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記憶の魔女  作者: 機月
3/3

北風と太陽

 頬杖をついたカウンターに、ため息がこぼれた。

 目の前の酒棚は大きさだけは立派だが、酒瓶どころかグラス一つ見当たらない。

 紫煙がくゆる小さな灰皿の脇には、〈北風と太陽〉と小さく書かれたプレートが一つ。


「まあ、店を閉めるにはいい日だよな。色々片付いたところだし、仕事納めだと思えばさ」


 広さだけはそこそこある、思えば喧嘩と怒号の絶えない酒場だった。カウンターから眺める景色は、良く見慣れた演奏前のライブハウスと言えなくもない。

 片隅に寄せられた、足の折れた数脚の椅子と、天板が砕き割れているテーブルを眺めても、浮かべる苦笑いは思ったよりも軽やかだ。

 チリリ、と控えめに抑えていた念話の着信音が鳴った。慌てずメニューに浮かんだ〈奏羽(かなわ)〉をタップすれば、朗らかな突っ込みのような勢いで耳元にあふれる。


「なあなあヒヨリ! 良かったらお弁当の配達しようかなって思うんやけど! ……えっと、もうお夕飯は食べてしもた?」


 言い出した傍から萎れていく語尾に、思わず吹き出してしまう。


「まああれだ。お茶と、試作のお菓子ぐらいしか出せないけどな。それでよければ取引成立ってことで」


 分かった! という心底嬉しそうな弾む声を残して、念話はあっさり切れた。ヒヨリは一つ背伸びをしてから浅葱の振袖にたすきを掛けると、少し唇を緩ませながら魔法鞄からコンロと薬缶を取り出した。



「ヒヨリ、誕生日おめでとう~! ってこれ、何事? ……えええええ??」


 扉を開け放った黒髪の青年が、手に持ったローブと風呂敷包みを掲げた状態で固まった。

 ヒヨリの城であったバー〈北風と太陽〉は、店に入ってすぐのところには四方にロープが張られたリングが設置され、実験・賭け事・調停・私怨、さまざまな解決ごとを観覧するための椅子4席の丸テーブルがぐるりと囲むように配置されていた。

 それらはほぼすべて残骸となって壁に寄せられている上に、何やら薄く小さな楕円のステージには、演説に使うような台には水差しとコップが置かれている。

 そしてそれ以外の場所は、まさに渾沌(カオス)といった惨状だった。

 床には鮮やかな緋毛氈が敷き詰められていて、所々に畳のようなもの、茣蓙のようなもの、峠の茶屋に置かれているような竹製の長椅子(ベンチ)までもが入り乱れている。

 そこかしこには手書きラベルの茶色い一升瓶が立ち並び、懐紙と黒文字の乗った小皿が積み上げられ、柄杓が突き立った茶釜からはまだ湯気が立ち上っている。

 そこまで目にした奏羽は、一度目を瞑って手でこすり、ゆっくり二度見してから目を見開いた。


「えっ、もしかしてヒヨリの誕生会やってたん? で、でもなんか違うような、そうとしかいえないような…… なにこの状況」


 カウンターで丁寧に茶器を揃えていたヒヨリが顔を上げると、ああ、と何か思い出したように呟いた。


「そういや、明後日はもう年越しだったな。年末が忙しいのはどこ(ゲームの中)も同じだよなぁ」

「ヒヨリ…… 誕生日と新年、どっちもきちんと別々にお祝いせんとあかんよ? そらまあ、ここ何年かはうちも忙しうてご無沙汰してもうたけども!」


 だからちょっと奮発してみたと掲げた風呂敷包みには、〈海洋機構〉謹製・松花堂弁当(海鮮)というタグが燦然と輝いていた。



 締めのご飯は熱々の海鮮釜飯、最後に柚子シャーベットで食事を終えれば、しばらく黙ったまま味わっていた二人は同時に深く息をついた。


「いや、これはすごいな。どれもこれも味は絶品、弁当箱に仕込んだギミックも実用的な上に面白い」

「ほんとになぁ…… これ、実はコネで何とかゲットした、食後レポート10枚付きの円卓発行クエストやったんや。いや、高倍率なの分かる出来やなぁ」


 奏羽は腕を組んで唸っていたが、ちらりと壁際を見やったところで、ヒヨリもとうとう諦めた。


「まあ、色々あってな。今日の午前中、〈円卓〉に仲介を頼んだオークションをここで開いたんだ」

「ヒヨリ、自己破産でもしたん? それで酒場の備品を…… って、明らかにテーブル壊されてるよね?」


 まあ最後まで聞けと、ヒヨリは軽く持ち上げた両手をひらひらさせる。


「放出したのは、手持ちの〈着物〉だな。時節柄初詣が控えていて、やれ二年参りだ、書き初めに初釜だ、挙句の果てにダンジョン初めにも着ていきたいとかなんとか。色々込々の価格スタートだったから、どれもこれもアフターサービスだろってねじ込まれてさ」

「それでバケツに刺さった箒みたいな筆とかあるんやね」


 そこだけ畳スペースが空いていたのは、模造紙サイズの何かが広げてあったためらしい。確かに壁際には〈着物〉を掛けていたらしい衣桁(いこう)や、少し背の高いハンガーラックが寄せてあったりもする。


「まあ、自分で着付けとかできないと遠出はちょっと心配やんな。着付け教室してる間にお疲れ様会? に雪崩れ込めばこうなってもおかしない…… いやいや、それテーブル壊れてるの、関係ないやん。それに〈装備品〉ってメニューから装備でいけるし、サイズ補正も付いてて安心って、この前言ってたやん?」


