第14話「取引と計画」
カーン!
澄んだ金属音が、工房の空気を震わせる。
それは、先ほどまでの力なく響いていた音とは、全くの別物だった。
迷いがなく、一点に集中された、意思のある音。
俺の目の前で、ライラは槌を振るっていた。
その瞳には、もはや自嘲の色はない。
燃え盛る炉の炎を映し、爛々と輝いている。
まるで、獲物を見つけた獣のような、あるいは、生涯の好敵手に出会った武人のような、純粋な闘志と喜びに満ちていた。
彼女は、俺が渡した金属片を、「やっとこ」で掴んで炉にくべる。
温度を確かめるその眼差しは、真剣そのものだ。
「……なんだろう、この金属……」
ライラが、独り言のように呟く。
その声は、驚愕と、それ以上の好奇心に染まっていた。
「普通の鉄なら、この温度でとっくに溶け落ちる。魔導金属ですら、形を保つのがやっとのはず……。なのに、こいつは……!」
金属片は、炉の最も温度の高い中心部で、その形を保ったまま、静かに赤く染まっていく。
その色は、ただの赤ではない。
まるで、自ら光を放っているかのような、深く、鮮やかな緋色だった。
『ティア。彼女の作業を分析しろ』
《了解。対象”ライラ・フォルクヴァング”の身体動作、槌のインパクト角度、速度、炉の温度管理、全てをリアルタイムでモニタリング。データ化します》
視界の隅に、新たなウィンドウが開く。
そこには、ライラの動きが解析され、数値となって表示されていく。
無駄のない動き、的確な判断。
その全てが、彼女がただ者ではないことを示していた。
「……ここ!」
ライラが鋭く叫び、緋色に焼けた金属片を炉から取り出す。
そして、金床の上に乗せると同時に、間髪入れずに槌を振り下ろした。
キィン!
甲高い、耳をつんざくような音が響く。
普通の鉄を叩いた時とは、明らかに違う反響音。
金属が、悲鳴を上げているかのようだ。
「……硬い!なんなの、この密度は……!」
ライラの腕が、衝撃でわずかに痺れているのが見て取れた。
だが、彼女は怯まない。
それどころか、その口元には、獰猛な笑みさえ浮かんでいた。
「面白い……!面白いじゃない……!」
二打、三打と、リズミカルに槌が振り下ろされる。
工房の空気が、熱を帯びていく。
それは、炉の熱だけではない。
一人の鍛冶師が、己の技術の全てをぶつけようとする、凄まじい気迫が生み出す熱だった。
《……シン。驚異的な数値です》
ティアが、珍しく感情のこもった、と表現してもいいほどの声で報告する。
《彼女の槌のインパクトは、常に金属の分子構造が最も変形しやすいポイントを、誤差0.1ミリ以下の精度で捉えています》
《これは、単なる経験則で到達できる領域ではありません》
《天賦の才、としか表現のしようがない》
『だろうな』
俺は、その光景から目を離せずにいた。
クズ鉄を叩いていた時とは、まるで別人だ。
ギルドに才能を腐らされ、牙を抜かれていた虎が、今、本来の力を取り戻しつつある。
汗が、ライラの額から流れ落ち、熱せられた金属の上で、ジュッと音を立てて蒸発する。
彼女は、もはや俺の存在など、意識の外にあるようだった。
ただひたすらに、目の前の未知の金属と対話している。
どれくらいの時間が経っただろうか。
日の光が工房の窓から差し込み、床に長い影を作り始めた頃。
ライラの動きが、ふと止まった。
「……ふぅ……っ」
長く、熱い息を吐き出す。
彼女の目の前の金床には、一つの小さなナイフが置かれていた。
俺が渡した、ただの金属片から打ち出された、見事な刃物だ。
それは、装飾など何もない、無骨なナイフだった。
だが、その刃は、恐ろしいほどの鋭さと、静かな美しさを湛えていた。
刀身は、まるで黒曜石のように滑らかで、光を吸い込むような深い黒色をしている。
しかし、ひとたび光が当たれば、その刃先は、虹色の輝きを放った。
《……評価を開始します》
《作品名、ナイフ。全長20センチ。重量150グラム》
《……驚異的です。素材の特性を99.8%引き出すことに成功しています》
《このまま兵器として登録可能。切れ味、耐久性、共に最高ランクの評価です》
ティアの分析結果を聞くまでもない。
見れば、わかる。
これは、紛れもない一級品だ。
