book end
『昨夜、×××区にあるアパートの一室から××大学に通う男子学生が大量の本の下敷きになり死亡しているのを、男子学生が所属するサークルの友人が発見し、警察に通報しました。死因は大量の本に押しつぶされたことによる圧迫死とされていますが、同じアパートに住む住人によると夕方に部屋から叫び声が聞こえたという証言があり、警察は事故と事件の両方で捜査を進めるとのことです』
私が上京してきてまず先に驚いたことは、見たことのないほどに積み上げられ、所狭しと棚に並べられた本だった。コンビニさえないに等しい田舎に住んでいた私が本を買う手段はインターネットしかなく、実際に手にとり本を買う機会はたまに家族で車を三十分ほど走らせたところにある大型のショッピングモールに併設されている書店だけであった。
そんな私が田舎を出て上京してきた理由は表向きは進学であったが、本当の理由は好きな本に囲まれた暮らしがしたかったからである。そのために、私は合格した大学から電車で一時間かかる本の街に住むことを決めていた。都内であるために安い家賃の部屋を探すのには苦労したが、本に囲まれさえすれば良いと思っていた私は、どんな悪条件があっても我慢しますと不動産屋に主張した。
その結果、街から少しばかり離れてはいるが家賃が希望通りである四畳半の一部屋が決まった。風呂はないが、それは銭湯に行けばいいだけの話だし、トイレが共同でもまったく構わない。この部屋が本で埋まることを想像し、私は部屋で一人にやにやしながら入学式に着ていくために購入したスーツを壁にかけた。
大学に入学してすぐ、私はすぐに文芸サークルに所属した。単純に校内で心おきなく本を読むための場所が欲しかったからである。年に一回小説を書かなければいけない決まりには困惑したが「読んだ本の紹介でも構わないよ」と告げられ、私はそっと胸をなでおろした。
授業のない時間の度に私は部室に行き、置いてある本を片っ端から読んでいった。それが終わると今度はその日の授業が終わってすぐに電車に乗り私が住む本の街へと繰り出した。最初に目に留まった古本屋の入口の前に、日に焼けた古い文庫本が段ボールいっぱいに詰め込まれているのを見たときは感動した。箱ごと購入したい気持ちを抑え、古い本の感触をじっくり味わいながら、長いことどれを購入するか悩んでいると、中から店の主人らしき年配の男が出てきた。
「随分と悩んでいるようだね。よければ一冊百円にしてあげるよ」
値段で悩んでいたわけではなかったが、それでも少しでも安くなるならと私は最後の最後まで選びきれなかった三冊を購入した。
今日はこの三冊だけにしようと思っていたが、つい違う古本屋にも立ち寄った。古い本が天井高くまで積まれた空間にいるだけで私の心は満たされた。ここにはたくさんの物語がある。一冊一冊がすべて違う世界になっている。本を読めば、たちまち自分はその世界の住人になれたような気がした。学校で嫌な目にあっても、家に帰り本を読めば今いる世界から自分を遮断することができた。それがたとえ一時であっても、私にとってはかけがえのない時間だった。
この街に住み始めて三ヶ月経った。本を毎日購入し、次第に部屋を本で埋めているうちに、私は何か違和感を覚えるようになった。初めは気にしていなかったのだが、明らかに何かの視線を感じるのである。最初は疲れているだけだろうと気に留めなかったが、部室にいる時も街にいる時も、部屋にいる時でさえ誰かに見られているような気がした。
私は視線の正体がわからないまま、相変わらずあちこちにある古本屋に立ち寄った。同じ書店に何度も足を運んでも一度だって飽きることはなかった。しかし、適当に歩いているうちに初めて見る古本屋に足を踏み入れた時、全身に視線を浴びた感覚に陥った。その視線は消えることなく私に降り注ぎ、私はあわてて店の外に飛び出した。私の行動に店の主は不審な目を店の中から向けていたが、それどころではなかった。視線の正体は本だったのだ。大量の本が私を見ている。部室や部屋、街での視線はその場所にある本たちだったのだ。
「そんな……馬鹿な話が…」
私は動揺してふらふらと古本屋が立ち並ぶ大通りに出た。すると一斉に私に視線が集中するのがわかった。周囲を見ても、誰も私を見ている者はいなかった。七月だというのに寒気がし、冷や汗が頬を伝い雫になって地面に落ちる。私は恐怖に陥り、逃れるようにその場を走り去った。背にはまだ視線が刺さる。あんなに好きだった本たちが、恐怖の対象になってしまうことが悲しかった。一体私が何をしたというのだ。
久しぶりに走ったことで呼吸がうまくできず、部屋に入るまで時間がかかった。なんとか鍵を差し込み回すが、鍵を抜く気力もなくドアを開けてそのまま玄関に倒れ込んだ。心臓の音が頭にまで響いて気持ち悪くなり吐いてしまいそうになるのを堪えながら靴を脱ぎ部屋に入ると本がぐるりと私を取り囲むように見つめていた。一人一人違う人物が書いた本たちが、私を見ろ、僕を見ろ、俺を見ろと訴えている。私は自分の声ではない声を聞きながら、部屋中に積み上がった本を腕をめちゃくちゃに振り回しながら倒していった。うるさい声が不快で耳を塞いだとき、よろけて本棚に体をぶつけてしまった。ぐらりと本棚が傾きとっさに体で棚を抑えたが、本たちが我先にと私に飛びかかってきた。
ああなぜだ。私は本を愛していただけなのに、どうして私は、本に、殺 さ れ ?
終