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第47話「不穏な地響き」

 ギルドの酒場が戦場へと変わる。

 衛兵の絶叫を合図に、屈強な冒険者たちが次々と立ち上がった。ジョッキを叩きつけ得物を手に取り、南の壁へと殺到していく。


「行くぞ!」


 ギデオンの檄が飛ぶ。

 リアとカイルも覚悟を決めた顔で頷き、その後に続いた。

 俺は彼らの背中を見送り、エールの残りを静かに飲み干した。


《シン。観測を開始します。最適な観測ポイントは、南壁から三百メートル後方にある、あの給水塔の上です。そこからなら、戦場全体を俯瞰できます》


『分かった。そこへ向かう』


 俺は人々の流れに逆らうようにギルドを出ると、ティアが示した給水塔の頂上へと、音もなく駆け上がった。

 眼下には既に防衛線が築かれようとしていた。


 松明の炎が壁の上を埋め尽くしている。弓を構えた冒険者たちが隊列を組んでいた。壁の下ではギデオンのような重戦士たちが盾を構え、一点の隙間もなく並んでいる。

 街に残ったほぼ全ての冒険者がここに集結しているのだろう。


 やがて地平線の彼方にそれが現れた。

 黒い津波だ。

 カサカサカサ、という無数の足音が大地を揺らしながら徐々に近づいてくる。

 百を超えるドレッドアントの群れ。


「――放てッ!」


 誰かの号令。

 壁の上から一斉に矢の雨が降り注ぐ。

 数体のアリが矢を突き立てられ絶命した。だが群れの勢いは全く衰えない。


「止めるな!撃ち続けろ!」


 冒険者たちの怒号。

 魔法使いたちが炎の矢や氷の槍を放つ。

 だが焼け石に水だった。

 ドレッドアントの先頭集団がついに壁に到達した。


「――来やがったか!」


 ギデオンが巨大な盾斧を構え咆哮する。

 彼の隣でリアが祈りを捧げ、その盾に淡い光の加護を宿した。

 カイルは壁の上から的確な射撃で仲間を援護している。

 彼らは間違いなく一流の冒険者だ。


 防衛線は拮抗していた。

 冒険者たちが一体倒せば後続がその死体を乗り越えて押し寄せてくる。

 だがそれでもなんとか持ち堪えていた。

 その均衡が破られたのは一瞬だった。


 群れの後方から一際巨大な影が現れたのだ。

 全長は三メートルを超える。

 鎌のような巨大な顎。

 通常の個体とは比較にならないほど分厚い黒光りする甲殻。


「……嘘だろ……。あれは”ソルジャー”クラス……!」


 壁の上からカイルの絶望的な声が聞こえた。


「――レオを殺した奴だ!」


 ギデオンが憎しみに顔を歪ませる。

 その巨大なソルジャーアントは雄叫びを上げると、驚異的な速度で防衛線へと突進してきた。


「――止めろォッ!」


 数人の冒険者が槍を構えて立ち塞がる。

 だが無駄だった。

 ソルジャーアントはその槍を巨大な顎で飴のように噛み砕く。そして冒険者たちを紙屑のように弾き飛ばした。

 防衛線に穴が開く。


「――リア!」


 ギデオンの叫び。

 リアが負傷者たちに回復魔法をかけようと駆け寄る。

 その無防備な背中をソルジャーアントの鋭い爪が狙っていた。


「――させん!」


 ギデオンが身を挺してリアの前に立ちはだかる。

 盾斧でソルジャーアントの爪を受け止めた。

 ガギンッ、という凄まじい金属音。

 ギデオンの足が地面にめり込む。


「……ぐっ……!」


 彼の自慢の盾に深い亀裂が入った。

 ソルジャーアントの追撃。

 もう防げない。

 誰もが死を覚悟した。


 その時だった。


『ティア。……やれるな?』


《はい。対象の甲殻の隙間、0.2ミリ。風速、湿度、計算完了》

《いつでもどうぞ》


 俺は屋根の上に伏せていた。そしてM24改――”スターダスト・スナイパー”のスコープを覗き込む。

 距離は約八百メートル。

 十字のレティクルがソルジャーアントの頭部、その一点で静止する。


「……チェックメイトだ」


 俺は静かに息を吐きトリガーを引いた。


 音はない。

 ただ夜空に一筋の星屑が流れた。

 それは音もなく防衛線の遥か後方から飛来した。


 ギデオンたちの耳にはただ甲高い風切り音だけが届いた。

 次の瞬間。

 彼らの目の前で無敵を誇ったソルジャーアントの頭部が、内側から爆発するように弾け飛んだ。

 体液と甲殻の破片を撒き散らしながら巨大な体がゆっくりと崩れ落ちる。


「……え……?」


 何が起こったのか。

 誰も理解できなかった。

 リーダーを失ったドレッドアントたちは混乱し統率を失う。

 好機を見逃さず冒険者たちが一斉に反撃に転じた。


 戦いは終わった。

 冒険者たちは勝利の雄叫びを上げる。

 だがギデオンだけは歓喜の輪に加わらなかった。

 彼は呆然とソルジャーアントの死骸を見つめる。そして弾丸が飛来したであろう夜の闇の一点を食い入るように見つめていた。


「……一体、誰が……?」


 その呟きは誰にも聞こえなかった。



 俺はスターダスト・スナイパーを虚空に消すと静かに屋根から降りた。


『ティア。分析結果は』


《はい。先ほどのソルジャーアントは間違いなく先遣隊の指揮官個体です。ですが……》


 ティアの声が硬質になる。


《……ですがシン。これはただの威力偵察です。……奴らの本隊はこの百倍は下らない》

《このまま放置すれば数日以内にこの街は”スタンピード”によって地図から消滅します》


『……そうか』


 やはり見て見ぬふりはできないらしい。

 この街が滅びれば俺たちの砂漠越えも困難になる。

 そして何より。


(……あの少女の穏やかな寝顔を蟻の餌にはしたくない)


 俺の脳裏にルナの顔が浮かんだ。

 いつから俺はこんなに甘くなったのか。

 俺は自嘲するように鼻で笑った。


『……ティア。作戦を立案しろ』


《……どのような?》


『決まっているだろう』


 俺はドレッドアントの巣がある南東の闇を見据えた。


『――女王の首を狩る』


 俺の兵士としての血が騒いでいた。

 それはもはや義務ではない。

 俺自身の意思だった。

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