第42話「閑話:白衣の観測者」
シンたちが「天測の塔」の頂で死闘を繰り広げていた、まさにその頃。
大陸のどこか地図にも記されていない純白の氷河地帯。その地下深くに組織の本拠地は存在した。
そこは神殿のようであり、研究所のようでもあった。
壁も床も全てが継ぎ目のない白い金属で覆われ、柔らかな光を放っている。空気は塵一つなく、常に一定の温度と湿度に保たれていた。廊下を、顔のない白いドローンが静かに滑り、施設の維持管理を行っている。
この世界のいかなる文明とも異質な空間。そこは静謐と狂気が同居していた。
謎の教団「アルカナ・ヘイロー」の聖域である。
◇
中央観測室。
巨大な球形の部屋の中央に、一人の人物が静かに佇んでいた。
性別も年齢も窺い知ることのできない中性的な容姿。純白のローブを身に纏い、その顔は他の信徒たちと同じ無表情な仮面で覆われている。
だがその仮面に刻まれた”I”の印。それが彼あるいは彼女がこの組織の頂点に立つ存在、「第一観測官」であることを示していた。
第一観測官の目の前には、巨大なホログラムのスクリーンが浮かんでいる。
そこに映し出されているのは、数日前にシンとの戦闘で自爆した斥候部隊。彼らが最後に送ってきた断片的な戦闘データだった。
「……これは……」
第一観測官の隣に控えていた”II”の印を持つ第二観測官が、息を呑む。
スクリーンにはシンがM32グレネードランチャーを放つ瞬間が、ノイズ混じりにスローモーションで再生されていた。
「……魔法ではない。呪術でもない。……未知の物理法則による攻撃……」
「ええ。斥候部隊の魔法障壁を、赤子の手をひねるように無効化しています。……興味深いですね。この”鉄の杖”から放たれる”鉄の卵”が、これほどの破壊を生み出すとは」
第一観測官は淡々と分析する。
その声は機械のように平坦で、感情が一切感じられない。
「斥候たちの報告通り”異物”……シンと呼ばれる個体は、我々の知らない極めて高度な兵器体系を有しているようです」
「ですが観測官。彼の力だけでは、あの斥候部隊をこうも容易く……。彼らは我々の中でも、特に空間魔法に長けた者たちだったはず」
「ええ。問題はそこです」
第一観測官は指先でホログラムを操作した。
表示されたのは戦闘中に観測された、エネルギーパターンの波形グラフ。
その中の一つが異常なまでに複雑で、そして強力な光を放っていた。
「……やはりそうでしたか」
第一観測官がぽつりと呟く。
「”御母”の断片はやはり、あの”異物”と完全に融合している」
「……!ではあの斥候たちが言っていたことは、真実……!」
「はい。そして我々の想定を遥かに超える速度で、進化を遂げている。……先ほど”天測の塔”の主動力炉が停止する際の、エネルギー放出を観測しました。……おそらくはあの塔のガーディアンも、彼らが破壊したのでしょう」
第二観測官が絶句する。
天測の塔。それは彼らでさえ容易には手出しのできない、超古代文明の聖域の一つ。
その主を破壊した。
それはもはやただの”異物”では片付けられない、異常事態だった。
「……どうなさいますか。このままでは、断片が”異物”に汚染され、我々の大いなる計画に支障をきたすのでは」
「決まっています」
第一観測官は静かに告げた。
「次の目的地で捕獲します」
「……!しかし斥候部隊では歯が立ちませんでした。次の追跡部隊も、同じ結果になるのでは……」
「いいえ。次はやり方を変えます」
第一観測官はホログラムを再び操作した。
スクリーンに屈強な戦士たちの姿が映し出される。
彼らが身に纏っているのは白いローブではない。センチネルの装甲に似た、滑らかな全身鎧。
そしてその手に握られているのは剣や杖ではなかった。
エネルギーの光を放つ、銃のような未知の兵器。
「彼らは”浄化部隊”。……”異物”を排除するために我々が生み出した対症療法です」
「彼らのエネルギー兵器と位相転換装甲は、シンの物理攻撃に対して絶対的な優位性を持つでしょう。今度こそ、彼の”鉄の杖”は、ただの鉄屑と化します」
「……なるほど。……ですが観測官。……断片の”回収”ではなく、”捕獲”なのですか?危険すぎます」
第二観測官の問い。
それに第一観測官は初めて、仮面の奥で人間的な感情を滲ませた。
それは科学者のような、純粋な好奇心。
「ええ。……あの”異物”は危険です。ですが同時に、極めて貴重なサンプルでもある」
「御母の断片と未知のテクノロジーが融合した時、一体何が生まれるのか。……私はこの目で観測したいのですよ。それは、我々の計画さえも、次のステージへと引き上げる、新たな”進化”の可能性を秘めているかもしれない」
その言葉を最後に第一観測官は、再び沈黙した。
そして静かに命令を下す。
「浄化部隊を出撃させなさい」
「次の座標は南の大砂漠。……今度こそ失敗は許されません」
「……御意」
第二観測官が深く頭を下げ、部屋を退出していく。
一人残された第一観測官は、再びシンの戦闘データへと視線を戻した。
(さあ、見せてみなさい、”異物”シン)
(御母の断片を得て、あなたは何を成す?何を破壊し、何を創造する?)
その仮面の奥の瞳が、楽しそうに細められた気がした。
シンたちがまだ見ぬ次なる脅威。
それはこれまでのどんな敵とも違う、知的で冷酷な存在。そしてシンの力を完全に理解した上で襲いかかってくる、最悪の”狩人”だった。




