第15話「見えざる敵」
夜の闇がまだ街を支配している、夜明け前の時間。
商業都市ゼノアの中心にそびえ立つ、ゼノア鍛冶師ギルド本部。
その地下深くに設けられた秘密工房は、今、静まり返っていた。
いや、死んだように静まり返っていた、と言うべきか。
工房の中央に立つ男、ギルドマスターのヴォルガは、己の目に映る光景が信じられない、という表情で立ち尽くしていた。
屈強な体躯、権力者の自信に満ちていたはずのその顔は、怒りと屈辱に歪んでいる。
「……どういうことだ、これは……説明しろ」
地を這うような低い声で、ヴォルガは隣に立つ腹心の男に問いかける。
腹心の男は、顔面蒼白になりながら、震える声で報告した。
「は……はい。昨夜の当番だった警備兵、四名全員の死亡を確認。いずれも、即死であったかと……」
ヴォルガの視線の先には、無残な姿で転がる警備兵たちがいた。
彼らは皆、ギルドが誇る、高純度の魔導金属で鍛えられた全身鎧を装備していたはずだ。
並の剣や魔法では、傷一つ付けることすら叶わない、鉄壁の守り。
だが、その鎧の、額や喉といった急所部分には、寸分違わず同じ大きさの、指の先ほどの小さな”穴”が開けられていた。
鎧を貫通し、その下の肉体を抉り、命を奪った穴。
そこから流れ出た血が、床の石畳に黒い染みを作っている。
「……馬鹿な。この鎧を、こうも容易く貫くなど……。高位の魔法使いか?いや、魔力の痕跡が一切ない。ならば、呪われた武具でも使ったか?」
ヴォルガは、死体の一つに近づき、その傷口を忌々しげに見下ろす。
あまりにも、手際が良すぎる。
現場には、争った形跡がほとんどない。
警備兵たちは、何が起こったのかを理解する間もなく、一撃で沈黙させられたのだ。
「ヴォルガ様……それだけでは、ありません」
腹心の男が、さらに声を震わせる。
「保管庫にあった、最高純度の”魔導金属”のインゴットが……数本、持ち去られております」
「……なんだと?」
ヴォルガの眉が、ピクリと動いた。
彼はすぐさま保管庫へと向かう。
厳重な錠前が掛けられていたはずの、分厚い鉄の扉。
その錠前が、まるでバターか何かのように、中心から綺麗に溶断されていた。
これもまた、魔法の痕跡はない。
そして、空になった棚を見て、ヴォルガの全身から、凄まじい怒りのオーラが立ち上った。
「……おのれ……!」
ギリ、と奥歯を噛みしめる音が、工房に響く。
これは、ただの盗賊の仕業ではない。
警備兵をこうも容易く殺害し、最高機密であるこの工房の場所を突き止め、目的の物だけを正確に盗み出していく。
あまりにも、プロの手口すぎる。
「……ヴォルガ様、これは……」
「決まっているだろう」
ヴォルガは、憎々しげに吐き捨てた。
「我々を快く思わぬ、どこかのクソッタレが仕組んだことだ。商業的なライバル……おそらくは、西の”アークライト商会”あたりが、凄腕の暗殺者を雇ったに違いあるまい」
彼の脳裏には、常に勢力争いを繰り広げている、巨大商業組織の姿が浮かんでいた。
自分たちの技術を盗み、市場での優位性を崩そうという、卑劣な策略。
そうとしか、考えられなかった。
「奴らめ……我々ゼノア鍛冶師ギルドを、本気で怒らせたようだな。良いだろう。そのケンカ、買ってやる」
ヴォルガは、踵を返した。
その瞳には、もはや怒りだけではない。冷徹な、報復の炎が燃え盛っていた。
「見せしめが必要だ。このゼノアで、我々に逆らう者がどうなるか、街中の馬鹿どもに、骨の髄まで教えてやらねばならん」
「……連絡を取れ。Sランク傭兵団、『鉄の牙』にだ」
その名を聞いて、腹心の男は息を呑んだ。
「て、鉄の牙……!しかし、彼らを雇うには、莫大な費用が……」
「金など、いくらでもくれてやれ!」
ヴォルガが、一喝する。
「これは、我々のプライドの問題だ。犯人を、必ず見つけ出せ。生け捕りにしろ。そして、誰に雇われたのか、その汚い口を割らせるのだ。その後、ギルドの広場で、見せしめとして、八つ裂きにしてくれる」
「……は、はい!」
ヴォルガの命令を受け、腹心の男は慌てて工房を駆け出していった。
一人残されたヴォルガは、静まり返った工房で、改めて死体を見下ろす。
