉄の塊に呼びかけた。沙羅が、目で咎める。尼亜は、一歩前へ前進した。

「ゴードン、あなた本の中の住人なの?」

 ギシ、ギシ、小さな駆動音。尚も巨人に近づこうとする尼亜の左腕を強く握り締め、それ以上行くなと、首を振る沙羅。しかし、尼亜は一瞥(いちべつ)もくれずに突き進んだ。

 一歩一歩、沙羅を引きずる様にして、いよいよ巨人の一メートル先まで近づいた。

刹那―――!轟音が、耳を劈く。二人は顔を覆って前のめりに倒れた。隕石だ。あっと叫ぶまもなく、オズワルトの古本屋を取り囲む竹林へ突っ込んでいった。

 双子は、一秒を、こんなにも長いと感じたことはなかった。衝突は、凄まじかった。地面が穿り返され、クレーターが広がる。一瞬だ。ただその一瞬、双子は一時間にも、一日にも感じた。じりじりと迫る、波動。次々と空へ消えてゆく大地。自分たちの居る古墳など、ひとたまりもない。

 体が、宙に浮いた。もうダメだ。

 その時だった。

「うおおおおおおおおおおおおおお!」

 紅。赤錆。血のいろ。

 光と、土くれとが双子をも飲み込もうとしたその時、赤い壁が立ちはだかった。盛り上がる地面にどすんと落ち、ハンマーのように肥大した両碗を広げ、光の波動をその一身にすべて受けた。低い声で何か怒鳴りながら、ソレはいくつもの火の粉から、双子を庇った。

 だがしかし、その赤い壁も大地から浮き上がりそうになる。

 沙羅と尼亜は、息もできない。目も開けられない。

 ただ、誰かが自分たちを庇っているという事実が、心を突き動かした。沙羅は、顔を手で覆いながら、何者とも知れない“正義の味方”に向かって、叫んだ。

 同時に、尼亜も感じていた。誰か大きな存在が、自分たちの命を助けようとしていること。目も耳もダメになってしまっているのに、尼亜は暖かい愛情さえ感じていた。それはけして、目で見ることも、耳で聞くこともできない。尼亜は、その存在に向かって叫んだ。

『逃げて』

 二人の言葉が、果たして“正義の味方”に聞こえたかどうか確証はなかった。だが、その赤い大きな壁は、五本の指で彼女たちの身体をつまんで跳躍した。

 ジャンプ力は相当のものだ。辛うじて、瞼を開けることのできた沙羅は、お月様に届きそうだと思った。下方で、轟音がした。

「がぼっ」

 どんっ

 大した衝撃もなく、一キロ先に着地した巨人は、溺れた人間が発するような奇妙なうめき声に、自分の手の中を見た。

「がぼっ、ばっ」

「沙羅、沙羅!」

 背中を子猫のように抓まれたまま、尼亜が沙羅の背中を叩く。沙羅は、口から血を流し息が出来ないでいる。着地の際に、口の中を切ってしまったのだ。

 巨人はそっと、二人をアスファルトの上に下ろしてやった。

 そう、巨人。二人が大きな赤い壁だと思っていたのは、先ほど突如現れた、赤錆の巨人だった。美しい紅の塗装に見えていたが、こうして陰鬱な月の翳りに遭えば、それが鉄の錆びきったみすぼらしい姿と分かる。

 尼亜は、彼に驚くこともせず、懸命に沙羅の口からガラスの破片を取り除いてゆく。

「けほっ、うわぁ、死ぬかと思った」

「死ぬわよ、もう、大丈夫」

「傷は大したことないみたいよ、尼亜、ありがとう」

「よかった…でも、ありがとうは、尼亜じゃなくって違う人に言ってあげたいね」

「そうね…」

 疑り深い瞳が、赤い巨人に向けられる。巨人は、うろたえて左右を見回す。

『ありがとう』

「あ…いや、お安い御用ダ」

 ゴードンと、沙羅と尼亜の初めての会話。




 それから、更に十五時間後。

 隕石の衝突から、沙羅と尼亜を守り続けたゴードンは、すっかり彼女らに好かれてしまった。意味もないのに、あちらこちらに絆創膏を貼られ、尼亜には早く直りますように☆と、足にマジックで書かれてしまった。円くて、愛らしい文字だ。

