第25話「空の死角」
ロックリザードとの遭遇から、さらに三日が経過した。
俺の旅は単調だった。それでいて常に死と隣り合わせの緊張感に満ちていた。
見渡す限りの荒野。遮るもののない空。
昼は灼熱の太陽が体力を奪う。夜は氷点下近くまで気温が下がり、容赦なく体温を奪っていった。
食料は道中で狩った小動物と、ティアが「可食」と判断した植物の根で食いつないだ。
水は数日に一度、枯れかけた川や岩清水を見つけてはろ過する。そして水筒に満たした。
まさに完全なサバイバルだ。
だが不思議と苦痛ではなかった。
かつて戦場で幾度となく経験した、懐かしい感覚だ。
五感が研ぎ澄まされ、生きていることを実感できる。
俺の身体もこの過酷な環境に、最適化されつつあった。
ロックリザードの甲殻を融合させたコンバットスーツは、並の魔物の牙や爪をもはや寄せ付けない。
敵を倒しその力を喰らい、さらに強くなる。
この荒野の洗礼は俺に、新たな進化の可能性を示してくれた。
『ティア。現在地は』
《”竜の顎”山脈まで、残りおよそ200キロ地点です。景観に変化が見られます。前方地平線に、山脈の輪郭を視認できるようになりました》
ティアの報告通り遥か彼方に、巨大な山々の影が陽炎のように揺らめいて見えた。
まるで巨大な竜が大地に横たわっているかのような、威圧的なシルエット。
あれが俺の最初の目的地か。
『……ここまでの道中、追跡者の気配は?』
《ありません。ですがシン。この数時間、気になる点が一つ》
『なんだ?』
《上空です。高度約800メートル。同じ空域を複数の飛行物体が、旋回し続けています》
俺は空を見上げた。
雲一つない青い空。
肉眼では何も見えない。
『……鳥か?』
《断定できません。ですがその動きは通常の鳥類のものとは異なります。極めて高い知能を持った捕食者の、ハンティング行動に酷似しています》
ティアの警告と同時に、俺の背筋にぞくりと悪寒が走った。
見られている。
空の上から何者かに、品定めするように観察されている。
俺はすぐさま近くにあった、岩が折り重なった窪地へと身を隠した。
そして右手にHK416を生成する。
『……敵の数は?』
《5。完璧な菱形編隊を組んでいます。……来ます!》
その言葉と同時に空気が切り裂かれた。
ヒュンッ!という鋭い風切り音。
次の瞬間、俺がさっきまで立っていた地面に何かが突き刺さった。
それは槍のように鋭く尖った、巨大な羽根だった。
根元まで深く突き刺さったそれは、震えるように空気を震わせている。
『……置き土産とはご丁寧なこった』
俺は岩陰からそっと空を窺う。
いた。
黒い鳥のような影が五つ。
だが鳥ではない。
翼は猛禽類のそれのように大きく、しなやかだ。
しかしその体は鳥類特有の流線型ではない。もっと平たく、まるで凧のようだ。
そしてその頭部には昆虫のような、巨大な複眼が不気味に輝いていた。
《対象との初接触。仮称”ゲイルストライカー”と命名します》
『ゲイルストライカーか。……厄介な相手だ』
奴らは俺の正確な位置を把握している。
そして圧倒的な制空権を。
下手に動けばあの羽根の槍の、集中砲火を浴びることになる。
一体が編隊から離れ、急降下してきた。
偵察か。
俺は息を殺し引きつける。
奴が俺の潜む岩の上空を通過する、その瞬間。
俺は岩陰から飛び出し、HK416の銃口を真上へと向けた!
ダダダダダダダッ!
