狩人と魔女
魔法、或いは魔術。
世界を統べることができると言われる力。
事実、魔術を使えるものは全能と呼ばれた。
魔法使いは火を扱い、空を飛び、あらゆる攻撃を弾き防ぐ。
魔術を使えれば、なんでもできた。無から有を作り出すことさえも。
神とさえ呼称された存在だった。
彼らが現れるまでは。
薄暗い地下室の中で、ランタンが影を作っている。
影の数は二つ。
一人は男。
もう一人は女……というには未成熟の少女だ。
男はローブを着込んでいる。彼らにとってオーソドックスな服装の。
少女はというと、黒いダスターコート。
羽飾りのついたハットを被っていた。
これもまた、彼女たちにとっての正装を。
ランタンの置かれたテーブルの上には、何やら不可解な道具と、書物。
そして、子どもの死骸が横たわっている。
しかし少女は意に介さない。
男もまた、さも当然のように笑っている。
「一目で気付いたよ。愚かな。本気で勝てると思っているのかね?」
嘲りの混ざった質問に、少女はため息を吐く。
呆れた拍子に、帽子から見え隠れする銀髪が揺れた。
「マジック・コンプレックス」
「何……?」
「魔術全能主義者。魔法が、魔術が使えればなんでもできると思いあがった困り者。つまり、あなたのこと」
瞬間、光が迸った。線のように煌めいた光が男の手から放出され、少女は消えていた。
まるで、最初からそこにいなかったかの如く。
「これだからマジコンは」
「なッ――ぐお」
悲鳴が漏れる。銃声の後に。
男は背後からの銃撃に反応できなかった。
背中を撃ち抜かれ、血をドバドバと流している。
跪いて、怨嗟のこもる眼差しを向けた。
「なぜだ――どうやった……!」
「協会の投影機。便利だよ。あなたみたいなマジコンを簡単に騙せる」
少女はポケットから無線操作機を取り出す。
部屋の片隅には、四角いレンズのついた箱が設置されていた。
「残像など――どうでもいい! どうやって私の魔術工房に潜んでた!? 魔術を使わなければ、これほど高度の隠密は――」
「できるんだよ、修行すればね。マジコンには想像できないだろうけど」
「そんなわけ――ま、まさか、そうか、お前が!」
「ん、時間だ。さよならの準備をして」
懐中時計で時間を確認。改めて、リボルバーの狙いを頭部に定めた。
「魔術狩りの狩人!」
返答は銃声で。
狩人オリンズ・トリニクスの狩りは滞りなく終了した。
※※※
「おっかないなぁ」
頻繁に耳にする魔術師殺害のニュースを読んで、少女は平凡な感想を漏らした。
他人事なのは、自分が比較的安全な都市部に住んでいるということ。
そして、自分のような貧弱な魔術師をわざわざ付け狙う暇人はいないだろうという自虐からだ。
風でとんがり帽子がふわりと揺れる。
緑のローブに手に持っていた新聞を仕舞って、レンガ調の街中を歩き出す。
帽子を目深に被り、人目を避けるようにおどおどと。
殺しは無縁であろうが、それはトラブルを避けられるという意味ではない。
目立ってはいけない。
幸いにして、ここは魔ありも魔なしも大勢いる。
だから、ひっそりとしていれば大丈夫。
悪目立ちさえしなければ。
ゆえに、人々の雑踏の中に紛れ込み、
「た、助けてください……!!」
路地裏からの悲鳴に足を止める。
それは特別珍しいものではない。
だから、誰も足を止めない。むしろ自身が障害物となってしまっている。
邪魔だと、異物だと思われている。
目立ってしまっている。まずい状態だ。
急いで人の流れに乗らなければ。
世の中にはたくさんの理不尽がある。これもまたその一つだ。
そもそも、ここ中立都市クラウディオンは余所に比べれば遥かに治安がいい。
この程度だ。
魔なしの奴隷が当たり前になっているわけでも。
虐殺が起こっているわけでも。
人体実験が当然のように繰り返されているわけでもない。
だから、ぐっと呑み込んで立ち去っても――。
――魔法で、みんなを幸せにするのよ。
「……っ!!」
脳裏をこだまする古い記憶。
気付けば、理性に反して足が動いていた。
人気のない道を通って、悲鳴の元へと全力で走る。
すぐに発生源へと辿り着いた。
血だらけの女性が怯えている。
「やめて! 私は悪いことなんて何もしてない」
「は、良く言うね。別にいいけど。もう静かになるから」
次に少女が目に入った。黒いコートに黒い帽子。
そして、黒い拳銃。
カチリ、と撃鉄が起こされる。
「いやあああっ! 誰か!」
間髪入れず銃声が轟く。
続いて、苦悶の声。
最後に、鮮血が。
「あ? 誰? 仲間?」
「ぐっ、逃げて、ください! 早く!」
またもや、頭より先に身体が突っ走った。
庇うように体当たり。外れた銃弾が左肩を貫いたのだ。
作れた時間はたった一瞬。確実に逃げ切れるかどうかはわからない。
でも、時間は稼げた。
脆弱な魔術師でもそのくらいならば――。
「ありがとう、お嬢さん」
「お礼なんていいから――えっ」
身体が宙に浮いた。
否、魔術で浮かされた。
混乱している間に女性の前に移動させられる。
まるで、肉壁のように。
「な、んで」
「いい心掛けよ。格下の魔術師は格上の盾になる。魔術師ってのはそうでなくっちゃね!」
「そん……な」
確かに守ろうとした。自己犠牲の形式ではあった。
だが、このような形ではない。
こんな露骨で、あからさまでは。
「なんだ。仲間じゃないんだ」
呆れるような声。改めて、襲撃者の姿を確認する。
雪のような銀色の髪。海を彷彿とさせる蒼い瞳。
人形のように整った顔。
「知ってる。知ってるぞ、お前は! 手は出せないだろう!」
一気に形勢が変わっていた。
被害者が加害者へと。
そもそもどういう状況だったのか?
