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第22話「ゼノアの夜明け」

 ゼノア鍛冶師ギルドの牙城が、たった一人の男によって内側から崩壊した。

 その衝撃的なニュースは翌日の昼前には風のように、街の隅々まで駆け巡っていた。


 街は混沌の渦中にあった。

 これまで絶対的な権力で街を支配してきたギルドという重石が外れた。そのため人々は解放感と、それ以上の先の見えない不安に揺れている。


「おい聞いたか?ギルド本部に、化け物が現れたらしいぞ!」

「ああ、なんでも『鉄の牙』を全滅させた”幻影ファントム”の正体だとか……」

「ヴォルガ様も、その化け物にやられたって本当か!?」

「ああ。跡形もなく、溶かされたらしい……」


 安宿の窓から大通りを見下ろしながら、俺は行き交う人々の会話に耳を澄ませていた。

 俺の知らないうちにリグランで付けられた二つ名が、ここゼノアでも伝説めいた響きを持って広まっているらしい。


『ティア。街の状況は?』


《はい。ギルドの幹部たちはヴォルガの死と主力戦力の壊滅により、完全に統制を失っています》

《一部は街から逃亡し、残った者たちも互いに責任をなすりつけ合い、内部分裂を起こしている模様です》


 ティアの冷静な分析が脳内に響く。

 視界の隅には街の勢力図がリアルタイムで更新されていく。これまでギルドが独占していた富と権益を狙って、小さな商会や裏組織がハイエナのように動き始めているのが見て取れた。


『……しばらくは荒れるな』


《避けられないでしょう。ですがこれは、新たな秩序が生まれる前の産みの苦しみです》


『お前も随分と詩的なことを言うようになった』


《あなたの思考パターンを学習した結果です》


 軽口を叩きながらも俺の視線は、街の一角へと向けられていた。

 南西地区。ライラの工房がある、煤けた一角だ。


『彼女の工房の様子は?』


《……興味深い変化が起きています》


 ティアがステルスドローンからの映像を、俺の視界に映し出す。

 そこにはライラの工房の前に、数人の男たちが集まっている様子が映っていた。彼らは皆ライラと同じ、鍛冶師の格好をしている。


《彼らはこれまでギルドの圧政に苦しめられてきた、独立系の鍛冶師たちです。ギルドが崩壊した今、今後の身の振り方を相談するために彼女の元へ集まってきているようです》


 映像の中でライラは戸惑いながらも、必死に彼らの話を聞き何かを指示している。

 その姿はもはや俺が最初に出会った時のような、ただの薄幸な少女ではない。

 混乱の中、必死に自分の足で立とうとする小さなリーダーの姿だった。


『……そうか』


 俺は静かに頷いた。

(潮時だな)


