第7話「宴の招待状」
翌朝、リグランの街は静かな混乱に包まれていた。
俺が安宿の窓から見下ろす通りは、いつもより人通りが少なく、行き交う人々は皆、ひそひそと何かを囁き合っている。
衛兵たちが慌ただしく走り回り、南地区の方角がやけに騒がしい。
昨夜の”掃除”の結果だろう。
「……」
俺は窓から離れ、部屋の隅の椅子に再び腰を下ろす。
ベッドの上では、エリーナが毛布にくるまり、不安そうな顔でこちらを見ていた。
昨夜、俺が血の匂いも硝煙の匂いもさせずに戻ってきたことに、彼女は少しだけ安堵し、そして同時に得体の知れない恐怖を深めたようだった。
(まあ、当然か)
普通の人間なら、昨夜のような状況で単身敵地に乗り込み、無傷で帰ってくることなどあり得ない。
彼女の中で、俺という存在が「人間」のカテゴリーから外れ始めているのだろう。
好都合だ。余計な情を持たれるより、よほどいい。
『ティア、昨夜スキャンした帳簿データの解析結果を報告しろ』
俺は脳内でティアに指示を出す。
《了解。データ解析は98%完了しています。
奴隷売買の取引記録から、”ジューミ商会”が過去一年間で少なくとも50名以上を商品として扱っていることを確認。
その大半が、商会に逆らった商人や、借金を返せなかった市民、そして近隣の村から攫われてきた者たちです》
俺の視界に、犠牲者たちのリストが淡々と表示される。
名前、年齢、種族、そして売却先。
《特筆すべきは、高価値と判断された”商品”──特に若い女性や、特殊な技能を持つ者は、すべて”バレリウス男爵邸”へ送られています。
エリーナ嬢の父、子爵アルフォンスの名は、このリストにはまだ見当たりません》
『そうか。なら、子爵はまだ生きている可能性が高いな。男爵邸か、あるいは別の場所に監禁されているか』
《その可能性は高いと判断します。
子爵は高位貴族です。奴隷として売るよりも、身代金や政治的な取引の材料として生かしておく方が、彼らにとって有益です》
(なるほどな)
全てが繋がっていく。
この街の腐敗の地図は、完成しつつあった。
その時、宿の外がにわかに騒がしくなった。
衛兵の鎧が擦れる音と、何かを触れ回るような声が聞こえる。
『ティア、外の音声を拾え。何が起きている?』
《了解。音声解析中……完了。
衛兵が、各宿や民家に通達を出しています。
内容は「昨夜、”ジューミ商会”の倉庫を襲った凶悪犯が逃走中。銀髪の少女を連れた、フード姿の不審な男を見かけたら、すぐに通報せよ」とのことです》
俺は思わず、口の端を吊り上げた。
(なるほど、罠か)
俺たちの人相書きが出回るには、あまりにも早すぎる。
昨夜の現場に、生き残りは一人もいないはずだ。
つまり、これは俺たちを特定しての指名手配ではない。
エリーナが攫われたという事実と、倉庫の襲撃を結びつけ、俺たちを”犯人”に仕立て上げ、街中を捜索させるための口実だ。
エリーナが、血の気の引いた顔で俺を見る。
彼女にも、外の声が聞こえたのだろう。
「わ、私たちのことが……! どうして……!」
「落ち着け。これは罠だ」
俺は冷静に告げる。
「敵はこちらの顔も、正確な人数もわかっていない。
だが、”子爵の娘を助けた何者か”がいることは察しがついている。
だから、こうして街中に網を張り、俺たちを炙り出そうとしているんだ」
『ティア、この通達の発信源は?』
《衛兵詰所ですが、指示を出しているのは昨夜から臨時の指揮官として着任した、バレリウス男爵家の騎士隊長です》
『ご苦労なことだ』
敵の動きは早い。
だが、その動きもまた、俺にとっては情報でしかない。
「ど、どうするのですか……! このままでは、街中が敵に……!」
パニックに陥るエリーナを尻目に、俺はティアに次の指示を出していた。
『ティア、敵の次の手を予測しろ』
《はい。現在、敵は街の各所に検問を設置し、ローラー作戦を展開中。
