第9話 おっさんは、笑わない
冬は、終わりに近づいていた。
けれど、雪はまだ深く、小屋のまわりは真っ白なままだった。
ある朝、ニコルは決心していた。
――言おう。ちゃんと、言葉にしよう。
あの夜、あの手が私の頭を撫でたときから、ずっと、ずっと心にあったこの想いを。
それは恋か、憧れか、尊敬か。
わからない。
でも、彼のそばにいたいと思う気持ちは、きっと本物だった。
*
夕暮れ、二人で並んで薪を運んだ帰り道。
雪の反射で空が少し明るい。
ニコルは立ち止まり、エルバの袖をつかんだ。
「……あの」
「ん?」
言葉が、喉でふるえる。
でも、逃げたくなかった。
「……わたし、あなたが好きです」
森が静まり返る。
風も、鳥も、動きを止めたように思えた。
薪を担いでいたエルバの肩が、かすかに揺れた。
「……おれは、おっさんだぞ」
「知ってます」
「髭も剃ってねぇし、服も粗末で、顔だって――」
「ぜんぶ、見てます」
ニコルは一歩、踏み出した。
怖くてたまらなかった。
でも、立ち止まったら、この気持ちごと凍ってしまうようで。
「あなたが、拾ってくれたから、私は生きてる。
ここで、生きて、笑って、毎日を過ごせてる」
「……」
「わたし、あなたに――いてほしいんです。
誰のためでもなく、あなた自身が、ここで、生きていてほしいんです」
エルバは、答えなかった。
長い、長い時間が流れた。
ニコルの手が、少し震える。
それでも泣かなかった。
だけど、次の瞬間。
エルバが、そっと彼女の手をとった。
荒れた掌が、指先に触れる。
それは不器用で、頼りないようで――ひどく優しい。
「……おれは、何も約束できん」
「はい」
「何年も剣だけで生きてきた。言葉もうまくないし、優しくもない」
「はい」
「……それでも、あんたがいいなら、春までは……そばにいてやる」
ニコルは、思わず笑ってしまった。
春まで。
でも、それはこの人にとって――きっと限界ぎりぎりの、精一杯の“告白”だった。
「――春になっても、私は出て行きませんからね」
「……やれやれ。強情だな」
「そういうの、あなたが教えてくれたんです」
ふたりの間に、ふわりと笑みがこぼれる。
エルバは、笑わなかった。
でも、目元だけが、ほんの少しだけ、やわらかくなっていた。
それが、この男の精一杯の“笑顔”だと知ったのは、ずっと後のことだった。