 俺はフードを目深に被り、安宿の部屋を出た。

 目的地はもちろんライラの工房だ。

 最後の”仕事”を彼女に依頼するために。



 ライラの工房にたどり着くと、そこは俺が知る静かな仕事場ではなくなっていた。

 数人の職人たちが工房の外で不安げな顔で待機しており、中からはライラの少し苛立ったような声と男たちの言い争う声が聞こえてくる。


 俺が音もなく中へ入ると、中にいた全員がぎょっとしてこちらを振り返った。

 その視線は恐怖と、ほんの少しの好奇心に満ちている。彼らにとって俺は街を混沌に陥れた”化け物”か、何か得体の知れない存在に見えているのだろう。


「……あんた……」


 ライラが俺の姿を認め、息を呑む。

 彼女の周りにいた年配の職人たちが、慌ててハンマーを手に取り身構えた。


「ラ、ライラ!こいつが、あの……!」


「……大丈夫。……お客さんよ」


 ライラは職人たちを手で制すると、俺に向き直った。

 その瞳には恐怖よりも、覚悟の色が浮かんでいる。


「……何の用?見ての通り、今取り込み中なんだけど」


「分かっている。だからこそ来た」


 俺は工房の隅に、背負っていた麻袋をどさりと下ろした。

 中から鈍い金属音が響く。


 袋の口を開けると、中から溢れ出したのは最高純度の魔導金属インゴットの山。

 俺がギルドの秘密工房と、アークライト商会から”回収”してきた全ての戦利品だ。


「……!」


 その場にいた全ての職人たちの、息を呑む音が聞こえた。

 彼らはそのインゴットが自分たちが生涯かけても手にすることができないほどの、至高の素材であることを一目で理解したのだ。


「これを、お前にやる」


 俺は、ライラに言った。


「……は……?」


「報酬だ。お前が俺の武器の”部品”を作ってくれたことへのな。それと餞別だ」


「せ、餞別……?」


「ああ。俺はもうすぐこの街を出る」


 俺の言葉にライラは、ハッとした顔で俺を見つめた。

 その瞳が寂しそうに、わずかに揺れる。


「……そう。……そうなんだ」


「この金属で何を作るかはお前たちの自由だ。ギルドのクズ鉄じゃない。本物の武具を作ってこの街の連中に見せつけてやれ。本物の職人の腕というものをな」


 俺の言葉に周りにいた職人たちが、ゴクリと唾を飲み込む。

 彼らの目には恐怖ではなく、鍛冶師としての熱い炎が宿り始めていた。


「……これが最後の仕事だ」


 俺は懐から丸めた羊皮紙を取り出し、ライラに手渡した。

 それはティアがこれまでの戦闘データと、魔導金属の解析データを基に新たに設計したある”部品”の設計図だった。


「これを作ってほしい。素材はそのインゴットを使え。これが俺がお前に頼む、最後の仕事になる」


 ライラは震える手で、その設計図を受け取った。

 彼女がその図面を一目見た瞬間、その顔からサッと血の気が引いた。


「……な……なんなのよ、これ……」


 その声は驚愕に染まっていた。

 無理もない。そこに描かれているのはこの世界の常識では、到底考えられないほどの精密で複雑な構造を持つ機械部品なのだから。


「……こんなもの見たこともない……。歯車?筒?これが武器の部品……?まるでドワーフが作る絡繰細工よりも、ずっと……」


「作れるか、作れないか」


 俺は静かに問いかける。

 ライラは設計図と俺の顔を、何度も見比べた。

 その瞳には恐怖と挑戦心、そして鍛冶師としての抑えきれないほどの好奇心が渦巻いていた。


 やがて彼女はふぅと、長く息を吐き出した。

 そして顔を上げる。その表情はもう、迷いを振り切った職人の顔だった。


「……分かった。やってやるわ」

「いいえ、やらせて。……これが私の、新しい仕事の始まりになる」


 彼女は周りにいる職人たちを見渡した。


「みんな聞いて!この人は私たちにチャンスをくれた。ギルドの支配から、私たちを解放してくれたんだ!」

「いつまでも怯えてるんじゃないわよ!私たちは鍛冶師でしょ!だったら鉄を叩きなさい!最高の鉄を、最高の腕で!」


 ライラの力強い言葉。

 それに職人たちの顔が、次々と上がっていく。

 彼らの目にも希望の光が灯り始めていた。


「……シン、と言ったわね」


 ライラが初めて、俺の名前を呼んだ。


「数日時間をちょうだい。必ずあんたが満足する、最高の”作品”を打ち上げてみせるから」


 その言葉に俺は、静かに頷いた。


「ああ。期待している」


 俺は工房を後にした。

 背後でライラが職人たちに檄を飛ばす声が聞こえる。そしてそれに応える男たちの雄叫び。

 やがて工房からいくつもの力強い槌の音が、響き始めた。

 それはゼノアの街に新しい時代が訪れたことを告げる、産声のようだった。


 俺は空を見上げる。

 長い戦いが終わった。そして新たな旅が始まろうとしている。


『ティア。準備はいいか』


《はいシン。いつでも》


 俺は地平線の彼方を見据えた。

 古代遺跡の地図が俺を呼んでいる。

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