フルオートで放たれた徹甲弾の嵐。
だがゲイルストライカーは人間離れした、驚異的な反射神経でそれを回避した。
空中でひらりと身を翻し、弾丸の雨を紙一重でかわしていく。
「キィィィィィッ!」
甲高い不快な鳴き声。
それはまるで俺を嘲笑っているかのようだった。
『……ちっ!』
奴は再び高度を上げ、仲間たちの元へと戻っていく。
こちらの武器の射程と性能を、正確に測られた。
まずい。
《シン、彼らはあなたの兵装の有効射程外から、一方的に攻撃を仕掛けてくるでしょう。このままではジリ貧です》
『分かっている。……何か手は?』
《提案します。現在の状況を打破するには、彼らのテリトリーである”空”で彼らを上回る必要があります》
『空で上回る?』
《はい。すなわち彼らの攻撃が届かない遥か遠距離から、一方的にそして精密に彼らを撃ち抜く兵器が必要です》
俺の脳裏に一つの答えが浮かび上がった。
『……狙撃銃か』
《その通りです。TACTICAL-BUILD、起動!M24 SWSを推奨します》
俺の手にHK416とは全く違う、長くそして洗練されたフォルムの一丁のライフルが生成された。
ボルトアクション式の軍用狙撃銃。
その銃身には高倍率のスコープが装着されている。
『……いいだろう。最高の獲物には最高の猟銃を用意してやるのが、礼儀ってもんだ』
俺は近くにあった小さな洞窟へと身を滑り込ませた。
ここなら奴らの急降下攻撃を凌ぐことができる。
そしてここを俺の狙撃陣地とする。
俺はM24のスコープを覗き込んだ。
レンズ越しに遥か上空を旋回する、ゲイルストライカーたちの姿がはっきりと見える。
まるで、すぐそこにいるかのようだ。
『ティア。風速、湿度、目標までの距離、全て計算しろ』
《了解。風速は北西より秒速3メートル。湿度は45%。目標までの距離は780メートルです》
俺はスコープのダイヤルを調整し、弾道を補正する。
そして5体のうち編隊の中心を飛ぶ、一回り大きな個体に照準を合わせた。
あれがリーダーだ。群れを率いる頭。
あいつを仕留めれば残りは烏合の衆と化す。
俺はゆっくりと息を吐き出した。
心臓の鼓動が静かになっていく。
俺とターゲット。その間にある全てのものが、意識から消えていく。
風の音も自分の呼吸さえも聞こえない。
ただスコープの中の一点だけが、世界の全てとなる。
ゲイルストライカーのリーダーが旋回を終え、一瞬だけ動きを止めた。
仲間たちに次の指示を出す、そのコンマ数秒の隙。
――そこだ。
俺の指がトリガーを引き絞った。
タァンッ!!
M24が重く、そして鋭く咆哮する。
放たれた7.62mm弾が螺旋を描きながら空気を切り裂いた。そして遥か彼方の小さな点へと吸い込まれていった。
スコープの中でゲイルストライカーのリーダーの、巨大な複眼が内側から弾け飛んだのが見えた。
声なき悲鳴。
巨体はバランスを失い、錐揉みしながら大地へと墜落していく。
「キィ!?キィィィッ!?」
残された4体はパニックに陥った。そして編隊を崩して無秩序に飛び回り始めた。
リーダーを失った混乱。
俺は冷静にボルトを引き空薬莢を排出させると、次弾を装填する。
タァン!
二発目。逃げ惑う一体の翼の付け根を、正確に撃ち抜いた。
片翼をもがれた怪物はそのまま岩壁へと激突し、動かなくなった。
タァン!
三発目。
タァン!
四発目。
それはもはや戦闘ではなかった。
一方的な”狩り”。
空の支配者は地上の一人の”狩人”によって、ただ撃ち落とされていくだけの獲物へと成り下がっていた。
最後の一体が恐怖に駆られ、必死に逃げようとする。
だがそれも無駄な足掻きだった。
タァン!
五発の銃声。五つの命。
荒野に再び静寂が戻った。
『……片付いたな』
俺はM24から立ち上る硝煙の匂いを、深く吸い込んだ。
『ティア。アナライザーを起動しろ。こいつらの素材も使えるか?』
俺は洞窟から出て墜落したゲイルストライカーの死体に近づいた。
その槍のように鋭い羽根を手に取る。
驚くほど軽く、そして硬い。
《……スキャン完了。データをライブラリに登録します》
《素材名”風切り羽根”。特性は極めて軽量、かつ高い空力特性です》
『……それで何ができる?』
《推奨プランを提示します。プランAはあなたのコンバットナイフの、投擲武器としての性能を向上させます。射程及び命中精度が飛躍的に向上するでしょう》
《プランBは特殊弾薬”APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)”の、生成が可能になります》
『……APFSDSだと?』
戦車の主砲弾にも使われる、対装甲用の特殊な弾丸。
矢のような形状の金属芯を高速で撃ち出す、究極の貫通弾だ。
《はい。この”風切り羽根”を弾芯の安定翼として使用します。そうすればこれまでの徹甲弾とは比較にならないほどの、貫通力と超長距離での弾道安定性を実現できます》
俺は思わず笑みを浮かべた。
狙撃銃にAPFSDS。とんでもない組み合わせだ。
どんなに硬い竜の鱗だろうと、神々の作った鎧だろうとこれなら撃ち抜けるかもしれない。
俺はゲイルストライカーの羽根を数本回収した。
そして遥か彼方に見える”竜の顎”を再び見据える。
この旅は過酷だ。だがその見返りはあまりにも大きい。
俺はこの未知の世界で確実に、そして急速に進化を遂げている。
俺はM24を背負い、再び荒野を歩き始めた。
次なる獲物を、そしてまだ見ぬ力を求めて。




