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記憶の魔女  作者: 機月
1/3

プロローグ

 ぼんやりと浮かんだ小さな灯りが、細くかすかに揺れていた。

 途切れそうになる度にわずかに強さを取り戻し、低く鈍く、意外と遠くまで光を届けている。

 闇を払っていたのは、無骨な台座にはめ込まれた水晶珠だった。黒い立方体の側面に一つ、半分埋まった透明な球。その中に揺れる明かりが、石畳の通路のようなものを象り、そして崩れて灯に戻ることを幾度も繰り返していた。

 銀色の毛並みがそっと、水晶珠から離れた。前足は台座に掛けたまま、わずかに薄く淡く色づく長い耳が、巡らせた首を追うように揺れる。

 それはどこまでも優雅に振る舞う、小さな小さなうさぎだった。

 逸れていた榛色の瞳が、再び水晶珠を見据える。ただそれだけで、真綿のような軽やかさと、魔法銀のようなつややかさが匂い立つ。

 それ以外、合図のようなものはなかった。

 ちろり、と暖かみのあるものが現れうごめき、それは瞬く間に古風な小部屋を照らし出した。

 影も残さず辺りを照らすのは、赤く丸い炎。薪も無しに煙も出さず、真っ白い煉瓦で組まれた暖炉の中にただぷかりと浮かんでいる。

 暖炉の上の飾り棚ではソーサーとティーポットだけが乗った銀の盆が滑り、そのまま音を立てずに動きを止めた。

 他の壁は全て、黒木の無垢の、空の書架で埋め尽くされていた。そのどれもが彫刻が跡しか分からないほど丹念に磨き込まれている。

 丁度暖炉の反対側にある一台が音もなく壁に沈み込み、代わりに簡素な木の扉が現れた。

 うさぎは中央に設えられた低めの丸いテーブルで、水晶珠から顔を上げた。

 それを見計らったかのように。石畳を陽気に歩くような小気味よい音が、徐々に大きく、扉の向こうから響き始めた。




 扉から勢いよく飛び込んできた焦げ茶のローブは、冷気と焦燥をまとっていた。

 幅広の三角帽子を上から抑えたまま、後ろ手に閉じた扉に背中からぶつかり、そのまま張り付く。

 覗く二の腕は白く、薄手の布地に浮かぶ肩のラインも細い。

 息は荒いに任せたまま体を強ばらせていたが、それはほんの、呼吸三つ分の間でしかなかった。

 背がずるりと扉を滑り、だが腰が床まで落ちる前に。小さく一息だけつくと前に屈み、そのまま歩を進め、膝折り首を垂れた。

 ゆっくり外した帽子の下からは、豊かな黒髪とそれを三つ編みにして詰め込んだシニヨンが現れる。身にまとっていた濃茶のローブを片手で引き抜くと、その下には鮮やかな真紅の旗袍(チーパオ)がシルクのすべやかな光沢を浮かべていた。

