第29話「被検体No.7」
俺は、M249を構え直し、ゆっくりと開かれた扉の向こうへと足を踏み入れた。
先ほどまでの、無機質で殺風景なメンテナンス通路とは、明らかに空気が違う。
鼻を突くのは、オゾンの匂いではなく、消毒液と、微かな腐臭が混じり合ったような、甘ったるい匂い。
ここは、施設の、全く別のセクションだ。
通路は、先ほどよりも狭く、壁には無数のケーブルやパイプが、血管のように張り巡らされている。
そして、そのパイプの一部はひび割れ、中から粘着質の、気味の悪い液体が漏れ出していた。
床には、黒い染みがいくつもこびりついている。
血の跡だ。
ここで、何か、凄惨な出来事が起きたことを、物語っていた。
『……ティア。ここは、一体……』
《……分かりません。ですが、施設の構造データを照合した結果、ここは、生物学的な研究、あるいは、実験を行っていたセクションである可能性が高いです》
生物実験。
その言葉に、俺は、嫌な予感を覚える。
あのログにあった、「被検体No.7」。
まさか。
俺は、より一層、警戒を強めながら、通路を奥へと進んでいった。
道は、迷路のように入り組んでいる。
左右には、分厚い強化ガラスで仕切られた、無数の実験室が並んでいた。
その中は、どれも、酷い有様だった。
ひっくり返った実験器具、破壊されたカプセル、そして、壁や床に飛び散った、おびただしい量の、黒い血痕。
まるで、巨大な獣が、内側から暴れ回ったかのようだ。
《シン、気をつけてください》
ティアの声が、緊張に、強張る。
《この区画、生命維持システム以外の、ほとんどの機能が、停止しています。ですが、……監視システムだけは、今も、正常に、稼働している》
見られている。
この施設の、何者かに。
あるいは、”何か”に。
俺は、M249の、重さと、無骨さが、ひどく、頼りなく感じ始めていた。
この、狭く、入り組んだ通路では、軽機関銃は、あまりにも、取り回しが悪い。
もっと、速く、もっと、コンパクトな武器が、必要だ。
その時だった。
俺の、数メートル先の天井。
そこにあった、換気口のカバーが、音もなく、外れた。
そして、その闇の中から、何かが、凄まじいスピードで、飛び出してきた!
それは、影だった。
黒く、しなやかで、獣のような、影。
俺は、咄嗟に、地面を転がり、それを回避する。
影は、俺がさっきまでいた場所の壁に、音もなく着地すると、まるで、ヤモリのように、張り付いた。
そこで、初めて、俺は、奴の、全身を、捉えた。
全長、約3メートル。
黒豹のような、流線型の、しなやかな体。
だが、その全身は、生物的な皮膚ではなく、昆虫の外骨格のような、黒光りする、キチン質の装甲で覆われている。
そして、その背中からは、カマキリの鎌のような、鋭い、一対の刃が、生えていた。
顔には、目も、鼻も、口もない。
ただ、アルカナ・ヘイローの連中が着けていた仮面のような、のっぺりとした、白い能面が、そこにあるだけだった。
《対象との、初接触!仮称、”ストーカー”と命名!》
『……化け物が!』
ストーカーは、壁を蹴り、再び、影となって、俺に襲いかかってくる!
その動きは、センチネルのような、機械的な、直線的なものではない。
予測不能な、三次元的な、獣の動きだ!
俺は、M249を乱射する。
だが、その弾丸は、奴の、俊敏な動きに、翻弄され、空しく、壁を穿つだけ。
『……くそっ!当たらねぇ!』
俺が、リロードしようと、一瞬、動きを止めた、その隙。
ストーカーは、俺の、懐へと、潜り込んでいた。
そして、背中の、カマキリの鎌が、俺の、首を、刈り取ろうと、閃く!
《――タクティカル・フィールド、最大出力!》
俺の、体の周りに、青白い障壁が、展開される。
ガキンッ!
鎌が、障壁に叩きつけられ、火花を散らした。
障壁は、砕け散り、俺の体は、衝撃で、壁へと叩きつけられる。
「……ぐっ……!」
だが、そのおかげで、俺は、奴との、距離を、取ることができた。
俺は、M249を消し、新たな武器を、生成する。
『ティア!もっと、速いやつを!この、ゴキブリ野郎を、蜂の巣にできるやつだ!』
《了解!推奨します!TACTICAL-BUILD!FN P90!》
俺の手に、これまでの、どの銃とも違う、奇妙な形状の、サブマシンガンが、出現した。
銃身は、極端に短く、弾倉は、銃の上部に、水平に装着されている。
近接戦闘に、特化した、特殊部隊御用達の、一丁。
ストーカーが、再び、突進してくる。
だが、今度の俺は、違う。
俺は、P90のトリガーを、引き絞った。
ダダダダダダダダダダダダダッ!!
M249とは、比較にならないほどの、高レートな、発射音。
銃口から、5.7x28mm弾が、文字通り、嵐のように、吐き出される!
その、弾丸の壁が、ストーカーの、俊敏な動きを、完全に、封じ込めた。
「ギィィィィィッ!」
ストーカーが、初めて、苦悶の声を、上げる。
その、黒い外骨格に、無数の、弾痕が、刻まれていく。
奴の、自慢のスピードも、この、圧倒的な、弾幕の前では、意味をなさない。
やがて、ストーカーの体は、痙攣し、動きを止めると、どさりと、床に、崩れ落ちた。
『……ふぅ。……化け物が』
俺は、P90の銃口から立ち上る、硝煙の匂いを、深く、吸い込んだ。
この施設は、センチネルのような、機械兵器だけではない。
こんな、生物兵器まで、作り出していたというのか。
俺は、ストーカーの、死骸へと、近づいた。
そして、その、白い能面を、P90の銃口で、つつく。
仮面が、ずれる。
そして、その下に、隠されていたものが、現れた。
『……!』
俺は、息を呑んだ。
そこに、あったのは、人間の、顔だった。
苦痛に、歪んだ、若い、女の顔。
その瞳は、虚ろに、開かれ、何かを、訴えかけているかのようだった。
こいつは、魔物ではない。
元は、人間だったのだ。
『……プロジェクト・マザー……。被検体……』
俺は、目の前の、惨状に、言葉を失った。
この施設では、一体、どんな、非道な、実験が、行われていたというのだ。
《……シン》
ティアが、静かに、呼びかける。
《……この部屋の、奥。……さらに、強い、生命反応を、感知します》
俺は、ストーカーだった、”彼女”から、目を逸らし、部屋の、奥の扉を、見据えた。
その扉は、これまでの、どの扉よりも、分厚く、そして、厳重に、封鎖されている。
扉の、中央には、赤い、警告灯が、点滅していた。
【警告:バイオハザード・レベル7】
【隔離区画:被検体No.7、収容室】
被検体、No.7。
あのログに、あった、名前。
制御を離れ、暴走したという、”何か”。
俺は、P90を、再び、構えた。
この先に、何が、いようとも、俺は、進むしかない。
全ての、謎の、始まりが、この、扉の向こうに、あるのだから。
俺は、扉の、ロック解除パネルを、銃床で、叩き壊した。
火花が散り、警告音が、鳴り響く。
そして、重い、金属の軋む音と共に、分厚い、隔離扉が、ゆっくりと、開き始めた。
その、闇の向こうから、俺は、確かに、”それ”の、視線を、感じていた。




