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第16話「傭兵の罠」

 街の空気は、鉛のように重かった。

 検問所に立つ衛兵たちの数はさらに増え、その視線は獲物を探す獣のように、道行く人々を舐め回している。


 そして、その衛兵たちを、さらに厳しい目で見下ろしている者たちがいた。

 漆黒の鎧を纏った傭兵団、『鉄の牙』だ。

 彼らは街の要所に陣取り、衛兵たちに指示を出し、街全体を巨大な檻へと変えつつあった。


 俺は、そんな彼らの視線を巧みに避けながら、人通りの少ない裏路地を選んで、ライラの工房へと向かっていた。


『ティア。状況は?』


 《変化ありません。ライラの工房周辺に、監視の目は向けられていない模様。ですが、それも時間の問題かと》


 ティアの冷静な報告が、脳内に響く。

 その通りだ。

『鉄の牙』ほどのプロが、街の鍛冶屋をしらみ潰しに当たり始めるのに、そう時間はかからないだろう。

 ギルドに与しない、腕の立つ鍛冶師。


 もし、犯人が武器の調達や加工を考えるなら、真っ先に接触する相手だ。

 ライラは、危険な立場にいる。


 工房の、軋む扉を静かに開ける。

 中から漂うのは、昨日と同じ、鉄と石炭の匂い。

 だが、そこに響く槌の音は、昨日とは比べ物にならないほど力強く、そして、喜びに満ちていた。


 工房の奥で、ライラが槌を振るっていた。

 その顔は汗と煤で汚れているが、その瞳は、生き生きと輝いている。

 彼女の足元には、俺が昨夜”調達”してきた、高純度の魔導金属インゴットが、数本置かれていた。


 俺の気配に気づくと、ライラは槌を振るう手を止め、こちらを振り返った。


「……来たの」


 その声は、まだ少しぶっきらぼうだが、昨日までの刺々しさは消えている。


「ああ。邪魔だったか?」


「別に。……それより、これ、本当にいいの?」


 彼女は、足元のインゴットを指さす。

 その声には、まだ信じられない、という響きが混じっていた。


「報酬の第一弾だ。言ったはずだ。最高の素材を用意してやると」


「……こんなもの、見たことない。ギルドの連中が、血眼になって独占してるものより、さらに純度が高い……。まるで、鉱石から生まれたままの、魂が宿ってるみたい」


 彼女は、インゴトを愛おしそうに撫でながら、うっとりと呟く。

 根っからの、鍛冶師なのだろう。


「それで、あんたは私に、これで何を作らせるつもり?」


「まだだ。それは、まだ教えられない」


「……はぁ?何よそれ。素材だけ渡しといて、目的は秘密ってわけ?」


 ライラが、不満げに眉をひそめる。


「状況が、少し変わった。街の様子は、お前も気づいているだろう」


 俺の言葉に、ライラの表情が曇る。


「……ああ。朝から、やけに騒がしいと思った。ギルドの連中が、何かやらかしたの?」


「やらかしたのは、俺だ」


「……え?」


 俺は、昨夜の一件を、簡潔に話して聞かせた。

 ギルドの秘密工房に侵入し、警備兵を排除し、インゴットを盗み出したこと。

 そして、ギルドが『鉄の牙』を雇い、犯人捜しを始めたこと。


 俺の話を聞き終えたライラは、しばらく呆然としていたが、やがて、わなわなと肩を震わせ始めた。


「……あんた、馬鹿じゃないの!?」


 工房中に響き渡る、彼女の絶叫。


「『鉄の牙』よ!?あの、戦争屋集団!そんな連中を敵に回して、あんた、自分が何をしたか分かってるの!?」


「ああ、分かっている。だから、ここに来た」


 俺は、彼女の動揺を意に介さず、淡々と告げる。


「お前も、狙われる可能性がある。俺と接触したことがバレれば、な」


「……っ!」


 ライラは、息を呑んだ。

 彼女も、自分の立場を理解したのだろう。

 ギルドに反抗する、孤立した鍛冶師。

 侵入者の協力者として、疑われるには十分すぎる理由だ。


「……どう、するのよ」


 不安げに、ライラが問いかける。


「案ずるな。手は打ってある」


 その時だった。


 《シン、警告》


 ティアの声が、脳内に割り込んでくる。


 《ギルド本部の通信を傍受。新たな動きをキャッチしました》


『……言ってみろ』


 《『鉄の牙』が、罠を仕掛けるようです。彼らは、”おとり”の輸送隊を編成。今夜、街の西門から、隣町へ向けて出発させるとのこと》


 視界に、ホログラムの地図が展開される。

 西門から伸びる街道が、赤い線で示されていた。


『おとり、だと?』


 《はい。輸送されるのは、低品質の魔導金属。ですが、”ギルドの秘蔵品が極秘裏に輸送される”という偽の情報を、意図的に街に流布。犯人がそれに食いつくことを期待しています》