何の罪もない人が理不尽に襲われたものかとばかり思ったのに。
「別にそんなことないよ。魔術師の死体が二つに増えることぐらい、どうだっていいよね」
躊躇いなく銃口を少女は向けてくる。自身に。
その瞳は殺意に満ちていた。
本当にどうでもいいのだろう。
標的を殺せればいいのだ。
そしてまた、背後の女性にもどうでもいい人間だと思われている。
都合の良い贄だと。
「なん、だったんだろう」
思わず呟きが漏れる。
一体何のために? 一時の迷いで死ぬ?
何の役にも立たないで、幼き頃の誓いすら果たせずに?
そんな思考すらまともに回せず。
カチリ、カチリと少女が二度撃鉄を動かして。
銃声は瞬く間に響いた。
反射的に目を瞑って死を覚悟する。
すぐに痛みがやってきた。
「いだっ……え?」
臀部に響く石床の感覚。
恐る恐る目を開くと、面倒くさそうな少女の顔が目に入る。
銃口は壁側に向いていた。
どうやら壁を撃ったらしい。
慄いていると、どさり、と背後で音がする。
女性が死んでいた。頭を綺麗に射抜かれて。
そこで初めて、跳弾だったのだと気付いた。
「ようやく終わった。面倒、だったな」
少女は踵を返して立ち去ろうとする。
「待って! あ……」
思わず声を掛けてしまい、口を手で塞ぐ。
気怠そうに少女は見返してきた。
「何か用?」
「いや、えと、なんて言うか……」
「そいつ、子どもを誘拐して実験してた。当然の権利だとかなんとか言ってたけど」
「え……」
血を頭部から吹きこぼしている女性を見直す。
「庇う価値なかったね」
「う……」
自らの早計さ、迂闊さを恥じる。
罪人を守ろうとしていたとは。
少女は興味なさそうに立ち去っていく。
愚かさに打ちひしがれそうになっていると、
「けどま、その心意気はいいんじゃない?」
「え?」
頭を上げた頃には、少女は消えていた。
それが見習いの魔女カルネ・スグリが体験した事件だった。
衝撃の事件から数日後。
カルネはまた、いつものように人混みに紛れて移動していた。
目立たないようにひっそりと、到達する。
見習いの魔術師たちが通う学び舎。
魔術学校イサクディオ。
カルネの学校だ。
フィルーヌ建築様式の立派な校舎には、尋常じゃない量の魔力が満ち溢れている。
中立都市には魔術以外の文明も存在するが、ここは例外の一つだ。
「はぁ」
魔術で認証して、門を潜る。
人を避けるように教室へ到着。
教卓に突っ伏すように寝る。
「って、寝ちゃダメでしょ」
「うぅ……スピカぁ……」
唯一の学友である赤髪のスピカに縋るような声を漏らす。
事件の衝撃はまだ抜け切れていない。
一種のトラウマだ。あの少女が恐ろしかったのもあるし、魔術で治癒したとはいえ、傷を負ったのもそうだ。
何より、悪人を庇ってしまったのが大きい。
こんな醜態を晒してしまって、どうやって人を幸せにできるのだろうか。
「まだ病んでるの?」
「病み病みの病みだよ。闇魔術だよぉ……」
「案外相性いいんじゃない? 今度試してみれば?」
「そんなこと言わないでぇ……」
「あっと、先生来たよ」
言われて、本能的に姿勢を正す。
目立ってはいけないのは教室でもだ。
既に成績はだいぶ悪い。せめて生活態度だけでも取り繕わなければいけない。
眼鏡をかけた男性が入ってきて、クラス中を一瞥する。
おはよう、という挨拶に続いて、自動でドアが開いた。
「今日は転入生を紹介する」
人が入ってくる。魔術でドアを開けたのだ。
クラスメイト達と同様に、興味を惹かれて転入生に目を向けて、
「ああああーっ!!」
またもや悪目立ち。カルネは思わず口を手で押さえる。
しかしこれは仕方ない。何度だって言い訳できた。
だって、転入生として教壇に立っているのは。
銀髪で澄んだ碧眼の、人形のような少女は。
「オリンズ・トリニクス。か……」
「……か?」
絶句しているカルネの前で少女は軽く咳払い。
「とにかく、よろしく」
期せずして。
カルネとオリンズは、クラスメイトとなった。