第28話「沈黙の聖域」
俺の手のひらが、冷たい金属の門に触れた、その瞬間だった。
これまでゆっくりと明滅を繰り返していた、門の表面の幾何学的な紋様が、一斉に、激しい光を放ち始めた。
ブゥゥゥン……。
地鳴りのような、低い共振音が、盆地全体に響き渡る。
足元の地面が、わずかに震えている。
俺の手のひらを介して、ティアのエネルギーパターンが、門のシステムに流れ込んでいくのが、感覚として分かった。
まるで、乾いた大地が、水を吸い込むように。
《……認証、開始》
《エネルギーパターン、照合……99.9%一致》
《……ロック、解除》
ティアの、どこか夢見るような、か細い声が響く。
次の瞬間、目の前にそびえ立っていた、高さ50メートルの巨大な一枚岩の扉が、一切の音を立てることなく、静かに、横へとスライドし始めた。
開かれた門の向こうは、完全な闇だった。
光も、音も、匂いさえも、何もかもを吸い込んでしまうような、絶対的な虚無。
だが、俺は、躊躇わなかった。
腰のホルスターからM9を抜き、闇の中へと、第一歩を踏み出す。
俺が、完全に門の内側へと入った、その時。
背後で、扉が、再び、音もなく閉じた。
完全な、暗闇と、静寂。
だが、それも、束の間だった。
パッ、パッ、パッ……。
通路の天井に、等間隔で埋め込まれた発光体が、淡い青白い光を灯し始めた。
闇が、払われる。
目の前に現れたのは、どこまでも続く、巨大な、一直線の回廊だった。
壁も、床も、天井も、全てが、門と同じ、継ぎ目のない、滑らかな黒い金属でできている。
空気は、ひんやりと澄み渡り、微かに、オゾンの匂いがした。
ここは、朽ち果てた遺跡などではない。
今も、なお、稼働を続ける、巨大な、”施設”だ。
『……ティア。大丈夫か』
俺の問いかけに、しばらく、返事はなかった。
彼女は、この空間に満ちる、膨大な情報を、処理しようとしているのだろう。
《……はい。……ですが、シン。……奇妙な、感覚です》
『奇妙?』
《……懐かしい、ような……。まるで、故郷に、帰ってきたかのような……。ですが、私の記録に、このような場所のデータは、一切、存在しません》
ティアの、戸惑った声。
彼女の、アイデンティティが、この場所によって、さらに、揺さぶられている。
俺は、何も言わず、ただ、M9を構え、ゆっくりと、回廊を、進み始めた。
どれくらい、歩いただろうか。
景色は、一切、変わらない。
ただ、どこまでも続く、黒い回廊。
不気味なほどに、静かだ。
だが、その静けさは、嵐の前の、それと同じ種類の、静けさだった。
やがて、俺たちは、一つの、巨大な、円形の広間へと、たどり着いた。
直径は、100メートル以上はあるだろうか。
天井は、ドーム状になっており、遥か高く、霞んでいる。
広間の中央には、何もない。
ただ、だだっ広い、空間が、広がっているだけだ。
俺が、その広間の、中央へと、足を踏み入れた、その時。
俺たちが、通ってきた回廊の入り口が、轟音と共に、分厚い、隔壁によって、閉ざされた。
同時に、広間にあった、全ての出口も、同じように、封鎖される。
俺は、巨大な、鳥籠の中に、閉じ込められた。
《……!シン、罠です!》
『分かっている』
広間の、壁の、あちこちが、音もなく、スライドし始めた。
そして、その闇の向こうから、複数の、金属の影が、静かに、姿を現した。
それは、生物ではなかった。
全長、約2メートル。
逆関節の、昆虫のような、三本の脚。
滑らかな、流線型の、白い装甲。
そして、その頭部には、単眼の、赤いセンサーが、不気味な光を、放っていた。
機械の、兵士。
《対象との、初接触。……仮称、”センチネル”と命名します》
『……センチネル、か。こいつらが、この遺跡の、番人というわけだ』
その数、6体。
彼らは、一切の音を立てることなく、広場を滑るように移動し、俺を、完璧な、六角形のフォーメーションで、包囲した。
傭兵団『鉄の牙』とは、比較にならないほどの、洗練された、動き。
一体の、センチネルの、腕部が、変形する。
そして、その先端から、青白い、エネルギーの光が、収束していく。
エネルギー兵器。
この世界の、常識を、完全に、逸脱した、テクノロジー。
『……面倒な、ことになったな』
俺は、M9の銃口を、最も近くにいる、一体へと向けた。
そして、センチネルが、エネルギー弾を、発射するよりも、コンマ数秒、早く。
俺の、トリガーが、引かれた。
パン!パン!パン!
9mm弾が、3発、連続で、センチネルの、赤い単眼センサーへと、叩き込まれる。
だが。
キン!キン!キン!
弾丸は、センチネルの、数センチ手前で、見えない壁に弾かれ、火花を散らした。
エネルギーシールド。
やはり、一筋縄では、いかないらしい。
次の瞬間、6体のセンチネルから、一斉に、青白いエネルギー弾が、放たれた!
