第76話 フェルス子爵家、墓穴に落ち始める
今回は元奴隷組の1人であるリーナ=レーベンに呪いをかけた貴族のその後のお話です。
その後が気になるというご意見があったので、今後の布石を置く意味でも含めて書いてみました。
港町ヴァールより東北に位置する内陸部、そこにフェルス子爵の治める『クヴェル』という町がある。
ファリアス帝国の南部一帯は中央や北部と違って降水量が少なく大きな河川も少ない。
その為、南部一帯では農作物があまり育たず、帝国が食糧を輸入に頼る大きな要因の1つになっているのだが、フェルス子爵の治める領地は帝国南部地域では珍しく農業や牧畜がとても盛んな地域である。
フェルス子爵領には数多くの河川が流れ、小さいとはいえ湖なども複数存在する。
その豊富な水資源を元にフェルス子爵領では麦や野菜など多くの作物を育て、同時に食肉用の家畜もたくさん育てることで栄えてきた。
ヴァールで売られている食糧の4割近くはフェルス子爵領で収穫された物であり、南部地域を収める領主達はより多くの食糧を常に確保する為、フェルス子爵家と友好的な付き合いをしていた。
ただし、例外は存在する。
フェルス子爵領のすぐ隣にある土地を治めるレーベン家、フェルス家と比較すれば階級も低く治めている土地もフェルス子爵領の半分ほどにしか満たない。
領地にはフェルス子爵領を流れる川が外れの方にも流れていたり、小さな川が何本も流れているので農業もそこそこ盛んだがフェルス子爵領ほどではなく、精々自分達が食うに困らない程度しか収穫できないので財政は常に横這いといったところである。
だが、フェルス家とレーベン家は互いの家を敵視しており、その険悪ぶりは帝国の貴族社会では知らない者がいないほど有名である。
険悪の原因となったのは意外にもフェルス家の嫉妬と虚栄心だった。
食糧生産で多くの財を成したフェルス子爵家だったが、あくまで成功していたのは財政面だけであってそれ以外での成果は芳しいものではなかった。
ほとんどの貴族が優秀な人材を政治家や騎士として輩出させ成果を出してきたが、フェルス家は長年優秀な人材を輩出できずにいた。
それに対し、レーベン家は多くの政治家や騎士等を輩出してきた。
レーベン家は武術関係だけでなく魔法関係の才にも恵まれており、その能力を評価されて皇族の側近や護衛として活躍する者は少なくなかった。
それはフェルス家にとっては不愉快でしかなく、無駄にプライドの高い者の多い一族の者は露骨にレーベン家の者達に嫌がらせをしたり、出世しないように他の貴族に賄賂を渡すなどして邪魔をしていった。
それに気付いたレーベン家は負けじと更に優秀な人材を輩出して成果を出してフェルス家を落い詰めていく。
それが何年も続き、現在両家の争いはレーベン家が優勢となっていた。
レーベン家が優勢になった理由は大きく2つ、1つ目はレーベン男爵の妹がバカ皇帝の眼鏡にかかり――というより、皇帝が何時ものノリで関係を持った――そのまま妾妃として嫁いだことだ。
流石にフェルス子爵もバカ皇帝の女癖の前には何もできず、男爵の妹が皇子や皇女を産む度に悔しい思いをしていたのだった。
そして2つ目、レーベン男爵の姪の1人が帝国貴族の中でも使える者が非常に少ない《精霊術》の才に恵まれ、その才能は帝都の貴族達の間でも広く知れ渡った事にあった。
これは帝国だけではなくダーナ大陸の共通認識だが、ダーナ大陸で使われている魔法に比べ《精霊術》は圧倒的に強力な力とされている。
大自然の力そのものを使うことができるとされ、中でも特に才能のある者は高位の精霊と契約を結ぶことができ、契約者の一族に繁栄を齎すとされていた。
焦るフェルス家、そしてフェルス子爵は越えてはいけない一線を越える。
それは禁術、悪魔を召喚して契約を結び、憎い相手を呪う禁忌の魔術だった。
呪いは成功し、レーベン男爵の姪は力の多くを失ってしまった。
フェルス家は大喜びし、優越感に浸っていた。
・・・・・・が!
