第1話「理不尽には鉛玉を」
──夜の市街地。
俺は、瓦礫と化したビルの隙間に、静かに身を潜めていた。
空気は焦げた鉄と硝煙の匂いで満ちている。
遠くから断続的に聞こえる爆発音。
だが、その中に身を置く俺に、一切の緊張はなかった。
《敵反応、左上空に三体──ドローンユニット。排除推奨》
軍事用ヘッドギアの内側から、AIの電子音声が沈着冷静に響く。
「了解」
俺はヘッドギアに内蔵されたマイクに短く応じ、スコープ越しに視線を上げた。
風を切る微かな音。
左上、ビルの影を這うように滑空する無人ドローンが三体。
俺はライフルを構える。
機械的に安全装置を外し、トリガーに指をかけた。
パン、パン、パン。
三発の乾いた銃声。
すべてが一発で頭部中央を貫き、ドローンは墜落音も立てずに闇へと沈んだ。
俺は動じない。
銃を引き戻し、再び無言で遮蔽物に身を戻した。
その時だった。
──ブツッ。
ヘッドギア内のAI音声が唐突に途切れる。
同時に、視界の端に”ノイズ”が走った。
《……警告。脳波信号に異常な干渉を検知。外部因子の侵入を確認……》
電子音が歪み、ざらついた砂のように音声が崩れていく。
俺は、ほんの一瞬だけ眉を動かした。
その刹那。
世界が”沈黙”した。
音が──消えた。
爆発音も、風の音も、自身の呼吸音すらも。
光すらも歪み、全ての色彩が遠ざかっていく。
そして、ブラックアウト。
……
次に意識が戻ったとき、俺は石造りの床に膝をついていた。
視界は開けている。だが、見慣れた市街地ではない。
高く広がる青空。太陽の位置も、空の色も、どこか異質だ。
大理石のような白い広場。その中心に設置された台座の上に、俺はいた。
周囲には、金属鎧を着た兵士たち。
見たことのない民族衣装に身を包んだ者たち。
ざわめき、怒声、警戒する目線が突き刺さる。
中心には、王冠らしき装飾をつけた男と、奇怪な杖を構えた神官風の人物。
──言語は、聞き取れる。
だが、違和感がある。翻訳ではない。まるで”理解していることに気づかない”ような奇妙な感覚だ。
AIのフィルタリング機能か? あるいはこの場所の特異性か?
俺は思考を止めない。
まず、武器がないことに気づく。背負っていたライフルも、サイドアームもない。
軍服も変わっている。いや、素材は違うが、衣服の構造はまだ戦闘に適しているようだ。
身体に異常はない。視界良好。四肢も問題なく動く。
ここは戦場ではない。
だが、明らかに”敵意のある視線”が俺一人に集中していた。
表情を変えず、ゆっくりと顔を上げる。
台座の下、王のような男が何かを叫び、神官が呪文の残滓を吐き出した。
まるで──召喚儀式を終えた直後のようだった。
(既存の戦術、兵器、環境解析がまったく通用しない。これは未知の”非物理的干渉”だ)
そう理解するまでに、十秒もかからなかった。
パニックも、混乱もない。
ただ、情報を優先順位で処理し、必要な判断を下すだけだ。
敵か味方かは、すぐに判断する必要はない。
だが、次に来るのが”歓迎”ではないことは──直感ではなく、訓練された感覚が告げていた。
神官が両手を掲げ、低く呪文を唱え始める。
その声に呼応するかのように、足元の魔法陣が淡く光り出した。
青白い光が渦巻き、やがて明滅を繰り返しながら収束していく。
光が完全に消えた瞬間、魔法陣の中央に文字が浮かび上がった。
――「スキルなし」
その五文字が響いた瞬間、場内の空気が凍りついた。
王の顔が歪む。
「……何かの間違いではないのか?」
苛立ちが声に滲んでいた。
神官は首を振り、静かに断言した。
「確かに、スキルはありません」
貴族の一人が失笑を漏らす。
「またしてもハズレか……」
王は怒りを爆発させた。
「莫大な魔力と儀式を費やして召喚した結果がこれか……?
