第23話「新たなる道標」
あれから三日が過ぎた。
ゼノアの街はまだ混沌の中にあった。だがその混沌は死へと向かうものではなく、生へと向かう力強いものに変わり始めていた。
旧ギルドの残党は一掃され、アークライト商会は沈黙を守っている。その力の空白を埋めるように、小さな工房や商店が活気に満ち溢れていた。
その中心にいるのがライラだった。
俺は旅立ちの準備を全て終え、最後に彼女の工房を訪れた。
そこはもはや俺が知る、煤けた寂しい場所ではなかった。多くの職人たちが出入りし、活気のある槌の音がいくつも響き渡っている。
工房の看板も「フォルクヴァング鍛冶工房」から、「ゼノア工房連盟」という真新しいものに掛け替えられていた。
俺の姿を認めると職人たちが、畏敬の念を込めて道を開ける。
工房の奥で炉の前に立つライラが、こちらを振り返った。その顔は数日前とは比べ物にならないほど、自信とリーダーとしての威厳に満ちている。
「……来たのね」
「ああ。約束のものはできたか?」
「ええ。もちろん」
ライラは布に包まれた細長い何かを、静かに作業台の上に置いた。
俺がその布を解くと中から現れたのは、息を呑むほどに精巧な金属の部品だった。
それは銃身のようであり、複雑な歯車が組み込まれた機関部のようでもあった。
魔導金属が持つ鈍い輝き。寸分の狂いもなく組み上げられた完璧な機能美。
この世界の技術レベルを遥かに超越した、異質な存在感を放っている。
「……どうかしら。あんたのお眼鏡にはかなう?」
ライラが少し不安げに、それでいて誇らしげな声で尋ねる。
『ティア。スキャンしろ』
《了解。……スキャン完了。……信じられません》
《設計図の要求スペックを120%の精度でクリアしています。素材の特性も完璧に引き出されている。これは……芸術品です》
ティアの最大級の賛辞。
俺はその部品を静かに手に取った。
ずしりとした心地よい重み。これがあれば俺の力は、次のステージへと進化する。
「……ああ。文句のつけようがない。最高の出来だ」
俺の言葉にライラは心の底から、嬉しそうに微笑んだ。
俺が初めて見る彼女の、少女のような笑顔だった。
「よかった……。これを作るのは本当に大変だったんだから。三日三晩、工房のみんなと付きっきりで……」
「礼を言う」
俺は静かに頭を下げた。
彼女と彼女の仲間たちがこの部品に込めた、想いと技術。
それは確かに俺の心に届いていた。
「……もう行くの?」
ライラが寂しそうに尋ねる。
「ああ。俺にはまだやることがある」
「そう……」
しばらくの沈黙。
やがてライラは顔を上げた。
「……また会える?」
「さあな。それは分からない」
俺の素っ気ない返答。
だがライラはもう悲しそうな顔はしなかった。
彼女は力強く頷いた。
「そっか。……ならこれを持って行って」
彼女は作業台の下から一振りの、美しいナイフを差し出した。
それは彼女が最初に俺の渡した金属片から、作り上げたあのナイフだった。
「お守りがわりよ。……あんたが道に迷わないように」
俺はそのナイフを黙って受け取った。
そして腰のベルトに差し込む。
「……世話になったな」
俺が工房を去ろうと背を向けた、その時。
「シン!」
ライラが俺の名前を呼んだ。
俺が振り返ると彼女は、最高の笑顔で言った。
「――ありがとう!」
その言葉に俺は何も答えなかった。
ただわずかに片手を上げただけ。
それが俺なりの別れの挨拶だった。
◇
俺はライラに背を向け、工房を後にした。
もうこの街に用はない。
活気を取り戻し始めた街の喧騒を抜け、俺はまっすぐに北東の門へと向かった。
門をくぐり石畳の道が途切れる。
目の前に広がるのはどこまでも続く、乾いた荒野だ。
『ティア。準備はいいな』
《はいシン。いつでも》
俺は懐から古びた羊皮紙を取り出した。
ヴォルガから手に入れた古代遺跡の地図。
『次の目的地だ。ここから一番近いポイントはどこだ?』
《……地図情報を現在地のデータと照合。……特定しました》
俺の視界に広大な大陸の地図が広がる。
そしてその中の一点が赤く点滅していた。
《ここより北東へ約500キロ。巨大な山脈地帯”竜の顎”と呼ばれる、未踏地域のさらに奥です》
『未踏地域か。面白そうじゃないか』
《はい。既知のいかなる地図にも、その先の情報はありません。我々は文字通り、未知の世界へと足を踏み入れることになります》
荒野に乾いた風が吹き抜ける。
その風は俺の新たな旅の始まりを、祝福しているかのようだった。
俺は地図を懐にしまった。
「行くぞ、ティア」
《はいシン。いつでもどこへでも》
俺は荒野へと第一歩を踏み出した。
ゼノアの街を振り返ることは、もうない。