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――フェルス子爵の館――
フェルス子爵の屋敷の中は暗い空気で包まれていた。
使用人達は心身ともに疲れ果てたような顔をしている。
それもそのはず、最近のフェルス家には毎日のように不幸な出来事が起きているのだ。
「キャァァァァァ!!また虫よぉぉぉぉぉぉ!!」
「へ、兵を呼べ!!」
「無理です!全員疲れて戦えません!!」
「わぁぁぁぁぁぁ!!こっちも虫魔獣がぁぁぁぁぁぁ!!」
屋敷の敷地内にゴキブリ型魔獣や大蜘蛛型魔獣が群で出現し、屋敷の中は阿鼻叫喚の渦となってしまった。
屋敷に私設騎士団や軍がいたが、全員が連日の魔獣騒動で疲れ果てていた。
「もうイヤ!!私、この仕事辞めさせていただきます!!」
「俺もだ!!こんな屋敷にいられるか!!ここは呪われてるんだ!!」
「ま、待て!旦那様の許しもなく出て行くな!!」
「知るか!呪われた貴族の下で働けるか!!」
現状に耐えられなくなった使用人達は次々に荷物をまとめて屋敷を出て行こうとする。
ほんの10日ほど前までが高額の給料目当てで笑いながら働いていた者達だったが、連日の不幸の連続についに耐えられなくなったのだ。
(ああ・・・・旦那様と奥様に何と言えばいいんだ・・・!?)
初老の執事は頭を抱えながら壁に寄りかかり、そのままズルズルと床に座り込んでいったのだった。
どうしてこうなったのか?
執事はこの10日余りの間に屋敷や町に起きた不幸を振り返っていった。
最初は些細な不幸だった。
子爵夫人が気に入っていた庭が空から飛んできた野生魔獣に荒され、庭中が魔獣の汚物で汚されてしまったことだ。
次の不幸は庭を汚されて苛立っていた夫人が食事中に使用人にきつく当たっていた時だった。
食事をしていた子爵や夫人が急に腹痛を訴えてトイレに何時間もこもりっきにりなり、少し時間を置いて今度は屋敷中の人間全員が食中毒を起こしたのだ。
さらにその日の深夜、突然地揺れが起きたと思ったら町の近くの山で鉄砲水が発生し、あっという間に川が氾濫してクヴェルの町は一晩で水浸しになってしまったのだった。
この洪水で領内の農地は全滅、家畜も大半が水に流されて死んでいった。
この突然の災害で領内は一気に食糧不足になり、同時に伝染病も発生して大混乱に陥った。
しかも川の氾濫の際に山の方から野生の魔獣がたくさん町に流れ込み、魔獣達は僅かに残った食糧さえも食い荒らしていったのだ。
その被害は子爵の屋敷も例外ではなく、もう何日も飢えた魔獣達が屋敷を襲撃しているのだ。
短期間に起きた不幸の連続に領内の治安は低下し、領民の一部は略奪行為を始めていった。
屋敷で働く使用人達は満足な食事や休息を得ることなく対応に追われ、ついに逃げ出す者が出てきて今に至るのである。
他の使用人同様に心身が疲弊した執事は、どうしてこうなったのか1つの結論に至った。
「呪い・・・そうだ、これはきっと奥様の“あの儀式”を行ったせいだ!!」
それは数ヶ月前、子爵夫人が帝都で買ってきた魔導書を使って行われた“儀式”のことだった。
レーベン家に対する嫉妬に突き動かされた夫人は禁術に手を染め、悪魔を使った呪いの儀式を行ったのだ。
呪い自体は成功し、レーベン男爵の姪は呪われて《精霊術》をほとんど使えなくなってしまった。
その後、男爵の姪は謎の失踪を遂げて子爵夫妻は上機嫌の日々を過ごしていた。
「だが立て続けに不幸が・・・!きっと悪魔が願いの対価に・・・!」
元々悪かった顔色はさらに青くなり、執事は名も知らぬ悪魔に怯えるのだった。
もちろん、これは悪魔の呪いではない。
子爵夫人が儀式で使った悪魔は何日も前に瞬殺されており、レーベン男爵の姪。つまりリーナ=レーベンにかかっていた呪いも綺麗になくなっている。
現在、子爵家に降り懸かっている数々の不幸は呪いではなく呪いを行った反動が一気に返ってきているのだ。
呪いとは自分の人生の一部を代償に行う禁忌の魔法。
呪いが強いほど術者への反動も強くなり、普通は呪いをかけた時点で反動が襲って来るものだが、悪魔を使った呪いの場合、悪魔の力で一時的に反動はこないようになる。
