第36話「天測の塔」
フロストゴーレムたちが融解した水たまりの下から、黒い金属の構造物が姿を現した。それは俺たちが脱出してきた、古代遺跡の壁と同じ材質だ。滑らかで継ぎ目一つない、異質なテクノロジーの産物だった。
俺はルナを安全な洞窟に残し、一人でその構造物へと近づいた。
雪を手で払いのけると、その全貌が明らかになっていく。それはただの床や壁ではなかった。巨大な円形の、ハッチのような形状をしている。直径は20メートル以上はあるだろうか。
『ティア。これをスキャンしろ。何かわかるか?』
《了解。構造物の表面パターンを、遺跡のデータと照合します》
《……一致しました。シン、これはやはりあの遺跡の一部です。おそらくは隠された別の出入り口か、あるいは本体へと続く連絡通路の可能性があります》
『……つまり俺たちの目的地は、この下にあると』
《その可能性が極めて高いでしょう。ですがシン。このハッチには物理的なロック機構が見当たりません。あの門と同じく、特定のエネルギーパターンに反応して開くタイプかと思われます》
また生体認証か。
以前、巨大な門を開いたのはティアのエネルギーパターンが”鍵”になったからだ。そしてティアの分析によれば、ルナもティアと酷似したエネルギーパターンを持っている。
(もしこのハッチが、ティアとは違う……ルナのパターンを”鍵”として要求してきたらどうする?)
俺はルナを安全な洞窟に残してきた。今ここにはいない。試せる鍵は、ティアという一枚だけだ。
《……待ってくださいシン。構造が少し違います》
《あの門は”鍵”となるエネルギーを外部から注ぎ込む、”受け身”のシステムでした。ですがこれは……》
ティアが俺の視界に、ハッチのエネルギー回路の透視図を映し出す。
無数の幾何学的な紋様が、複雑に絡み合っている。そしてその中心部。
《……中心の回路が断線しています。おそらくは長年の地殻変動か、あるいは先ほどのフロストゴーレムとの戦闘の衝撃によるものでしょう》
《この回路を再接続し、エネルギーを流せばハッチは開くはずです》
『再接続?どうやって』
《シン、あなたの兵装生成能力TACTICAL-BUILDは、物質を再構成するスキルです。応用すれば、この回路を修復できるかもしれません》
なるほど。
武器を作るだけが能じゃない、というわけか。
『……やってみるか』
俺はハッチの中心部へと歩み寄り、そこに手をかざした。
ティアが俺の視界に、断線した回路の詳細な設計図を重ねて表示する。
『……すごいな。髪の毛よりも細い回路が、何千本も』
《はい。修復にはナノレベルでの精密な物質再構成が必要です。私の演算能力だけでは、出力が安定しません》
『分かっている。俺の集中力でお前の動きを制御する。……執刀医は俺だ。お前は最高のメスになれ』
《……了解マスター。これより超精密作業モードへ移行します。あなたの神経パルスと、スキル出力を完全に同期させます》
俺は息を吸い込み、精神を研ぎ澄ませた。
指先に全ての意識を集める。
俺の指先から淡い青白い光が放たれ、ハッチの表面に吸い込まれていった。
TACTICAL-BUILDの光。それはティアという最高のロボットアームを、俺という執刀医が操っている証だった。
数分後。
俺の額に汗が滲む。
最後の、一本を繋いだその瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
ハッチ全体が振動を始めた。
そしてその中心から、螺旋を描くようにゆっくりと沈み込んでいく。
現れたのは暗闇へと続く、巨大な階段だった。
『……開いたか』
俺は洞窟へと戻り、ルナを連れてきた。
彼女は暗い穴の底を、不安げな顔で見つめている。
「大丈夫だ。俺がそばにいる」
俺がそう言うと、ルナはこくりと頷き俺の手を強く握りしめた。
俺たちはゆっくりと、その螺旋階段を下り始めた。
◇
階段はどこまでも深く続いていた。
体感では地下数百メートルは下っただろうか。
やがて俺たちは一つの、巨大な空間へとたどり着いた。