 納得しかけた奏羽が、慌てたように首を振った。ヒヨリは舌打ちをし掛けるが、からかいなど微塵もない目線に気づくと、気まずそうに目を伏せた。


「〈色々〉の守秘義務に入ってる内容だから他言無用な。……ある方法で型紙から仕立てた〈着物〉は、ただの布みたいな扱いになるらしい。だからそれを身に着けようとすると、普通に着付けが必要になる」

「……それのどこにメリットがあるん?」

「着崩したり、多少(はだ)けたり出来る。そういうの、自分で調整できないと困るだろ?」

「その理由は納得できるけど、それだけじゃないよね」


 止まらない追及に、眉間のしわを緩めながらも渋々続ける。


「……ちょっと前に、〈痛友禅〉を作りたいってチャレンジャーがいてな。仮縫いとか地入れとか、絵を描く以外の工程を手伝わされたんだけど、どうしても色が乗らないとか泣きつかれてな。こう、型紙にちょっとした細工をした訳だ」

「待って待って。それってもしかして、ちょっとお高い材料のインクとか羽ペンとかを?」

「使ってみた。それで伏せ糊っていう、色をはじく糊が乗りやすい生地に変えてみたところ、何とか絵入れは成功した訳だ」


 口調に笑いがにじんでいたが、目を逸らしたままの顔は能面のようにまっさらだ。


「……それ、普通にあかん奴やん。〈鎧〉扱いにならない、重ね着できる〈鎧〉が作れるってことなんやないの? それに生地を変更できるんや、そこそこの素材を使えば、効率厨が黙ってないくらいの……」


 奏羽はそれが打ちこわしの原因であると悟ったのか、ヒヨリが手元で回しているプレートに息を呑んだ。


「まあそこは、こっちも黙ってなかったからな。あわや抗争かってところで仲裁が入って、喧嘩両成敗。守秘義務とか諸々込みのオークションって形で〈円卓〉に介入させて、無事に解決したっていうのが事の顛末だな」


 それ無事っていうの、と顔に貼り付けたままの奏羽に向けて、指を立てながら晴れやかな笑みを浮かべた。


「協力してくれたギルドってな。西……」

「納得した。お洒落に対する女子力(物理)には、トップギルドだって即撤退するしかないやんな」

「〈物理〉っていうより、こう、もっと洗練された〈武力〉って感じだった」


 二人の笑みは軽やかながら、真実を狙い撃った畏怖がにじんでいた。



「ところでな、ヒヨリ? 〈西風〉に接触したってことは」

「ああ、例の絵師の奴の縁でだな。しばらく護衛は受けてもらえたし、旅団にも誘われてる。入るかどうかは、まあ、検討中ってやつ?」


 無表情ながら、ほんのりかすかに、早口になった建前をぶった切った。


「……ソウジロウ君には惚れちゃった?」

「なっ!?」


 盛大に噴き出してせき込んだヒヨリを見て、真面目に作っていた顔をにやりと緩めた。


「そうかぁ、ヒヨリでも落ちるのか」

「そういうんじゃない! 世話にはなったけど、それだけだ!」


 いやいやいや、と顔の前で奏羽は手を振って、満足そうな顔を作り直す。


「絶対それ以上のことがあったんやろ? 目立つことやらかしたんや、絡まれたり面倒くさいことになったとこ、颯爽と解決してくれたとか! どうせ仕事納めだからって飲んで絡んで、転んだふりして抱き着いてしもた? それとも立てなくなってお姫様抱っこ? あ、もしかして調子に乗ってみんなで悪代官ごっこまでしたとか?」


 ぐぬぬと拳を握りしめてたヒヨリは、絶対零度の視線を作って吠える。


「ねえよ! 最後のとか、真っ昼間から、ありえないだろ?!」

「最後のは、ねぇ」


 ほほーん、とだらしなく何度も相槌を打つ奏羽に、ついにヒヨリは指を突き付けた。


「っていうか、俺のことはどうでもいい! お前、それよりあいつを野放しにしておいて大丈夫なのか? 着いて早々、引っ越しの原因作ったんだろ?」


 何を口から出まかせを、という笑い飛ばそうとしたまま、奏羽の動きがぴたりと止まった。


「……は? それ、何のこと?」

打帆(うつほ)だよ。お前がここに置いていったブツ、全部持ってたんだぞ? それで何かやらかしたんじゃないのか?」

「……置いていった、ブツ?」


 それなんだっけ、と途中で止まった思考が何かを思い出そうとしている。


「ほら、大皿とか、調理器具とかだよ」

「ただの調理器具…… やないやつ?」


 こてり、と首を傾げた相手に、ヒヨリは眉をしかめて続ける。


「〈不溶の樹氷〉を削りだした大皿に、〈ワイバーンの爪〉を使ったペティナイフ。あと〈炎鞭〉と〈マンティコアの鬣〉を織った布で組み合わせた鍋敷きとか、〈ベヒモスの表皮〉を使ったおろし金とか。武具に使うには小さいけれど、なんか勿体ないからって、ほとんど加工せずにでっちあげたあれだよ」

「武具にも触媒にも小さいけれど、品質は高いし、レイドドロップも混ざっている?」


 そうだな、とうなづけば、今度こそ奏羽が壊れた。


「……はぁぁぁ? 〈従者召喚〉の触媒になるかもだから、何かわかるまで預けてた奴やんか!」

「だから、打帆がそれを掴んだんだろ? だから試してみたと。……ああ、でも来たのは今朝だから、時間は合わないのか?」


 今朝と聞いて明らかにほっと胸をなでおろした奏羽に、無慈悲な宣告が突き付けられた。


「なら、これから? 今晩にでも起こるんだろうな」

「ええええええっ?!」


 全く否定できないと愕然と顔をひきつらせた奏羽に。ヒヨリはのんびりと、ご愁傷様と声を掛けて湯呑を引き寄せた。


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