表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

ほら吹き地蔵 第十二夜 死の谷から来た狐

【お断わり】今回も三題噺ではありません。


ボクのうちの裏庭に、かなりいいかげんなお地蔵さんが引っ越して来ました。

でもまあ、とりあえず、ありがたや、ありがたや。


**********


【1】


元はと言えば、ボクは、どこにでもいる狐の子だった。

巣立ちするや否や、一緒に生まれた兄弟姉妹と共に、ボクは両親の縄張りから追い出された。

一年後にはボク一匹しか生き残っていなかった。

かろうじて自分の縄張りを確保する事ができたのはボクだけだったからだ。


それから5年、ボクは縄張り争い以外の事は何一つしていない。

人は、これを生存競争と呼ぶ。

ボクのエサになるネズミだって、ボクをエサにする狼だって、自分たちの縄張り争いで精一杯なんだから、生きるって、そういう事なんだろうと思っていた。


【2】


ある日、妙な事が起きた。

隠れていたネズミたちが地表に姿を出し、泡を吹いてコロリコロリと死んだ。

止せばいいのに、ネズミの死骸を口にしたキツネもバタバタ死に、狼がそれに続いた。


ボクは空きっパラを抱えたまま逃げた。

自分の縄張りを放棄するなんて自殺行為だが、ここに居たら100パーセント死ぬのも分かっていたからだ。


やがて人間の村が見えて来た。

普通だったら回避すべき空間だが、ボクはそのまま直進した。空腹で居ても立ってもいられなかったからだ。

このまま逃げ回っても、どの道、餓死が待ってるだけなら、無謀な賭けの方が、まだ良い。


食べ物探索どころじゃないのは、すぐに分かった。

人間の死体の臭いがした。それも、かなりの数の。

どこに埋めてあるのかも、大体、見当は付いたけど、ボクはその村で一夜を過ごしてしまった。

ここは、とっとと逃げるのが常識なんだが、疲れて果てたボクは、どこでもいい、体を休める場所が欲しかったんだ。

案の定、ボクは死んだ。残留ガスを吸い込んで。


【3】


目覚めたら、なんとまあ、ボクは妖怪になっていた。狐の妖怪だから妖狐。

孤独じゃなかった。お仲間は、わんさか居た。

みんな人間の死体をむさぼり食っていた。


「あれだけは、やりたくないな」とボクは思った。

人肉の味を覚えたら、妖狐が食物連鎖の頂点に立つ事になる。

そんなの、おかしいじゃないか。

自分のやりたいようにやっていたら、「おまえはバケモノ界のツラ汚しだ」と言い渡された。

はいはい、そうですか。

ボクは追放された。

幸い飢餓の恐怖からは解放された身だ。そもそも不死身だ。

目的地もなく、やる事もなく、ボクはのらくらと放浪した。


【4】


ある夕方、ボクは見るからに感じの悪い川沿いを歩いていた。

川底と左右両岸の三面をコンクリートで固めた川。川と言うより、ただの水路だ。

人間は、こんなものを作って何が楽しいのだろう。

命の気配はなく、ただ排水の汚れた気だけが流れて行く。


やがて道は川岸を離れ、切り通しの坂を昇る。案の定、風が曲がりくねって吹いて来た。

「罰当たりな土地開発も、いいかげんにしろよ」と思っていたら、曲がり角に地蔵堂があった。


「うん、そうだよな。ここはお地蔵さんなり道祖神なりをお祀りして、魑魅魍魎をファイアウォールすべき所だよな」と、妙に納得して通り過ぎる積もりだったが、何とはなしに足が止まった。