俺が知る、どんな特殊合金製のナイフにも、引けを取らない。
「……できた」
ライラが、掠れた声で言った。
その顔は、疲労と汗と煤で汚れている。
だが、その表情は、達成感と、誇りに満ち溢れていた。
「どう……?これが、私の……」
「ああ。見事な腕だ」
俺は、彼女の言葉を遮って言った。
そして、一歩前に出る。
「取引成立だ、ライラ・フォルクヴァング」
「……え?」
呆気に取られる彼女を前に、俺は一方的に告げる。
「俺が、最高の”素材”を手に入れる。お前は、それを加工しろ」
「は……?何を、勝手なこと……」
「報酬は、くれてやる。お前が、その腕を振るうに値するだけの、最高の鉄をな」
俺は、懐から金貨を数枚取り出し、作業台の上に放り投げた。
チャリン、と軽い音が響く。
ライラが、金貨と俺の顔を、信じられないという目で見比べる。
「ま、待って!あんた、一体何者なの!?その金も、さっきの金属も、普通じゃない!」
「俺が何者かなんて、どうでもいいことだ」
「お前は、ただ槌を振るっていればいい。ギルドのクズ鉄じゃない。本物の、最高の鉄をな。……それとも、不満か?」
俺の言葉に、ライラはぐっと唇を噛んだ。
その瞳が、激しく揺れ動いている。
警戒心、反発心、そして、それを上回る、鍛冶師としての渇望。
最高の鉄を叩きたい、という、職人の本能。
やがて、彼女は顔を上げた。
その瞳には、覚悟の色が浮かんでいた。
「……いいわ。その取引、受ける」
「でも、言っておくけど、私はあんたの言いなりになるつもりはない。私の仕事に口出しはさせないから。それでいいなら、ね」
「好きにしろ。俺が欲しいのは、結果だけだ」
俺はそう言い残し、ライラに背を向けた。
工房の扉を開け、外の光の中へと足を踏み出す。
『ティア』
《はい》
『計画の第二段階へ移行する。鍛冶師ギルドの内部情報を洗い出せ。奴らが隠している、高純度の魔導金属を加工している”秘密の工房”。その場所を特定しろ』
《了解。ギルドの通信、物流データ、関連人物の行動パターンを相互解析します》
《クロスリファレンスにより、アノマリーを検出》
安宿への帰り道。
俺の視界には、ゼノアの街の立体地図が広がり、無数の情報が光の線となって飛び交っていた。
ティアが、ギルドという巨大な組織の神経網に、静かに侵食していく。
《……検出しました。複数の不審なデータが、一点に収束しています》
《場所は、商業区の地下。ギルド本部の直下です》
《表向きは、ただの倉庫として登録されていますが、そこから、通常の鍛冶工房ではありえない規模のエネルギー反応を観測》
《また、最高幹部クラスの人間が、深夜、人目を忍んで出入りしている記録も複数確認できました》
『ビンゴ、だな』
《工房の警備体制を分析。侵入経路をシミュレートします》
《……警備は厳重。物理的な警備兵に加え、魔力感知式の罠が、幾重にも張り巡らされています。正面からの突破は、推奨できません》
『なら、裏から行くだけだ。どんな要塞にも、必ず抜け道はある』
《……候補経路を三つ、提示します》
《第一経路、下水道網を利用した、床下からの侵入》
《第二経路、隣接する建物を経由した、壁の破壊による侵入》
《第三経路……》
ティアが、わずかに言葉を止める。
『なんだ?』
《……ギルドマスター、”ヴォルガ”の身柄を確保し、彼を利用して内部からセキュリティを解除させる、というプランです》
俺は、思わず笑みを漏らした。
このAIは、時々、とんでもなく大胆なことを平然と提案してくる。
『面白い。だが、それは最後の手段だ。まずは、最も確実で、静かな方法を選ぶ』
俺は、ティアが提示した第一経路、下水道網のマップを拡大させた。
複雑に入り組んだ、街の地下迷宮。
だが、俺にとっては、見慣れた戦場と何ら変わりはない。
『ティア。秘密工房の構造、警備兵の配置と巡回ルート、全て頭に叩き込め。今夜、”掃除”を始める』
《了解。ミッションプランを策定します》
《シン、あなたの勝利を、98%の確率で保証します》
頼もしい相棒の言葉を背に、俺は夕暮れの雑踏に紛れていった。
鉄とプライド、そして欲望が渦巻くこの街で、反撃の狼煙が、今、上がろうとしていた。