そこは塔の内部だった。
見上げれば遥か天空まで、吹き抜けの空間が続いている。壁には無数の通路や足場が複雑に絡み合い、まるで巨大な蟻の巣のようだった。
そしてその空間のあちこちで、物理法則を無視したありえない光景が繰り広げられていた。
水が滝のように、天井から床へと”上って”いる。
巨大な岩の塊が宙に浮かび、ゆっくりと旋回している。
壁の一部はまるでゼリーのように、歪み波打っていた。
『……なんだここは……。重力がめちゃくちゃだ』
《驚異的です。この空間全体が強力な空間制御魔法の内側にあります。……おそらくはこの塔の動力炉が暴走しているのか、あるいはこれが元々の仕様なのか……》
どちらにせよ、まともな場所ではないということだけは確かだ。
「……きれい……」
俺の隣でルナがぽつりと呟いた。
彼女の金色の瞳は恐怖ではなく、純粋な好奇心にきらきらと輝いていた。
子供とは、こういうものなのかもしれない。
俺たちが呆然とその光景を見つめていたその時。
俺たちの目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。
そしてその歪みの中から、一体の機械兵が姿を現した。
センチネル。
だが俺たちが以前戦ったタイプとは違う。二足歩行で、その両腕は鋭いブレードになっている。
より人型に近く、より近接戦闘に特化したタイプ。
《対象との初接触!センチネル、改良型!仮称”ブレードダンサー”!》
ブレードダンサーは俺たちを認めると、一切の躊躇なく突進してきた!
その動きは重力を無視している。
床を壁を天井を、まるで平地のように駆け巡り予測不能な軌道で俺たちに迫る!
『……ちっ!』
俺はルナを背後にかばい、M249を生成した。
だがこの重力異常の空間では、狙いが定まらない!
弾丸は奴の俊敏な動きに翻弄され、空しく空間を切り裂くだけ。
「キィン!」
ブレードダンサーが俺の目の前に着地した。
そしてその両腕のブレードが、俺の首を刈り取ろうと閃く!
俺は咄嗟にM249を盾にした。
ガキン!という硬い音。
LMGの分厚い銃身がブレードを受け止める。
だがその衝撃で俺の体は、後方へと吹き飛ばされた。
『……ぐっ……!』
(このままではジリ貧だ。LMGでは奴のスピードについていけない)
『ティア!こいつを止められる武器は!?』
《提案します!この三次元的な戦闘環境、そして敵の高速機動に対応するには、広範囲を一度に制圧できる面制圧火器が有効です!》
『……ショットガンか!』
《その通りです!TACTICAL-BUILD、起動!AA-12を推奨します!》
俺の手にM249が消え、代わりにフルオート・ショットガンAA-12が生成された。
ドラムマガジンが装着された、無骨な相棒。
ブレードダンサーが再び壁を駆け上がり、俺の死角である頭上から襲いかかってくる!
だが今度の俺は違う。
「――そこだ!」
俺は奴の着地点を予測し、その空間ごと薙ぎ払うようにAA-12を乱射した!
ズガガガガガガガガッ!!
轟音と共に無数の散弾が扇状に広がる。
それはもはや点ではなく、”面”による攻撃。
ブレードダンサーがいくら高速で動こうとも、この弾丸の壁から逃れることはできない。
「ギギッ!?」
空中で散弾の直撃を受けたブレードダンサーが、苦悶の声を上げる。
その白い装甲が蜂の巣になり、火花を散らす。
巨体はバランスを失い、重力に従って遥か下の奈落へと落ちていった。
『……ふぅ。……片付いたか』
だが安堵したのも束の間だった。
俺たちが倒した一体は、ほんの始まりに過ぎなかった。
塔のあちこちで空間が歪み、次々と新たなブレードダンサーたちが姿を現し始めていた。
その数、十……いや二十は下らない。
《……シン。……これはまだ序の口のようです》
ティアの冷静な声が響く。
俺はAA-12を構え直した。
そして隣で震えるルナの手を、強く握る。
「行くぞ。こんなところで立ち止まってる暇はない」
俺たちの塔の攻略は、まだ始まったばかりだ。