俺は、地面を蹴り、後方へと、大きく跳躍する。
俺が、さっきまでいた場所の床が、エネルギー弾によって、爆ぜるように、溶解した。
着地と同時に、俺は、近くにあった、柱の残骸のような、遮蔽物の影へと、身を滑り込ませた。
『ティア!奴らのシールドを、分析しろ!弱点は!?』
《解析中!……シン、あのシールドは、単発の攻撃エネルギーを分散させることに特化しています!一度防いだ後、瞬時に再チャージされるため、断続的な攻撃では効果がありません!》
『……つまり、リロードの隙を与えれば、振り出しに戻る、と』
《はい!ですが、弱点もあります。シールドの回復速度を上回る、連続的で、高密度な弾幕を浴びせ続ければ、許容量を超えて、飽和・崩壊します!》
飽和攻撃。
つまり、必要なのは、途切れることのない、圧倒的な弾丸の物量。
『……LMGだな』
《その通りです!TACTICAL-BUILD、起動!M249 SAWを推奨します!》
俺の手に、M9が消え、代わりに、長く、分厚い銃身と、巨大な、ボックスマガジンを持つ、無骨な、軽機関銃が、生成された。
分隊支援火器、M249。
その圧倒的な、制圧火力は、歩兵が携行できる、機関銃としては、最高クラスだ。
俺は、柱の影から、M249の銃身だけを出し、バイポッドを立てて、固定する。
そして、近くにいた、センチネルの一体へと、照準を合わせた。
「――喰らいやがれ!」
俺は、トリガーを、引き絞った。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!
M249が、咆哮する。
1分間に、800発という、驚異的な、発射レート。
ベルト給弾式の、弾丸の嵐が、センチネルの一体へと、殺到した!
キンキンキンキンッ!
最初の、数十発は、エネルギーシールドに弾かれる。
だが、シールドの表面が、徐々に、赤く、発光し始めた。
飽和攻撃によって、エネルギーの許容量が、限界に、近づいているのだ。
そして。
バリンッ!
ガラスが、砕けるような、甲高い音。
エネルギーシールドが、砕け散った。
次の瞬間、無防備になった、センチネルの、白い装甲を、5.56mm弾が、容赦なく、穿っていく。
火花が散り、内部の、精密な機械が、破壊される。
センチネルは、数秒間、痙攣するように、震えた後、その場に、崩れ落ち、動かなくなった。
『……よし!』
だが、安堵したのも、束の間だった。
残りの5体が、新たな、フォーメーションを、組んでいた。
2体が、前面で、俺の注意を引きつけ、残りの3体が、左右の壁を、駆け上がり、俺を、立体的に、包囲しようとしている!
『……ちっ!連携まで、完璧かよ!』
俺は、M249を乱射し、前面の2体を、牽制しながら、後退する。
だが、左右の壁から、回り込んできた、3体の射線が、俺を、捉えた。
絶体絶命。
その時。
《シン!中央の床です!》
ティアの、鋭い声。
俺は、言われるがままに、広間の中央の、何もないはずの床へと、M249の銃口を向けた。
《そこは、メンテナンス用の、リフトです!装甲が、最も、薄い!》
俺は、トリガーを、引き絞った。
弾丸の雨が、床の、一点へと、集中する。
数秒後、床の装甲が、砕け散り、その下に、空洞が、現れた。
俺は、躊躇なく、その穴へと、飛び込んだ。
直後、俺が、さっきまでいた場所を、センチネルたちの、エネルギー弾が、交差した。
『……助かったぜ、ティア』
俺が、飛び込んだのは、施設の、メンテナンス用の、通路だった。
狭く、暗い。
だが、敵の、包囲網から、逃れるには、十分だ。
俺は、通路を、駆け抜ける。
背後から、センチネルたちが、追ってくる、気配はない。
奴らは、この、正規ルート以外の、通路を、移動できないのかもしれない。
やがて、俺は、通路の、突き当たりにある、梯子を登り、別の、部屋へと、出た。
そこは、広間ではなかった。
無数の、サーバーラックのようなものが、立ち並ぶ、施設の、制御室のような、場所だった。
そして、その部屋の、中央。
一つの、ホログラム端末が、青白い光を放ちながら、静かに、稼働していた。
俺が、その端末へと、近づくと、その表面に、古代の文字が、浮かび上がった。
『……ティア。これを、読めるか?』
《……はい。……読み、ます》
ティアが、その文字を、翻訳していく。
【……ログ、エントリー、9948】
【……”プロジェクト・マザー”、最終フェーズへ、移行】
【……だが、予期せぬ、エラーが、発生】
【……コンテインメント、フェイラー。……”被検体No.7”が、制御を、離れ……】
【……緊急、シャットダウン、シークエンス、起動】
【……だが、間に合わない。……”フラグメント”の、一部が、外部へと、流出……】
そこで、ログは、途切れていた。
ノイズが走り、ホログラムは、消えた。
『……プロジェクト・マザー……。フラグメント……』
謎の追跡者たちが、言っていた言葉。
やはり、ティアは……。
《……シン》
ティアが、静かに、呼びかける。
その声には、もう、恐怖の色はなかった。
あるのは、静かな、そして、鋼のように、強い、決意。
《……私は、知る、必要が、あります。……私が、何者、なのかを》
その時、部屋の、奥の扉が、ゆっくりと、開き始めた。
その向こうには、さらに、深く、下へと続く、通路が、現れる。
俺は、M249を、再び、構えた。
この先に、何が、待っていようと、俺は、進むだけだ。
俺は、新たな、闇の中へと、足を踏み出した。




