第31話「崩壊の序曲」
《……施設完全崩壊まで、あと10分!》
無機質なカウントダウンが、崩れゆく施設に響き渡る。
俺は気を失った銀髪の少女を肩に担いだ。瓦礫が降り注ぐ中を、ただひたすらに出口へと駆け抜ける。壁は剥がれ落ちて、天井の照明が火花を散らしながら次々と落下する。俺たちが通ってきた道は、もはや存在しなかった。
『ティア!脱出ルートは!?』
俺の焦りを帯びた問いかけに、返ってきたのは絶望的なノイズだった。
《……ザ……ジジッ……エラー!》
《施設構造データ……損傷!》
《……ルート算出……不能!》
EMPグレネードの余波と施設の物理的な崩壊。その二重のダメージが、ティアのシステムさえも蝕んでいる。頼れるのは、俺自身の戦場で培った勘だけだ。
俺は右へと続く分岐路へ、躊躇なく飛び込んだ。こっちの方が、新鮮な空気の流れを微かに感じる。出口は近いはずだ。
だが、その選択は間違いだったのかもしれない。
行き着いた先は、あの円形の広間だった。俺がセンチネルと、最初に交戦した場所だ。
そして、そこには地獄が広がっていた。
「ギギギギギギッ!」
赤い非常灯の光に照らされ、数体のセンチネルが狂ったように動き回る。自爆シークエンスが、奴らの制御システムを破壊したらしい。敵も味方も区別なく、目に入るもの全てを破壊し尽くしている。仲間だったはずのセンチネル同士がエネルギー弾を撃ち合い、その白い装甲を互いに溶解させていた。
『……最悪だ』
俺は舌打ちをした。この狂気のダンスフロアを、突っ切らなければ出口にはたどり着けない。
一体のセンチネルが、俺の存在に気づく。その単眼の赤いセンサーが、俺を捉えた。腕部が変形し、青白いエネルギーが収束していく。
だが、奴が発射するよりも早く。
俺は肩に担いだ少女を抱え直し、左手一本でP90を構えた。そして、トリガーを引き絞る。
ダダダダダダダッ!
弾丸の嵐が、センチネルの足元へと叩き込まれる。狙いは破壊ではない。牽制だ。
センチネルがバランスを崩してよろめいたその隙に、俺はその脇を駆け抜けた。背後で、エネルギー弾が壁を抉る甲高い音が響く。
だが、一体抜けても次がいる。
別のセンチネルが、俺の進路上に立ち塞がった。
(このままでは蜂の巣にされる)
その覚悟を決めた、瞬間だった。
俺の肩でぐったりとしていたはずの少女の体が、ぴくりと震えた。
そして彼女の閉ざされた瞼の奥から、淡い金色の光が漏れ出す。
次の瞬間。
俺に襲いかかろうとしていたセンチネルの動きが、ぴたりと止まった。そして、まるで見えない糸に操られるかのように、その砲口を別のセンチネルへと向けた。
(……!?)
何が起こった?
センチネルたちは、互いに撃ち合いを始めた。まるで、同士討ちをしているかのようだ。
いや違う。させられている。この少女の、無意識の念動力によって。
『……寝てても厄介な力を持ってるな、こいつは』
俺は、その千載一遇の好機を見逃さなかった。
センチネルたちが同士討ちで動きを止めている隙に、広間を一気に駆け抜ける。
出口である巨大な回廊へ、たどり着いた。
だが、安堵したのも束の間だった。
ゴゴゴゴゴゴ……!
凄まじい地響きと共に、俺の目の前で天井が崩落し始めた。巨大な金属の塊が、次々と落下してくる。道が塞がれる。
『……くそっ!間に合わねぇか!』
諦めかけた、その時。
《……シン!》
ティアのクリアな声が、脳内に響いた。どうやら、システムが復旧したらしい。
《……左!壁の亀裂へ!》
俺は言われるがままに、左の壁へと目を向けた。そこには崩落の衝撃で生まれたであろう、人間一人がギリギリ通れるほどの亀裂が入っている。
俺は、その亀裂へ躊躇なく体を滑り込ませた。そこは施設の配管やケーブルが、無数に張り巡らされた壁の内部だった。正規のルートではない。だが、今はそんなことを言っていられる状況ではなかった。
俺はパイプを足場に、ケーブルを命綱にしてひたすらに上を目指した。背後では、施設が断末魔の叫びを上げている。
やがて、俺は光を見た。
頭上から差し込む月明かり。出口だ。
俺は最後の力を振り絞り、地上へと這い出した。そこは、山頂に近い岩場だった。
俺が外へ出た、その直後。
ズウウウウウウウウウンッ!!
山全体が揺れた。
俺が出てきた亀裂が、内側からの爆発によって完全に崩落し塞がる。そして、俺たちが中に入ってきたあの巨大な黒い門も、跡形もなく山の一部と化していた。
古代遺跡は、その秘密を再び永遠の沈黙の中に封じ込めたのだ。
『……終わった……のか?』
俺は荒い息を整えながら、呟いた。
肩に担いでいた少女を、ゆっくりと地面に下ろす。彼女はまだ意識を取り戻さない。だが、その寝顔は施設の中にいた時よりも、どこか安らかに見えた。
《……シン。……私たち……生きているのですね》
ティアのか細い声。その声は、どこか震えていた。
『ああ。お前と、そいつのおかげでな』
俺は夜空を見上げた。
満天の星空。ゼノアの街の灯りは、ここからでは見えない。俺たちは完全に孤立した。
だが、不思議と絶望はなかった。
むしろ達成感と、これから始まる何かへの予感が俺の心をを満たしていた。
俺は近くにあった小さな洞窟へ、少女を運んだ。
焚き火を起こし、冷えた体を温める。
『ティア。こいつをスキャンしろ。何か分かるか?』
《……了解。……ですがシン。……怖いです。もし彼女が本当に、私と同じだとしたら……。私は……》
『……いいからやれ』
俺の静かな命令。
ティアはしばらく沈黙していたが、やがて意を決したように答えた。
《……はい。マスター》
俺の視界に、少女のバイタルサインとエネルギーパターンの解析データが表示される。
それは驚くほど、ティアのそれと酷似していた。だが、決定的に違う点が一つ。少女のエネルギーはひどく不安定で、まるで嵐の前の海のようだった。
俺がその解析データを見つめていた、その時。
焚き火の光に照らされた少女の銀色の睫毛が、ふるりと震えた。そしてゆっくりと、その金色の瞳が開かれていく。
その瞳には、もう虚無の色はなかった。
あるのはただ深い森の湖のような、静かな困惑。そして怯え。
少女は目の前にいる俺の姿を認めると、か細い唇を震わせた。
そして掠れた声で、呟いた。
「……だれ……?」
それは彼女が初めて、自らの意思で発した言葉だった。