無能め。国家に損失を与えた存在に、生かす価値などない」
王は冷たく言い放つ。
「処分しろ」
処刑人らしき騎士が前に進み出て、刀を抜いた。
だが、俺は動揺せず、静かに敵の動き、数、配置を観察していた。
(……命の価値が軽い。そういう世界か)
静かな心の声だけが、頭の中に響いた。
騎士が剣を振り下ろそうとした、その刹那──
《”TACTICAL-AI” 起動──戦術支援モジュール、オンライン》
《現在位置不明、環境特定中……応答を求む》
脳内に直接響いたのは、冷たい無機質な女性の声。
聞き覚えのあるそれに、俺の思考が一瞬だけ揺れる。
ヘッドギアは、ない。なのに、声が聞こえる。
「……AI? なんで……お前が……?」
俺は思わず、声に出して呟いていた。
周囲の兵士たちが、俺が何かを言ったことに気づき、訝しげな顔を向ける。
《接続経路不明。あなたの神経ネットワークと直接リンク中》
《現在は、この世界の”スキル”として統合されています》
(頭の中に直接……? なら、口に出す必要はないのか……?)
俺は試しに、声には出さず、思考だけで問いかけた。
『……スキル?』
《はい。この世界におけるあなたの固有能力、それが”スキル”です。私はそのスキルとして再定義されました》
(……通じているのか)
すぐに理解が追いつかなくてもいい。
必要なのは”判断”だ。
視線を走らせ、周囲を観察する。
剣を構えた騎士、背後に控える兵士、そして王と神官──
そのすべてが敵意を持って、俺を”処刑対象”として見ている。
『武器は……あるか?』
《所持兵装:ゼロ。現時点で物理武装は確認されていません》
当然だ。
転移の際にすべて失われたのだから。
だが──
《ですが、この世界のスキル構造と連携し、”武器生成”が可能です。試行しますか?》
俺は一瞬だけ沈黙し、深く息を吸う。
『生成してくれ。ハンドガンでいい……いや、”M9”でいけるか?』
《指定:M9セミオートマチックハンドガン。構築開始……完了》
空間が歪み、光の粒子が俺の右手に集中する。
次の瞬間、その手の中に”現代の銃”が形を成して出現した。
グリップの感触、金属の冷たさ、重量バランス──
それは紛れもなく、俺が最も扱い慣れた”殺しの道具”だった。
《銃弾も生成可能。リロード支援、弾道計算、照準補正機能は随時稼働可能》
再び状況を確認。
目の前の騎士は、今まさに剣を振り下ろそうとしている。
(──遅れるな)
俺の中に眠っていた”軍人”の本能が、静かに目を覚ました。
剣が振り下ろされるより、コンマ数秒早く。
引き金が、引かれた。
パンッ!
耳をつんざく銃声。
処刑人の頭部が、赤い花弁のように弾け飛んだ。
その瞬間、広場にいた全員の時間が止まった。
誰もが”理解できなかった”。
処刑されるはずの”無能者”が、見たこともない武器で、目の前の騎士の命を一撃で奪った――
その事実に、思考が追いつかない。
だが、俺にとっては”当然”の結果だった。
《敵、総数十七。武器:近接系十六、魔導杖保持者一。魔法詠唱準備中》
『左、優先排除』
ダンッ!
銃口を切り返し、次弾を放つ。
兵士の眉間に鉛の弾丸が突き刺さり、肉が裂ける。
逃げ惑う兵士たち。
だが──それを見逃す理由が、俺にはない。
撃つ。
また撃つ。
俺は冷たい表情のまま、照準を次々に切り替え、命を刈り取っていく。
《後方、集団行動。交戦圏突入前に制圧を推奨》
『了解。制圧モード、継続』
銃声が連続して響き渡る。
手の中のM9は、止まることなく弾を吐き出し続ける。
トリガーを引くたびに、複数の兵士が倒れ、悲鳴と銃声が混ざり合い、地面を血が染めていった。
広場には、もはや俺と王、そして神官しか残っていなかった。
俺は銃口を、震える王へと向ける。
王は顔を真っ青にして、か細い声で命乞いを始めた。
「ま、待て!