例えるなら増水して町に被害を出している川をダムなどで無理矢理塞き止めてあるようなものである。
そして塞き止めていたダムが決壊し、溜まりに溜まった反動が一気に襲いかかってきたのだ。
「こ、このままだと私も悪魔に殺されるかもしれない!家族と一緒に逃げた方が・・・!?」
とっくに死んでいる悪魔におびえる執事、彼はその日のうちに荷物をまとめ、家族を連れて子爵領を去っていったのだった。
その後、執事一家がどうなったかは誰も知らない。
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――フェルス子爵の館 執務室――
フェルス子爵は絶望していた。
突然の水害に伝染病、そして連日の魔獣騒動への対策で資産は一気に減っていく。
食中毒でゲッソリとした体は心労でさらに痩せ、顔は血色も悪く目に隈ができている。
そして、
「わ、私の髪・・髪が・・・。」
子爵の頭は毛根が全滅して綺麗な更地になっていた。
ついでに下も更地になっている。
たった今、最後の一本が死んだのだ。
「グスッ!禁術なんかやるんじゃなかった。」
子爵は子供のように泣いていた。
余談だが、子爵は前日に愛人全員に逃げられている。(しかも裏金を全額盗まれた。)
「あなた・・・また泣いてるんですか?」
そこへ夫人がやってくる。
夫人も子爵と同様に痩せ細っており、歩く足並みはかなり危うかった。
「うぅ・・・仕方ないだろう。財産だけでなく髪まで失ったんだから・・・。」
「それはあなただけじゃないでしょう。私だって・・・!」
夫人は自分の髪を引っ張ると、夫人の頭は子爵同様に更地になった。
そう、子爵夫妻は呪いの反動で揃って毛根が全滅していたのだ。
「お、お前のせいだぞ・・・!お前が帝都で買ってきた本であんな儀式をやるから!」
「何でそんなことを言うんです!?私は、私はフェルス家の未来を案じて・・・!!」
「その結果がこれだ!!水害!伝染病!魔獣!そして毛!全部悪魔に手を出したせいじゃないのか!?」
「私だけが悪いんですか!?あなたが毎日レーベン男爵への愚痴を漏らしているから私は・・・!大体、あなたが浮気しているなんて、メイドから聞くまで知りませんでしたよ!?」
「フ、フン!跡継ぎの男児を産まないお前が悪いんだ!お前が産んだ子供は魔法の才のない家出娘だけだろ!!」
「何ですって~!?」
子爵夫妻はその後も夫婦喧嘩を続けていった。
夫妻には一人娘がいた。
だが、帝国貴族のほとんどが生まれ持つ魔法の才に恵まれず、それが原因で親から出来そこないと言われ続けたので反発し15歳になると同時に家を出ていったのだ。
現在、子爵の子供は家出した正妻の娘以外にも愛人との間に生まれた隠し子も2人いるが、隠し子は前述の通り母親と一緒に逃げている。
「浮気男!節操無し!」
「魔女!足手纏い!」
子爵夫妻の低次元な夫婦喧嘩は延々と続いていった。
そして空腹で一時中断された時、その時になって初めて夫妻は屋敷の中にいるのが自分達だけだと気付くのだった。
「な・・・誰もいない!?」
「誰か!誰かいないの・・・!?」
夫妻が夫婦喧嘩をしている間に使用人達だけでなく施設騎士団も全員逃げ出しており、しかもどさくさに紛れて金目の物も盗んでいったのだった。
途方にくれる子爵夫妻、その後、一向に被害が収まらない現状に不満が溜まった領民達が武装して屋敷に押しかけ、夫妻の目の前で残された私財を奪っていったのだった。
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数日後、何日も続いた不幸は不意に収まった。
それまでの事が嘘の様に魔獣の被害は無くなり、クヴェルの町からも水が引いていったのだ。
街道を塞いでいた水が引いた事で他の貴族領からの救援が到着、フェルス子爵領はようやく落ち着きを取り戻し始めたのだった。
しかし、今回の件でフェルス家が受けたダメージは甚大だった。
その後、フェルス家一族はほぼ全員が再度食中毒にあい、レーベン家と敵対する気力も失って弱体化していくのだがそれは別の話である。