 灰色に染まった都会。背の高い建物は例外なくなぎ倒され、生きた人間は存在しない。

 ゴードンと、沙羅と尼亜。この大地で動くものは三人だけだとさえ思える。静けさの支配する夕暮れ。半壊したコンビニエンスストアに入って、水やおにぎりをカゴに詰め始める尼亜。隣のガソリンスタンドで、オイルをゴードンに注ぐ沙羅。

「うおっ、ダメだ、わっ沙羅、やめるのダ」

「ハイオクもだめ?困ったなぁ」

 ごぼごぼと、ゴードンのわき腹からオイルがこぼれる。その悪臭にもめげず、沙羅は今度は洗車機を動かした。

「シャワーはどう?水とかだめ?」

「それは大丈夫だガ、わたしたちハ、わたしの燃料補給を目的に…」

「はいはいはいはーい、汚いから洗っちゃいましょーね」

「うう…」

 すっかり玩具だ。小さな頭に、ずんぐりしたボディ。長い手など、全部入りきらないので、順番に洗ってゆく。隔壁が剥がれた場所など、人間で言う怪我の部分を、ゴードンは非常に痛がったが、沙羅はお構いナシにゴシゴシ洗った。

「きゃんっ」

 特大の図体に似合わないか細い悲鳴を上げながら、ゴードンは沙羅の言うがまま。

そこに、緑のプラスチックカゴを引きずって、尼亜が現れた。コンビニエンスストア内の食べ物という食べ物を全て持ってきたような感じだ。

 ゴードンを洗い終わった沙羅と、遊ばれ終わったゴードンが、傍に寄ってきてそれぞれツナマヨコーンと、マス寿司おにぎりをねだる。

「オオ、美味い…これダ、わたしの燃料」

「え!うっそー」

「ゴードン、マス寿司好きなんだぁ…」

「そうじゃないでしょ尼亜!なんか変じゃない?ゴードン、ロボットなのに!」

「わたしは、ろぼっとデハないゾ?魔神ダ」

「いいじゃない、給油しなくていいんなら、そっちのほうが融通利くわ」

「ええ…さっきの沙羅の努力は?」

「徒労ですなぁ、軍曹」

「そんなぁ…経由もレギュラーも試したのよ?」

 半泣きになりながら、ツナマヨコーンのパンを食べる手を止めない。尼亜は、ゴマソース付きの野菜スティックをぼりぼり齧る。

 彼女達は、かなりお腹がすいていた。もともと小食の二人だが、昨日の晩に冷えたオニオンスープとオートミールを合わせて八〇グラム、食べたっきりだ。まるで野獣のように食い散らかす。一つしか無事なのがなかったクロワッサンのハムサンドを、尼亜が綺麗に等分する。ゴードンは、寿司ランチなるもののパッケージに悪戦苦闘。

しばらく無言で食べ続ける。

 鳥一匹囀さえずることのない、がらんとした国道。隕石が降ってくる気配はもう無い。

 夢だったのだろうか。静か過ぎる町を見て、尼亜は、夢ではないなと首を振る。

幸いなことに、まだいかなる生き物の死体も見ていない。だが、いずれは物言わぬ被害者に遭遇することだろう。隕石群の直撃を食らった日本は、ガラクタが屍を横たえるだけの死の国になってしまった。六〇年前から生き恥を曝していた、たるんだ一国家が、滅亡したというだけだ。

