第7話 過去と名誉と、手放したもの
戦いの翌日、村は静かだった。
誰もが昨日の出来事を、まるで夢でも見たかのように思っていた。
けれど、あの黒い剣と、吹き抜ける風のような一閃だけは、鮮明に記憶に焼きついている。
ニコルは、いつものようにスープを煮ながら、エルバに問いかけた。
「……騎士団にいた頃のこと、聞いてもいいですか?」
薪をくべていたエルバが、ちらりと視線を寄越す。
「聞いてどうする」
「……知っておきたいんです。私の命を救ってくれた人が、どんなふうに生きてきたのか」
しばらくの沈黙のあと、エルバは小さく息を吐いた。
「……あれは、もう十年以上前の話だ。
おれは、王都の中央騎士団の“外れ”にいた。剣だけで昇った。血筋も後ろ盾もない」
「それでも、剣聖と呼ばれたんですね」
「ああ。戦で功績をあげれば、人は勝手に名前をくっつける」
剣で、道を切り拓いてきた。
それしかなかったから。
だが、あるとき――騎士団長の座を巡って、貴族たちの思惑に巻き込まれた。
「実力だけで上に立てば、必ず恨まれる。
おれは“便利な暴力”として持ち上げられ、
その後、“都合の悪い存在”として切られた」
濡れ衣、裏切り、名誉剥奪――
守るべき王太子に罪をなすりつけられ、名ばかりの裁判で“遠地追放”となった。
生きていること自体が、王都にとって不都合だったのだ。
「だから、おれは全部、捨てた」
「剣も、誇りも?」
「ちがう」
エルバはかすかに笑った。
それは皮肉のようで、どこか諦めのにおいがした。
「誇りは捨てなかった。
捨てたのは……自分が誰かのために戦えると思ってた“甘さ”だ」
ニコルは何も言えなかった。
この人は、英雄なんかじゃない。
ただの、ひどく傷ついた人だった。
「――でも、昨日は、村を助けてくれました」
「……あれは、うるさいガキどもが泣くのが面倒だっただけだ」
「ふふ、そういうことにしておきます」
ニコルは、そっと立ち上がり、鍋の中を混ぜた。
沸き上がる湯気の向こうで、彼の横顔を見つめる。
「……私が、勝手に思っていいですか」
「ん?」
「剣を抜かなくても、誰かのために動くあなたは、
私にとって、ちゃんと“騎士”です」
そう言うと、エルバは一瞬だけ手を止めた。
まるで、胸の奥に、なにか突き刺さったように。
でも彼は、何も答えなかった。
ただ――湯気の向こうで、ほんの少しだけ目を伏せて、
黙ってスープの鍋に蓋をした。
その静けさが、返事の代わりだった。