第49話「女王への道」
ギルドの奥にある作戦室。
埃っぽい空気にランプの頼りない光が揺れている。中央の大きなテーブルには、オルグ周辺の使い古された羊皮紙の地図が広げられていた。
「……ここが奴らの巣の入り口だ」
ギデオンが地図の一点を指差す。だがその先は空白だった。
「問題はこの先だ。俺たちの情報じゃここまでが限界だ……」
彼の悔しげな声。
俺は何も言わずにテーブルに広げられていた、新しい羊皮紙の上に作戦計画を描き始めた。
数分後。
羊皮紙の上には、俺が記憶だけを頼りに描き上げた、完璧な巣の構造図が広がっていた。
「……嘘だろ……」
カイルが、絶句する。
「さっき、酒場のテーブルに、一度、刻んだだけのやつと、寸分違わねぇ……」
俺が描いていたのは、先ほど酒場のテーブルに刻んだものと寸分違わぬ完璧な巣の構造図だったからだ。
その人間離れした光景にクリムゾン・ホークの三人は、言葉を失っていた。
「……記憶しているのか。……この複雑な構造図を全て……?」
ギデオンが、信じられないものを見る目で俺を見つめる。
神官のリアは、小さく十字を切っていた。
「あんた、一体何者なんだ……?」
カイルの問い。
だが、俺は答えなかった。
「作戦を詰めるぞ。時間がない」
俺の言葉に、ギデオンは一度だけ悔しそうに顔を歪めた。だがすぐにリーダーとしての顔つきに戻り、深く頷いた。
「……分かった。あんたの言う通りだ」
「この地図が正確だとして、問題は二つ。無数にある罠と、敵の巡回部隊だ」
彼は俺が刻んだ地図の一点を指差した。
「この広い通路。俺たちの仲間、レオがやられた場所だ。天井から、粘液に塗れた兵隊アリが、音もなく、無数に降り注いできた」
「俺の斥候スキルでも、全く感知できなかった。奴らは気配を完全に消している」
カイルが、苦々しげに付け加える。
『ティア。情報を更新しろ』
《了解。対象の証言に基づき、マップ内の危険区域を再設定します》
俺の視界に映る地図に、赤い警告マーカーが、いくつも追加されていく。
「……この通路もだ。床一面が落とし穴になっている。俺はリアの浮遊魔法がなければ、死んでいた」
ギデオンが次々と、彼らの”経験”を俺の”地図”へと上書きしていく。
それはまさに技術と経験の融合だった。
数十分後。
俺たちは完璧な侵攻ルートを完成させていた。
「……よし。これなら、いける」
ギデオンの目に再び光が宿る。
「作戦は三時間後。夜明け前の、最も闇が深い時間だ。……いいな?」
全員が無言で頷いた。
◇
三時間後、夜明け前の薄闇の中。
俺たちは、ドレッドアントの巣の入り口に立っていた。巨大な岩の裂け目のようなその穴は、不気味な顎のように口を開け、生暖かい、土と腐臭の混じった空気を吐き出している。
「……行くぞ」
ギデオンの低い声を合図に、俺たちは巣の中へと足を踏み入れた。
ひんやりとした湿った空気。
カサカサという、無数の何かが蠢く音。
『ティア。敵の配置をリアルタイムで更新しろ』
《了解。半径100メートル以内の全ての敵性存在をマーキングします》
俺の視界に、赤い光点がいくつも灯る。
通路の曲がり角の先。
天井の窪み。
奴らはあらゆる場所に潜んでいた。
「……待て」
ギデオンが、俺の前に腕を突き出す。
「この先だ。レオが、やられた……」
彼の声が震えている。
俺の視界には天井に張り付く十数体の赤い光点が映っていた。
『ティア。MP5SD6』
《了解》
俺の手に、サプレッサーが装着された特殊部隊仕様の短機関銃が生成される。
俺は音もなく壁の影から銃口だけを覗かせた。そしてティアが示す赤い光点へと狙いを定める。
プシュッ、プシュッ、プシュッ。
圧縮された空気の破裂音。
亜音速弾が闇の中へと吸い込まれていく。
次の瞬間、天井から、くぐもった断末魔と共に、巨大な兵隊アリが、ボトボトと落ちてきた。
「……なっ!?」
ギデオンたちが、息を呑む。
俺は何も言わず、先へと進んだ。
床には眉間を正確に撃ち抜かれた、兵隊アリの死骸が転がっていた。
「……嘘だろ……」
カイルが呆然と呟いた。
「……音も、光も、なかったぞ……。……これが、あんたの……」
「先を急ぐぞ」
俺は彼らの驚愕を無視し、ティアが示すルートを進んでいく。
ギデオンの案内と、ティアの索敵。
俺たちは敵の主戦力を巧みに避けながら、巣の深部へと潜っていく。
やがて、俺たちは一つの巨大な空洞へとたどり着いた。
ドーム状の天井。
その中央には、女王アリが産卵したであろう、おびただしい数の卵が山のように積まれている。
《シン。この奥です》
ティアの声。
その育成室のさらに奥。
そこから、ひときわ巨大なエネルギー反応を感じた。
ドレッドアント・クイーン。
だが、その育成室は無防備ではなかった。
壁や天井に、びっしりと張り付くようにして、数百、いや千は下らないであろう兵隊アリたちが、眠りについていた。
「……なんて数だ……」
ギデオンが息を呑む。
一歩でも足を踏み入れれば、一瞬で目を覚まし、俺たちは文字通り蟻の餌食となるだろう。
『ティア。どうする』
《……提案します、シン》
ティアの声が、いつもより少しだけ楽しそうに響いた。
《……派手にいきましょう》
俺の口元に獰猛な笑みが浮かんだ。
俺はMP5を消し、代わりに”それ”を生成する。
AT4、対戦車ロケット。
「……おい、あんた、まさか……」
ギデオンの制止の声。
それを俺は無視した。
「――全員、伏せろ」
俺はAT4を肩に担ぎ、育成室の天井、その一点へと照準を合わせた。
そしてトリガーを引く。
轟音と共にロケット弾が射出された。
それは女王ではなく、この巨大な空洞の構造的な弱点。
ティアが割り出した唯一の”急所”。
次の瞬間。
凄まじい地響きと共に育成室の天井が崩落し始めた。
眠っていた兵隊アリたちが、何が起こったのかも分からないまま、次々と巨大な岩盤の下敷きになっていく。
俺たちはその地獄絵図を背に、女王がいるであろう最深部へと駆け出した。
本当の戦いは、ここからだ。