 双子にとって、お互いさえ無事ならば誰が死んでも構わなかった。

「千恵巳…」

 ふと、沙羅が口にした。

「千恵巳ん家は、シェルターがついているんだって、マンションの地下に」

「……そう」

 暗い顔で、尼亜は肯いた。その粉雪を散らしたような横顔に、沙羅は呟く。 

「無事かなあ」

 尼亜は、一瞬何か言おうとして、口をつぐんだ。そして、壊れそうな笑顔で沙羅を振り返ると、

「……無事かな♪」

 と、言った。

「そう?」

「無事かも」

「そう…」

 双子は分かっている。助かるはずが無い。あの日焼けした、元気な女の子はお父さんとお母さんと一緒に、跡形も無く吹き飛んでしまっただろう。

 分かっていて、どういうつもりで沙羅がそんなことを言い出したのか、尼亜には分からなかった。沙羅は、黙々とサンドイッチにがっついた。

「わたしは、どうすれば元居た世界に帰れるのダ?」

 あらかたの物を食べつくして、腹を抱えている二人に、やっとのことでラップをはずすことの出来た寿司ランチをつまみながら、巨人が尋ねた。

 ガソリンスタンドの天井に首を預けて、足を開いて座っている。同じように壁に頭を預け、だらしなくふんぞり返っていた沙羅があいまいな返事をした。

「うーん、うーん、きっと帰れるよー」

「沙羅ぁ、無責任―」

 スカートの裾を気にして、横座りだった尼亜も、お腹が満足になったためか、沙羅と同じ様なポーズになる。三人とも足を大きく開き、背中を預けて黄金に輝く夕暮れを眺める。

「ゴードン、まだ話していなかったけど、沙羅と尼亜にはね、ゴードンをこの世界に連れ込んじゃえる不思議な力があるの」

「ああ」

「そいでね、オズワルトの古本屋っていうところに、元の世界に戻せる人が居たのね、でもあの事故で…」

「隕石カ?それじゃあひとたまりもないのダ」

「うん、その前に火事で焼けちゃってたし…」

「何、火事…?」

 ゴードンが、首を傾げた。

「なんだト、火事…むう、偶然にしてハ…」

 ぶつぶつ言うゴードンに、双子は顔を見合わせた。

「なぁに、どうしたの?」

「何か、思い当たることでもあるの?」

 真剣な二人のまなざしに、ぽりぽりと、後頭部を掻くゴードン。

「わたしの元の世界、正義の王国ヌクマムでも火事があったのダ…」

「調味料にあったよね、ヌクマムって…」 

「しっ、静かに聞きましょうよ」

「しかしそれハ、悪の大帝国ナンプラーの皇帝が、故意に仕掛けたものだったのダ」

「……ねえ、ゴードン」

「それがまるデ、この世界と同時二…」

「ゴードン、ゴードン、ゴードンってば」

「なんなのダ沙羅?せっかくわたしガ熱を上げテ、ナンプラーへの怒りを語ろうと思っていたの二」

「や、近隣国にソルトとかシュガーとか、ソイソースとかあるかなーと思って」

「いや、聞いたことはないガ…?」

「ならいいの、忘れて頂戴」

 少しだけ、残念そうに肩を落とす沙羅。本当にあったらあったで、切なくなることは間違いがないのだが、そこまで考える余裕は無い。尼亜は、ナンプラー帝国の卑劣な罠や陰湿な仕掛けを語るゴードンに、鼻息荒く同調している。

「……そこでスコーン皇帝ガ、言ったのだ…違う世界に飛ばされろ、二度と帰ってくるな五魔神よ…と、わたし達はまんまと奴らにいっぱい食わされたというわけなのダ…」

「うん、うん、酷いね、スコーン!」

「それだけではないのダ、皇帝の娘のハン・バーガーが…」

「うんうん、え、クランヴェリー姫を?」

「そうなのダ、そこで賢者タラモ様が…」

お腹いっぱい食べたはずなのに、沙羅はその会話を聞いてお腹がすいてくるのを感じた。

 緑のプラスチックカゴに残っていたあげパンを、口に押し込む。でも、やっぱりお腹いっぱいで、一口だけで止めてしまった。

 夕日は、沈みかけていた。

 まるで、カウボーイのように草を咥え、口笛を吹きながら、沙羅と尼亜は立った。鉄の巨人も、彼女たちに付き従った。三人は、無言で歩みだした。

 「戦いはこれからよ」尼亜の声が、若干の建物を残して、あとは殆ど曠野と化した都会に響き渡る。何処へ行けばいいのか、何をすればいいのか。巨人は、度重なる力の酷使に耐えられず、崩れ落ちた脆弱な自身の鉄甲冑をギリッ、強く抱いた。沙羅は、細い足をワンピースから踏み出し、無音の世界を睨む。