地蔵堂の中をのぞき込んだら、そのまま引っ張り込まれた。

頭をつんつるてんに剃った、お坊さんみたいな姿の仏様が、ニコニコしながら話しかけて来た。


「妖狐よ、妖狐。どこへ行く?」


余計なお世話です。

だが、この程度の挑発に乗る相手じゃなかったみたいだ。


「何を意地になっておるのか。単刀直入に言うが、私に仕える気はないか?」


はい、そうします。

この支離滅裂な回答、自分の事ながら呆れる。

これだけは言える。考えて口にした事じゃない。いや、考えたら足が止まっていたろう。

お地蔵さま、またもニッコリ。


「よろしい。最初は魑魅魍魎のタグイかと思ったが、おまえからは死肉の臭いがしなかった。なかなか殊勝な奴だ。なにか欲しいものはあるか?」


仕事が欲しい。職をくれえ。

お地蔵さん、またもニッコリ。もう完全に相手ペースだ。


「仕事なら、いくらでもあるぞよ、選ばなければな。それでいいか?」


はい。それで、けっこうです。

我ながら、どうして、こんなに投げ槍なんだろう。承認欲求に飢えてるのかな。


今から思えば、「未経験者大歓迎。仕事はていねいに指導します。あなたのやる気次第で、いくらでもステップアップできる、笑顔の絶えない職場です」と告げられた時点で逃げ出すべきだったのだが。


【5】


与えられた仕事は、お坊さんの世話係だった。

食糧の調達、移動手段の確保、ボディーガード、病気になった時の看護、そして死んだ後の葬式の手配まで、要は雑用係だ。

お寺の住職なら檀信徒の世話も含まれる。


もしも徳の高いお坊さんに付けられたら、世話係の仕事は爆発的に増える。

人も物も金も群がり集まって来るのだから。

人間のエネルギーは、実はどんな妖怪よりも、すごい。

みんな自分の事ばっかり考えているから、それが見えないだけだ。


お坊さんの徳力・法力と言っても、要は心の窓を開けて澱んだ空気を入れ替え、眼鏡の塵を払ってやるだけの事だ。それで自然にうまく行く。宗教とは、そういうものだ。

人間から生じた問題を、人間が解決できない訳がない。


【6】


「僧侶って、どういうものか、あらかじめ教えておく。一度しか呼べない相手だから、よく見て学べ」とお地蔵さんに言われた。

つまり雑用係の導入教育だった。


最初はエネルギッシュなお坊さんが出て来た。

控え目な人だったが、お地蔵の質問には途切れる事なく答える事ができた。

「どう思う?」とお地蔵さんに聞かれたので「勉強熱心な人ですね」と答えた。

「それだけか?」


お地蔵さんが、そう口にした瞬間、時空が暗転して、窓も灯りもない狭い部屋の中に閉じ込められた。

さっきのお坊さんが床に正座して、目の前のロウソクの光を、じっと見詰めていた。

お地蔵さんの口頭試験が再開された。

澱みもなく、過不足もなく、迷いもない答えがお坊さんの口から出て来た。

それがそのまま三昼夜、続いた。

許されたのはトイレと水分補給だけ。

睡眠はおろか、背伸びすら許されない。

ロウソクの炎を見詰めたまま、聞かれた事に答え続けるしかないのだ。


四日目の朝、死んだように眠るお坊さんを前にして、ボクはお地蔵さんに聞いた。


「この拷問の最中に、このお坊さんが一瞬でも言い澱んでいたら、どうなっていたんですか?」


「襟首をつかまれて、お寺の裏口から放り出されていたよ。『オマエのような怠け者を、これ以上は置いてはおけない!』と罵倒されてな。」


アメリカ海軍特殊部隊の訓練キャンプが幼稚園みたいに思える。

エリート主義はエリート主義だけど、ここまで徹底していたら、かえって清々しいと思った。


【7】


次のお坊さんも感じの良い人で、頭も良さそうだったが、お地蔵さんの質問には答えたり答えなかったりする。


ボクでも分かるような理屈のスジが通った質問には、ボクでも分かるように明晰に答える。

まるで風が雲や霧を吹き飛ばすような、鮮やかな答えっぷりだった。


ところがお地蔵さんがイジワル質問をすると流してしまうのだ。

黙るのでも、はぐらかすのでもない。ちゃんと答えてはいるのだが、良く考えてみると、答えになっていない。

またもお地蔵さんに「どう思う?」と聞かれたので、ボクは答えた。


「この人、ゼロにゼロを足してるんじゃなくて、ゼロをゼロで割ってますね。どうすれば、こう言うお坊さんを養成する事ができるんですか? それとも、この人の持って生まれたお人柄なんですかね?」


