第50話「女王の断末魔」
地響きが収まり、舞い上がっていた土埃がゆっくりと晴れていく。
俺たちの目の前に現れたのは、地獄の釜の底のような広大な空間だった。
育成室の天井を崩落させたことで、兵隊アリの大半は岩盤の下敷きになっていた。だがその犠牲は、この先の光景へのほんの序曲に過ぎなかった。
空間の最奥。
そこで一体の巨大な影が蠢いていた。
ドレッドアント・クイーン。
全長は十メートルを超える。戦車のような分厚い外骨格。城壁を砕くほどの巨大な顎。そしてその腹部は、おびただしい数の卵を産むためか醜く巨大に膨れ上がっていた。
「……あれが……女王……」
ギデオンが息を呑む。
その巨体から放たれるプレッシャーは、先遣隊のソルジャーアントとは比較にすらならない。
「……レオの……仇……!」
カイルが憎しみに顔を歪ませる。
リアはただ恐怖に体を震わせていた。
女王が俺たちの存在に気づいた。
その複眼のないのっぺりとした顔がこちらを向く。
――キシャァァァァァァァァァッ!!
鼓膜を突き破るような甲高い絶叫。
それはただの威嚇ではなかった。音の衝撃波が俺たちを襲う。
「ぐっ……!?」
ギデオンたちが耳を塞ぎ膝をつく。
だが俺は動じない。戦場の騒音には慣れている。
『ティア!分析しろ!』
《了解。対象のエネルギーパターンを解析……!》
俺はAT4を消し、代わりにアサルトライフルHK416を生成した。
そして女王の巨大な頭部へと狙いを定める。
ダダダダダッ!
乾いた発射音。
5.56mm弾が女王の頭部へと吸い込まれていく。
だが。
キンッ!キンッ!
甲高い音を立てて全ての弾丸が弾かれた。
傷一つついていない。
「……嘘だろ……」
カイルが絶望的な声を漏らす。
《シン!ダメです!対象は外骨格の表面に常に魔力を循環させ、一種の防御障壁を形成しています!》
《物理攻撃はほぼ通用しません!》
『……ならどうする!』
《……解析中……!……シン!あの神官の女性の聖なる力なら、あるいは!》
ティアの分析。
それとほぼ同時にギデオンが叫んだ。
「リア!援護を!カイル、牽制しろ!」
「俺が前に出る!」
リーダーとしての的確な判断。
ギデオンが盾斧を構え、女王へと突進していく。
「――聖なる光よ!彼の盾に守りの力を!」
リアが涙を振り払い祈りを捧げる。
ギデオンの盾が眩い光に包まれた。
カイルは女王の巨大な脚の関節を狙い、次々と矢を放つ。
女王の巨大な顎がギデオンへと叩きつけられる。
轟音。
ギデオンはそれを光り輝く盾で正面から受け止めた。
「ぐおおおおおおっ!」
彼の巨体が数メートル吹き飛ばされる。
だが彼は倒れなかった。
その足はまだ大地を踏みしめている。
「……今だ!リア!」
「――邪なる者を打ち砕く聖なる槌を!」
リアが杖を女王へと突き出す。
彼女の全力の攻撃魔法。
光の槌が女王の頭部へと叩きつけられた。
――バリンッ!
ガラスが砕けるような音。
女王の魔力障壁が一瞬だけ大きく揺らぎ消滅した。
『ティア!今だ!』
《はい!弱点を特定!胸部の第二装甲板の接合部!そこだけ内部構造が露出しています!》
俺の視界に女王の胸部がズームアップされ、一点だけが赤くハイライトされる。
だがその弱点はあまりにも小さい。
そして女王は既に次の攻撃態勢に入っていた。
「――させるかァッ!」
ギデオンが再び突進する。
彼は自らの体を盾にして女王の注意を引きつけた。
そしてその巨大な盾斧を女王の胸部へと叩きつける。
ガギンッ!!
凄まじい金属音。
ギデオンの渾身の一撃が女王の硬い外骨格に、深い亀裂を入れた。
ティアが示した弱点のすぐそばに。
『……最高のアシストだ』
俺はHK416を消した。
そして代わりに”それ”を生成する。
全長1.8メートル。
対物ライフル、バレットM82。
装填されているのはアストラル・オリハルコンを融合させた特殊徹甲弾。
俺は地面に伏せスコープを覗き込んだ。
十字のレティクルがギデオンが作った亀裂の、その一点で静止する。
「……終わりだ」
俺はトリガーを引いた。
轟音。
12.7mm弾が銃口から吐き出される。
それはもはや弾丸ではなかった。
凝縮された破壊の意志。
弾丸は女王の胸部の亀裂へと吸い込まれていく。
そしてその内部で炸裂した。
――キシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!
女王の断末魔。
それはこれまでのどの絶叫よりも甲高く、そして長く響き渡った。
巨大な体が痙攣し、そしてゆっくりと横倒しになっていく。
地響きを立てて巨体が大地に沈んだ。
「……や……やった……のか……?」
カイルが震える声で呟く。
リアはその場にへたり込んでいた。
ギデオンも盾斧を杖代わりにして荒い息をついている。
静寂。
長かった戦いが終わった。
だが。
《……シン!……まずい!》
ティアの声が俺の脳内で警報を鳴らす。
《……今の女王の断末魔……!あれはただの悲鳴ではありません!》
《……特殊なフェロモンを利用した最終命令です!》
『……最終命令だと?』
《はい!……巣にいる全てのドレッドアントへの命令……!》
俺の視界に巣の三次元マップが再び表示される。
その無数の赤い光点が一斉に一つの方向へと動き始めていた。
地表へ。
そしてその先にあるオアシス都市オルグへと。
《――街を、喰らえと!》
地獄はまだ始まったばかりだった。