「誰か、生きている人がいればいいね」

「きっと、どこかに、ゴードンみたいな巨人が守った人間がいるわ」

「そうだナ、あの火事のあと、わたしの世界の五魔神たちも消えたのダ…恐らく、この世界で、同じ様に隕石を凌いだに違いないのダ」

 尼亜はゴードンに微笑む。

「きっと、ゴードンのお友達もいるよ」

「そうだナ…」

「きっと、元の世界へ戻してあげる」

「ありがとうなのダ、沙羅」

「こっちの台詞だよー」

「行こう、尼亜」

「そうね、沙羅」

『トワイメイポーン』

 双子は、手を握り合って魔法の呪文を唱えた。うっすらと、双子の足元に鳩の文様が浮かび上がる。金糸だ。

『いでよ、ライティング・メイス』

 虚空から、特別な万年筆が双子の手にそれぞれ宿る。彼女らを取り囲むように、さねかずらと剣の、装飾的な模様。銀糸だ。それらが、微々たる光と風を放つ。ほんの少し、風に揺れるスカート。お揃いの栗毛が前へ後ろへ、ダンスする。

「どうするの?」

「決まってるわ、生きている人間の元へ行くのよ、誰でもいいわ」

「分かったわ」

 沙羅の言葉に、尼亜が肯く。尼亜は一心不乱に文字を空中に書き始めた。沙羅は、突然力が抜けたように膝間付く。

『運命の双子は ありとあらゆる生物にたどり着くべく 鉄の悪魔を使役した』

「その奇跡の力で 鉄の巨人はシェイプモード・フライに姿を変えん」

 フライ…?揚げるのか?

 沙羅は、かなり微妙な顔をしたが、真面目な顔で万年筆を振りかざしている尼亜を見とめて、ため息を付き、仕方が無いという風に叫んだ。

「ゴードン、チェェェンジッ、シェイプモード・フラァァァイ!」

 雰囲気たっぷりに、沙羅は片手を翳して吠える。顔は、微妙な技名に戸惑ったままだ。

「うおおおおおお!ゴードン、シェイプモード・フライどぅあああああ!」

 鉄の巨人のほうは、振りかざした左腕でガソリンスタンドのコンクリート壁をぶち壊したことにすら気付かず、そのまま跳躍し、空中へ踊った。

 彼のジャンプ力は凄まじい。双子の視力をもってしなければ、見えなくなっていたかもしれない。遥か空中で、ゴードンはピンッと、体を伸ばして停止した。

「チェンジって程じゃ…」

「ないよね」

「ウルトラマ○みたいになってるよ」

「尼亜的にはアンパンマ○」

 ふはははははー!と、誇らしげに笑いながら、手足をピンと伸ばしただけのゴードンが、ゆらゆら降りてくる。空に浮かんでいるのだ。

「これが新しい力なのダ…うむ、素晴らしいのダ」

 得意満面。肥大していた両腕が、丸みを帯びた三角になり、空気の抵抗を少なくしているほかは、元のまま。短い足や、ずんぐりしたボディなど、滑空には適さないスタイルのジャンボジェット。尼亜は、ほっぺをさくらんぼ色に染めて、感心したようにゴードンに見ほれている。

「近くで見ると、ちょっといいかも…」

「本気で言ってるの?尼亜」

「え…、ま、まさか」

 完全に目を潤ませ、新しくなった自分の体を自慢するゴードンの体を摩り、尼亜。

「尼亜って、ちょっと変だ」

「何か言った?」

「ううん、ひとり言」 

「そう、ねえ、ねえ、沙羅早く乗ろうよー」

 きゃっきゃとはしゃいで、尼亜はゴードンの首から、背中へ飛び乗る。人間でいうトコロの肩甲骨付近に、ちょっとした窪みが二ヵ所あった。一つが四畳半ほどもある。尼亜は初め左の窪みに体を沈めたが、沙羅が上に上がったときには背骨部分の出っ張ったところを跨いでいた。

「ああ、ズルイ」

「えへへー」

 沙羅と尼亜は、右と左、背中合わせになって背骨部分の出っ張りに腰掛けた。

「さあ、行くのダ」

 ゴードンが、はつらつと言う。飛行モードがよっぽどお気に召したらしい。音も無く舞い上がった。

『発進ゴードン、全速前進』

「おうっなのダ!」

 尼亜が右手、沙羅が左手で夕日に向かって指を刺す。応えて鉄の巨人は、思ったよりも速いスピードで発進した。

 風に煽られながら、双子は寄り添い、お互いに背を預けあった。風があまりにも心地よい、夏の夕暮れ。双子は、静かに寝息を立てた。


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