このまま我々が潜伏を続けた場合、数時間以内にこの宿も捜索対象となります。
敵の目的は、我々を追い詰め、特定の場所へ誘導することにあると推測されます》
『誘導先は?』
《……解析中。
街の噂、貴族の動向、衛兵の配置パターンを統合……。
今夜、バレリウス男爵の別邸で、近隣の有力者を集めたパーティが開催されるという情報をキャッチしました。
表向きは懇親会ですが、裏では”ジューミ商会”亡き後の、街の利権を分配するための会合でしょう》
俺の視界に、豪華絢爛な男爵邸のイメージ図が表示される。
《このパーティに乗じて、我々をおびき寄せる可能性が最も高い。
エリーナ嬢を保護しているという正義感、あるいは貴族の悪事を暴こうとする使命感。
そういった感情を利用し、敵の本拠地である男爵邸へ我々を誘い込む。
それが、敵が描いているシナリオかと》
「……なるほどな」
俺は立ち上がり、窓の外に改めて視線をやる。
衛兵たちの動きが、まるで巨大な網のように、じわじわとこの安宿へと迫ってくるのがわかった。
「まんまと誘いに乗ってやるか」
俺の呟きに、エリーナが驚愕の顔を向ける。
「な、何を言っているのですか!? 罠だとわかっているのに……!」
「ああ、罠だ。だが、最高の”招待状”でもある」
俺はフードの奥で、静かに笑った。
「敵の本拠地の場所も、連中が集まる時間も、ご丁寧に教えてくれているんだ。
これほど効率のいい話はない。
蛇の尻尾を叩き潰したら、次は頭を叩き潰す。当然だろう?」
俺の言葉に、エリーナは絶句している。
彼女には、俺の思考が理解できないのだろう。
恐怖も、焦りも、俺の中にはない。
ただ、目の前に提示された最適解を、淡々と実行するだけだ。
『ティア、パーティの開始時刻と、男爵邸の警備プランを入手しろ』
《すでに完了しています。
パーティは日没後。警備は男爵の私兵団”黒鉄の鷲”が担当。
総員50名。全員が魔法強化された鋼鉄の鎧を装備。
街の衛兵とは比較にならない、精鋭部隊です》
『上等だ。武器を生成する。
HK416。弾薬は徹甲弾をメインに、いくつかバリエーションを揃えておけ』
《了解。アサルトライフル”HK416”の構築準備に入ります。
多数の装甲兵を相手にするには、M9では威力不足です。最適な判断です》
俺はTACT-PACKに手をやり、内部で兵装が構築されていく感触を確かめる。
エリーナは、ただ震えながら、俺の様子を見守っていた。
◇
陽が落ち、街が紫色の夕闇に包まれる頃。
俺はエリーナと共に、安宿の裏口から音もなく抜け出していた。
ティアのリアルタイム情報により、衛兵の巡回ルートの僅かな隙間を縫って、俺たちは貴族街へと向かう。
バレリウス男爵の別邸は、他の屋敷とは比較にならないほど巨大で、そして悪趣味だった。
高い塀に囲まれ、庭にはけばけばしい魔力灯が煌々と輝いている。
中からは、楽しげな音楽と、貴族たちの甲高い笑い声が漏れ聞こえてきた。
『ティア、潜入ルートは?』
《正面から堂々と。それが最も敵の意表を突くことができます》
『……面白い。採用だ』
俺はローブのフードを深く被り直し、エリーナの手を引いて、パーティの招待客を装い正門へと向かう。
門番が俺たちの貧相な身なりを見て、訝しげな顔で槍を交差させた。
「待て、お前たち。招待状は持っているのか?」
「ああ、持っている」
俺はそう言うと、懐から金貨を数枚掴み、門番の手に握らせた。
門番は一瞬驚いたが、すぐに金の重みを確かめると、下卑た笑みを浮かべて槍を引いた。
金が全てのこの街では、金こそが最高の招待状だ。
屋敷の中は、着飾った男女で溢れかえっていた。
誰もが、俺たちの場違いな姿に好奇と侮蔑の視線を向けてくる。
俺はそんな視線を意にも介さず、会場の隅にある柱の影に身を寄せた。
『ティア、ターゲットの位置は?』