「魔女様。御前での不調法、お許しください。〈湖底の一葉〉の打帆(うつほ)と申します」

 わずかに稼いだ所作の合間に息を収めていて、続く口上には焦りも驚きも見当たらない。

 それをじっと見ていたうさぎが、こくりと小さくうなずいた。

 頭を下げたままの打帆がゆっくりと、細く息をはく。だが途中で体が揺れ、はっきりと眉が跳ね上がった。それをしっかり戻してから、ようやくわずかに視線をあげる。

「今日は騒がしいなって思ったのは本当。でもとっても涼しい顔してたから、どこまで進めるかって方が気になったの」

 打帆と目の合ったうさぎが、小さな口を開いて言葉を紡いでいた。少し舌足らずな、幼い声。打帆は固まったまま、視線を離さず、回らない口をぼそぼそと動かした。

「えーと。……ちょっと、大人げなかったかもー?」

「笑ってたってことは、楽しむ余裕があったってことでしょう? だから、そんなに思い詰めてる風でもないかなって」

 右の前足を口先に当てると、うさぎは少し目を細めて喉を震わせた。続けてそれで、と静かにうながす。

「えと、その。こ、ここで手に入らないものは無いと聞いて、是非お力を借りたいとおも……思っ……」

 打帆は受け答えの途中なのに完全に息を止め、大きく吐いたところで今度こそ動きを止めてしまった。

 その視線を追って、うさぎは白銀の毛皮を見下ろし、小さく首を傾げた。

「打帆は、うさぎを見たの、初めて?」

 つぶらな瞳と、その声音に覗いたわずかな好奇心。我に返った打帆は、慌てて目の前で両手を振り、それに気付いて更に顔を真っ赤に染めた。

「ごめんなさい、じろじろ見て! でもだって、魔女様うさぎさんだとは全然思わなくて! 声が少しかわいすぎるかなって思ったけど、ほら、レイドボスだってしゃべらないよね! 大体唸って終わりだし、何か言ってくるのも〈念話〉でしょ?!」

「そうなの? ……そういえば、そうかも」

 瞬きを繰り返したうさぎは、そのまま耳を揺らして頷いた。

「でもこの子は〈雪花〉っていう、ある迷宮の立派な〈主〉だから」

 打帆が聞き咎めた単語を聞き返す前に。

 銀のうさぎがその体を伏せると、その背中からふわりと、透ける女性の体が起きあがった。そのまま背伸びをするままに、人型の大きさと実体を取り戻す。

 透けるような白さ軽やかさはそのままに、毛皮にはありえない張りと艶を醸し出す、細やかな肌。

 腰まである髪はもっと硬質な輝きを持ちながらも、内包しきれない魔力を編み込み逃さず、風を受けた帆のように膨らみはらみ、しなやかに揺れている。

「うさぎに憑いてた、ってこと? 〈幻獣憑依(ソウル・ポゼッション)〉ってスキルは良く知ってるけど…… ってことは魔女様、〈召喚術師〉なの!?」

 打帆はあろう事か魔女様を指さしたまま悲鳴を上げる。用意していた敬意はもう完全に粉微塵に崩れて消し飛んでいた。

 けれども魔女様は気にする風もなく、腰に手を当てて胸を張る。

 ぽかんと開いた口を、何度か開いたり閉じたりしてから、打帆は遠慮がちに尋ねた。

「えっと…… 魔女様は何で、その〈雪花〉ちゃんに憑いてたのー?」

「心地よくって気兼ねないから、かしら。あんまり大きいと部屋の中では窮屈だし、小動物の方が体温高いし」

 歩み寄った魔女様は、打帆の鼻先で人差し指を振りながら機嫌良く頬をゆるめる。

 打帆は思わずまじまじと見つめてから、後ろ手に探ったバッグから取り出したものを差し出す。

「魔女様、温泉好きそうだね。気が合いそうなの、今度紹介したげるー」

 温泉、と聞き返しながら、魔女様は受け取ったものを広げる。

 それは両手を広げたよりも大きな、楕円を二つ折りにした一枚の布だった。薄く青みの射した生成りのようでいて、どこまでも薄く軽い、しっとりと手になじむ白布。衣擦れに揺れる縁には、漢字めいた文様が赤の刺繍で施されている。

「素材は良い奴だから、魔女様も気に入ると思うー。とにかく、何か着て?」

 立ち上がった打帆は魔女様が見つめるままの布を取り上げたが、肩に当てる前に押しとどめられた。

「打帆が着ているのが良いわ」

「……魔女様、こういうの好きなのー?」

 えっと替えは、と幾分上擦った声で呟く途中で。打帆は魔女様と背の高さを比べた後、次に頭から下へと視線を動かし、その途中ではっきりと首を振った。

「それは、また今度ってことで」

 それ以上は有無を言わさず、布を体に巻き付折り込み、手早くドレープを引き出し形を整える。魔女様はあっという間に、小さく腰の辺りの背中が開いた、古代西洋風のワンピースを着せられていた。


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