「……見えざる敵、か。面白い。だが、どれほどの腕利きだろうと、我々の築き上げた、このゼノアという牙城からは、決して逃がさん」
その日の昼過ぎには、街の空気が、明らかに変わり始めていた。
◇
俺は、安宿の窓から、大通りを眺めていた。
何かが、おかしい。
『ティア。街の様子をスキャンしろ。何か、変化は?』
《……データを解析中。シン、街の衛兵の数が、昨日の三倍に増加しています。主要な通りには検問所が設置され、通行人への尋問が強化されている模様》
やはりか。
俺の、戦場で鍛えられた勘が、警鐘を鳴らしている。
空気が、張り詰めているのだ。
まるで、嵐の前の静けさのように。
『昨夜の”掃除”が、バレたか』
《その可能性は高いでしょう。ですが、連中の動きは、単なる盗難事件への対応とは思えません。まるで、街全体を封鎖し、何かを狩り出そうとしているかのようです》
ティアの分析は、的確だった。
衛兵たちの目つきが、普段とは違う。
市民を監視し、不審な者を探し出す、狩人の目だ。
その時、宿の前の通りが、にわかに騒がしくなった。
人々の間から、どよめきと、畏怖の混じった声が上がる。
俺が窓から見下ろすと、そこには、屈強な戦士たちの一団が、堂々と通りを練り歩いていた。
その数、およそ二十名。
全員が、統一された漆黒の鎧を身に纏い、その背には、巨大な牙を模した紋章が描かれている。
彼らが歩くだけで、周囲の空気が歪むような、圧倒的な威圧感。
道行く人々は、まるでモーゼの海割りのように、彼らのために道を空けていた。
『……ティア、あの連中を分析しろ』
《了解。……対象の装備、歩行パターン、筋肉の動きから戦闘能力を推定します》
《……!シン、警告します。極めて危険な集団です》
ティアの声が、一段と鋭くなる。
《個々の戦闘能力は、Aランク冒険者に匹敵。それが、完璧な連携で行動している。軍隊以上の、統率の取れた動きです。彼らは、ただの戦士ではありません。殺しのプロフェッショナルです》
『……傭兵か』
《その可能性が高いでしょう。彼らの装備、紋章からデータベースを検索……ヒットしました》
ティアの報告と共に、俺の視界に、彼らの情報が表示される。
【Sランク傭兵団『鉄の牙』】
【大陸全土でその名を轟かせる、最強の傭兵団の一つ】
【依頼達成率は99%。不可能を可能にする、戦争のプロフェッショナル集団】
【一度牙を剥けば、ターゲットが国家であろうと、必ず噛み砕くと恐れられている】
……なるほど。
どうやら俺は、とんでもない虎の尾を踏んでしまったらしい。
鍛冶師ギルドの連中、俺をよほどの大物だと勘違いしているようだ。
『面白い。相手にとって、不足はないな』
《シン、彼らは既に、何らかの捜索を開始しています。ギルドから提供された情報に基づき、”犯人像”に合致する人物をリストアップしている可能性が高い》
『俺も、そのリストの筆頭だろうな。リグランでの一件もある。正体不明の厄介者として、真っ先に疑われる』
リグランのギルドから、俺の情報は回っているはずだ。
正体不明、フードの男、圧倒的な戦闘能力。
今の状況で、真っ先に疑われるのは、俺だろう。
だが、連中には、決定的な証拠がない。
俺がやった、という証拠が。
だからこそ、こうして街全体を巻き込んで、ローラー作戦を展開しているのだ。
『ティア。ライラの工房の様子は?』
《現在、ステルスドローンにて監視中。工房の周囲に、不審な動きはありません。ですが、時間の問題でしょう》
ライラが、危ない。
俺と接触したことがバレれば、彼女も無事では済まないだろう。
『……行くぞ』
俺は、フードを目深に被り、部屋を出た。
悠長に構えている時間はない。
敵が動く前に、こちらも動く。
それが、戦場の鉄則だ。
俺の目的地は、一つ。
ライラの工房だ。
彼女に、”報酬”の第一弾を渡す必要がある。
そして、今後の計画を、共有するために。
街に満ちる、不穏な空気。
俺という”見えざる敵”を追う、最強の傭兵団。
上等だ。
誰が”狩人”で、誰が”獲物”なのか。
その身をもって、教えてやる。
俺は人混みに紛れ、静かに、そして迅速に、目的地へと向かった。
新たなゲームの始まりを、告げるために。