 なるほど。

 いかにも、プロの傭兵が考えそうな、狡猾な罠だ。

 盗人が欲をかいて、その偽の輸送隊を襲えば、待ち構えていた『鉄の牙』の主力部隊に、一網打尽にされるというわけか。


 《輸送ルート周辺には、既に多数の兵が配置されています。高台には弓兵、森の中には魔法使い。完璧な、包囲殲滅陣形です》


『ご苦労なことだ。俺一人のために、随分と大掛かりな舞台を用意してくれた』


 俺は、ティアが示す敵の配置図を見ながら、思わず口元を緩めた。

 しばらくの間、宙を睨み、何事か呟く俺の姿に、ライラが怪訝な顔を向ける。


「……あんた、さっきから誰と話してるの?」


「……気にするな。少し、状況を整理していただけだ」


 俺は、ライラに向き直る。


「いいか、ライラ。今夜、俺は動く。奴らの罠に、かかりにな」


「はあ!?あんた、本気で言ってるの!?罠だって分かってるのに、わざわざ飛び込むなんて、自殺行為じゃない!」


「罠には、罠で応じるのが礼儀だ」


 俺は、不敵に笑う。


「奴らは、俺のことを、ただの腕利きの暗殺者か、盗賊だと思っている。だから、こういう”餌”を撒く。だが、その思い込みが、奴らの命取りになる」


 俺は、ティアが展開する地図を指さす。

 もちろん、ライラには、それが見えていない。


『ティア。敵の通信は、引き続き傍受しろ。どんな些細な情報も、聞き逃すな』


 《了解。彼らの魔力通信は、特定の周波数帯の魔力粒子を振動させて行われています。そのパターンは、既に完全に解析済み。全ての通信は、リアルタイムであなたの思考にテキスト化されます》


『上出来だ。……さて、どう料理してやるか』


 俺は、思考を巡らせる。

 敵の狙いは、おとり部隊に俺を誘き出し、包囲殲滅すること。

 ならば、俺が狙うべきは、一つ。


『ティア。敵の主力部隊、指揮官はどこにいる?』


 《……データを照合。包囲網全体を指揮しているのは、傭兵団の隊長、”グレンデル”と呼ばれる男です。彼は、おとり部隊から約500メートル離れた、南の丘陵地帯に、本隊と共に陣取っています。そこが、敵の頭脳であり、心臓部です》


『そうか。なら、話は早い』


 俺の脳内で、作戦が形になっていく。

 敵が、俺という”見えざる敵”に翻弄される、最高の脚本が。


「……ライラ。お前にも、仕事をやろう」


 俺は、彼女にインゴットの一つを差し出した。


「今夜、俺がここに戻ってきたら、これを使って、あるものを作ってもらう。設計図は、その時だ」


「……あんた、本当に死なないでしょうね」


 ライラが、呆れたような、それでいて、どこか期待の混じった目で、俺を見つめる。


「死ぬつもりはない。むしろ、手土産を持ってきてやるさ」


 俺は、工房を後にした。

 街は、夕暮れの赤い光に染まり始めている。

 それは、これから始まる、一方的な”狩り”の舞台を照らし出す、幕開けの光のようだった。


『ティア。作戦計画を最終確認する』


 《はい。プラン”トロイの木馬”を開始します》


『敵の通信網に、偽情報を流し込め。俺が、おとり部隊の罠にまんまと食いついた、とな』


 《了解。偽の交戦報告を作成。敵の指揮系統を混乱させます》


『その隙に、俺は敵の本陣を叩く。指揮官、グレンデル。そいつの首を、狩りに行く』


 《シン、敵本陣の兵力は、およそ十名。いずれも、精鋭です》


『知っている。だからこそ、面白いんだろう?』


 俺は、闇に紛れながら、街の地下へと続く、マンホールの一つを開けた。

 下水道の、淀んだ匂いが鼻を突く。

 だが、この臭いも、戦場の硝煙の匂いに比べれば、随分とマシなものだ。


 俺という”見えざる敵”を、舐めてかかったこと。

 その代償は、高くつく。


 俺は、音もなく、ゼノアの地下迷宮へと、その身を滑り込ませた。

 最高の獲物を狩るための、最高の舞台が、俺を待っている。

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