《会場2階のテラス席。バレリウス男爵です。
現在、数名の商人と談笑中。周囲に私兵が10名待機》
俺は視線を2階へ向ける。
そこに、肥え太った中年男が、ワイングラスを片手にふんぞり返っているのが見えた。
あれが、バレリウス男爵か。
その男爵が、ふと、こちらの存在に気づいたようだった。
隣に立つ騎士隊長に何かを耳打ちすると、騎士隊長はニヤリと笑い、私兵たちに合図を送る。
ゆっくりと、しかし確実に、俺たちを包囲する陣形が組まれていく。
(……ようやくお出ましか)
エリーナが、緊張に息を呑むのがわかった。
俺は彼女にだけ聞こえるように、低く囁く。
「俺の背中から離れるな。何があってもだ」
やがて、騎士隊長に率いられた10名の私兵が、俺たちの前に立ち塞がった。
会場の音楽が止み、全ての視線が俺たちに集中する。
騎士隊長が、芝居がかった口調で言った。
「これはこれは、汚いネズミが紛れ込んだようだ。
子爵の娘を唆し、”ジューミ商会”の倉庫を襲った盗人というのは、お前のことか?」
舐めきった態度。
俺がただの旅人だと、本気で思っているらしい。
俺は答えず、ただ静かにローブの前を開いた。
そこには、TACT-PACKから伸びるスリングに吊るされた、黒一色の無骨なアサルトライフル、HK416が収まっていた。
この世界の人間が見たこともない、異質な”鉄の塊”。
騎士隊長が、一瞬だけ眉をひそめる。
「……なんだ、その奇妙な鉄の棒は。そんなもので、我々”黒鉄の鷲”に敵うとでも?」
「試してみるか?」
俺は、かつて盗賊に言ったのと同じセリフを、静かに繰り返した。
そして、HK416を構える。
金属の冷たい感触が、手に馴染んだ。
「笑わせるな! 全員、かかれ! 生け捕りだ!」
騎士隊長の号令と共に、私兵たちが一斉に剣を抜き、襲いかかってくる。
会場の貴族たちから、悲鳴が上がった。
だが、その悲鳴は、すぐに別の音にかき消されることになる。
『ティア、戦闘モード。目標、敵兵の無力化』
《了解。弾種、徹甲弾。フルオートを推奨》
俺は、引き金を引いた。
ダダダダダダダダッ!!
M9の乾いた音とは違う。
腹の底に響く、重く、暴力的な轟音。
毎分850発の速度で射出される徹甲弾が、私兵たちの魔法強化された鋼鉄の鎧を、まるで紙のように貫いていく。
「ぐあっ!?」
「な、なんだ、この威力は!?」
「鎧が……!?」
先頭にいた数名が、胸や腹から血飛沫を上げ、瞬時に沈黙する。
彼らの自慢の鎧は、何の意味もなさなかった。
俺は銃口を薙ぎ払うように動かし、弾丸の雨をばら撒く。
剣を振り上げる者、魔法の詠唱を始める者、その全ての動きが、俺の目には止まって見えた。
ティアの支援が、思考を加速させる。
一人、また一人と、黒鉄の鷲たちが崩れ落ちていく。
豪華なシャンデリアが砕け散り、高価なワインが血に染まる。
悲鳴を上げて逃げ惑う貴族たち。
宴の会場は、一瞬にして地獄の戦場へと姿を変えた。
騎士隊長が、信じられないものを見る目で、俺と、俺の持つ銃を交互に見ている。
「ば、馬鹿な……! 我が騎士団が……こんな、鉄屑一つに……!」
『ティア、あの隊長を黙らせろ』
《了解。対象の右肩をマーキング。武装の破壊を推奨》
俺はフルオート射撃を止め、単発に切り替える。
そして、狙いを定め、引き金を引いた。
パンッ!
一発の銃弾が、騎士隊長の右肩の鎧を砕き、その下の腕を抉る。
「ぐあああああっ!!」
騎士隊長は剣を取り落とし、腕を押さえてその場に崩れ落ちた。
わずか数十秒。
精鋭のはずだった私兵団は、指揮官を含め、全員が戦闘不能になっていた。
残っているのは、2階のテラスで恐怖に顔を引きつらせる、バレリウス男爵ただ一人。
俺はHK416を構え直し、ゆっくりと男爵へと銃口を向ける。
静まり返った会場に、俺の冷たい声だけが響いた。
「さて、パーティの続きをしようか。男爵」