お地蔵さんがボクの事を「こいつ、なかなか言うな」と言う目でチラリと見た。


「こやつも途中まではエリート教育を受けて選抜された身だ。

だが、ただの点取り虫ではないぞ。こやつの寺では人物審査にパスしないと、そこから先には進めない仕組みになっておるのだ。」


「なんです? その人物審査って。人が人を値踏みするんですか? 住宅ローンの審査じゃあるまいし。」


「まあ、そう難しく考えるな。世を惑わす不届き者どもを法の場から締め出すための、一種の社会防衛なのだ。

『あいつは頭はいい。要領もいい。修行も一生懸命やるんだが、人間性がちょっとなあ』と言う話になったら、ハイレベルな法は授けん事になっておる。

よくよく協議・検討した上で、本人に『そのウツワに非ず』と申し渡す。

そう言われてガッカリしない修行者はいないが、これも世のため人のため、そして本人のためだ。」


「つまり、ネガティブ・チェックな訳ですな。その人物審査の先には何があるんですか? あのお坊さんは何を見たんですか?」


「それは、ある程度は本人次第なのだ。寺は修行者を教え導くが、自分を育てるのは自分自身だ。

それでも、持って生まれた物は変えようがない。強みであれ、弱みであれ、それがごうと言う物である。

時と場所と指導者と修行者本人のやる気と、そして本人の業と、全てが組み合わさったものをえんと言う。これはもう、勝ち取る物ではない。与えられるものだ。」


「その結果が『ゼロ割るゼロ』ですか。なるほど、あのお坊さんに捉え所がないはずだ。

そのハイレベルな仏法、見せてはもらえんのですか?」


お地蔵さんがボクの方にクルリと体を向け、ボクの目をまっすぐ見て言った。(こんな振る舞いは、後にも先にも、これ一回切りだった。)


「特別の計らいを持って見せてやる。まあ、途中までだがな。

ただし、これを目にしたら、おまえ、『やっぱり気が変わりました。神狐やめます』とは言えなくなるぞ。いいのか?」


いいに決まってるじゃありませんか!


さて、ちょろりと見せてもらえた「ハイレベルな法」については何も言えない。

これだけは言える。

こいつを悪用する人間が徒党を組んで悪事を働いたら、誰にも止めようがなくなるだろう。

なるほど、厚くて高い壁で取り囲んで極秘扱いするはずだ。


このお坊さんは、このお坊さんにしかできない事をやっている。

それをエリート主義と言うなら、エリート主義、大いにけっこうじゃないか。


【8】


その次は、受けるこっちも大変だった。

一日一人ずつ、10人のお坊さんが、ひっきりなしにやって来た。みんな禅僧だった。


あるお坊さんからは、頭をひっぱたかれた。

暴力じゃない。そのお坊さんは、お茶を飲んで世間話をしていただけだ。

誰かがボクの頭をガツンと叩いた。

一体、何が起こったのか理解できなかったし、今でも理解できない。

お坊さんの話の内容は忘れてしまった。


面喰ったのは、お坊さんたちの背後霊だった。

いや、背後霊は失礼か。レッキとした神さま、仏さまなんだから。まあ、守護者とでも言っておこうか。


この守護者が、一人ひとり、みんな違うのだ。

守護者らしい守護者が全くいない禅僧もいた。

体半分を守護者に預けている禅僧もいた。

ほぼほぼ守護者に身を委ねている禅僧もいた。

上はおシャカさまから、下はボクみたいな雑用係まで、仏教ファミリーの層が厚い事は知っていたけど。


ボクはお地蔵さんのヒジをつついてみた。


「仏教には8万4千の門があると聞いてはいましたが、これじゃ入門者が迷子になっちゃうんじゃありませんか?」


お地蔵さんはボクの方なんか見もせずに答えた。


「いいんだ。どこから入っても、入っちゃえば、おんなじだから。」


忘れてた。この人、ものすごく、いい加減な仏さんだった。


最終日になって、ようやくボクは悟った。

禅は、その人その人の全存在に貼り付いていて、切り離す事ができない。

禅師が10人いれば、禅も10通りある。

他とは置き換え不可能だし、誰かに伝える事も、譲り渡す事もできない。

本人が死んだら、その人に貼り付いた禅も消滅する。


ボクは再びお地蔵さんのヒジをつついた。


「禅には始めも終わりもないと言う事ですか?