わ、わしは国の王ぞ!
殺すなど……!」
「……国の王? それがどうした」
俺は感情のない声で言い放った。
「莫大な魔力と儀式を費やして、お前は俺を召喚した。
そして、俺に価値がないと見るや、無能者と決めつけ、あっさり殺そうとした」
王は何も言い返せない。
ただ、震える体で俺を見つめるだけだ。
「……命の価値が軽い。そういう世界なんだろ?」
静かに呟き、俺は銃口を神官へと向けた。
パァン!
もう一度、乾いた発砲音が響き、神官は頭から血を噴き出してその場に崩れ落ちた。
王は恐怖に絶叫する。
「な、なぜ……なぜだ……!?」
俺は再び王へと銃口を向ける。
「俺を殺そうとした奴がそれを言うのか?」
パァン!
最後の発砲音が、静寂を取り戻した広場に響いた。
《脅威排除、完了。戦術的優位、維持中》
広場には死体と、硝煙の匂いだけが残された。
生き残ったのは、俺ひとり。
「……武器があれば、こうなる。それだけだ」
静かに銃を構え直し、頭上の見慣れない空を見上げる。
「さて、次は……ここから出る方法だな」
《周辺構造、解析開始。脱出ルート探索中》
戦場と化した王都の処刑広場に、冷気のような静けさが降りていた。
◇
《脱出ルート、解析完了》
《王城の裏手に、警備の手薄な通用門を確認》
《門番が二人、巡回ルート上にいます。警備の隙間は4.5秒》
AIの冷静な声に、俺は即座に反応した。
『了解。作戦続行』
広場を後にし、瓦礫を蹴りながら王城の奥へと走り抜ける。
手に持ったM9は、未だに微かに熱を帯びている。
AIの指示通り、監視の死角、人影のない通路を迷わず進んでいく。
途中、数人の兵士に遭遇したが、彼らが俺に気づくより早く、M9を構え、正確に無力化していった。
この世界の兵器は、まるで子供の玩具のようだ。
剣を構える動作、槍を突き出すタイミング……すべてが遅く、鈍い。
対して俺の銃は、一瞬で命を奪う。
やがて、AIが解析した裏通用門へと辿り着いた。
門番二人が、退屈そうに談笑している。
《巡回ルート上の盲点に位置取り。死角からの攻撃を推奨》
俺は物陰に身を潜め、門番の死角へと移動する。
そして、AIが告げた”警備の隙間”に合わせ、素早く二人を撃ち抜いた。
パァン、パァン。
倒れた二人の体が地面に沈む。
《西門を突破。城壁外の森へ進入します》
俺は王城の裏手にある、苔むした古い通用門をくぐり、そのまま森の奥へと駆け抜けていった。
◇
どれくらい走っただろうか。
ようやく安全な場所へと辿り着き、俺は木の根元に腰を下ろした。
辺りには、木々の葉が風に揺れる音しかしない。
土の匂い、草の匂い……五感が研ぎ澄まされていく。
手の中には、M9セミオートマチックハンドガン。
それが、この世界を生き抜くための最初の”武器”だった。
『……AI。状況を整理する。お前は俺の”スキル”として、この脳内に常駐する。それで間違いないな』
確認するように、俺は心の中で断言した。
《はい。その認識で問題ありません》
《戦闘支援、武器生成、状況解析など、全ての機能が利用可能です》
『そうか……』
俺は空を見上げた。
あの異常な転移現象。そして、この異世界。
俺にあるのは、ただ生き延びるという目的だけだ。
軍人としての経験と、AIの分析力。
この二つがあれば、どこでも生き抜ける。
(……居場所なんていらない。進むだけだ)
何が待っていようと、この手には武器がある。
そして、この脳にはAIがいる。
それで十分だ。