『どの道、伝えようがないなら、オレ、弟子、育てない』とか言い出す禅師も出て来そうですけど。」


お地蔵さん、またも前を向いたまま答えた。


「うん。現に、そういうものいたよ。だが、それじゃ発展がないわなあ。

これから生まれて来る者たちの為に、禅を守って行く義務もある。

だから禅師の仕事の半分は、弟子の育成にあるようなものだ。

理屈の上では無理な事をやろうと言う話だから、プロ野球選手が小学生に向かって本気の球を投げつけるようなやり方になる。」


ああ、それで頭ガツンとやられたのか。


「それだと、球を受け取る弟子の方にも、それ相応の力量が要求されますよね。良い師は得難いけど、良い弟子もまた得難いと。

結局、思うにまかせぬ事ばかりなんじゃありませんか? どんな禅師でも。」


お地蔵さん、ボクの方をチラと横目で見て、プイと言った。


「その通りだ。自分の力で修行してるように見えるが、修行すればするほど、見えて来るのは修行の限界だ。卑小な自分よりも、もっともっと大きな物の存在だ。さりとて禅はやめられぬ。」


ボクも禅の火は絶やすべきじゃないと思う。

出家でもすればともかく、禅は意外と入りやすいものなのだ。大衆的なのだ。

必要なのは、ころころと地面を転がり落ちて、ついに禅の門を叩くに至るご縁だけだ。


落ち栗の座を定めるや窪だまり 柳の家 井月


【9】


最後のお坊さんは、すごかった。

ずっと座って、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えているだけ。

ただそれだけなのに、人が寄って来る。人が去り、人が替わって行く。


ご縁ひとつに全てを任せ切る事もできる人間がいたとは驚いた。

「行く所まで行った究極のお坊さん」は、既に何人も見たけど、この人のは超人級だ。


「どう思う?」と、お地蔵さんが、首だけこっちに向けて聞いて来た。

思っている事を全部言った。


「一見、入りやすそうに見えるけど、実は緊張感が一番キツいやり方なんじゃないでしょうか。『ただ捨てろ』と言われて、『はい、捨てます』とは行きませんよ、普通は。

本当に全てを奪われた人間は、ただ絶望するだけです。祈るのは、まだどこかに余裕があるからだと思います。

そもそも修行らしい修行がない、祈りが全てのやり方ですから、『オレとオマエの、どっちの祈りがホンモノなのか』なんて話になったら収拾がつかなくなると思います。」


お地蔵さんは前を向いたまま言った。


「宗派の組織論を優先すれば、そうなるな。だが、『オレの祈りはオレ一代切りでいい』と考えたら、どうかな。」


「あの方がそうだと?」


「ああ。思い切って、あの方に使われてみてはどうだ? ずいぶんと苦手意識を持ってるみたいだし。」


上に立つ人って、どうして、こういうイジワルな考え方をするんだろう。


【10】


その後、ボクがどうしたかと言うと、用事がある時だけ呼び出される、その日暮らしの使い走りになった。

明日は仕事があるのか無いのか、誰に付いて何をするのか、前の日の夕方になるまで分からない。

これが、けっこう楽しい。

色々な仏さんに使われたし、色々な物を見た。

悲しい光景も。必死で生きている人も。苦労が報われた人も、報われなかった人も。虐待された子どもも。いわれなき差別に絶望する人も。良かれと思って全てを台無しにしてしまう人もだ。

そのうち煩悩の百科事典でも作ってやろうかと思う。


え?「仕事が無い時は稲荷社で、のんびりしてるんだろ」って?

あれは正社員のお狐さま。こちとらアルバイト。

まだお経の読み方も知らない、妖狐上がりだからねえ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