第四十一話 ホームルームまで
伏せているため直接確認しているわけではないが、どうやらこの教室にはまだ夢乃君が来ていないらしい。
毎度、夢乃君がグループの会話を回していたためか、普段ならクラスでもっとも大きな声量で話をしている一軍男女の声が小さい。
月曜日の朝から心配事なんて、幸先が悪そうだ。
「まだかなー…………」
そのなかでも特に夢乃君がいない影響を受けていたのは小芽生さんだ。
いつもの夢乃君は学校に来るのが早く、オレの次に教室に入ってくることなんかもよくある。そして小芽生さんも、彼に続くくらい早く来て、それから彼女はずっと夢乃君と一緒に過ごしている。
しかし、ホームルーム直前になっても夢乃君は来ず、小芽生さんはため息交じりに呟く。彼女の周りを取り囲んでいるであろうグループの人らも同じように言葉に覇気がない。
彼女が夢乃君をどう思っているかは入学式の日から知っている。
周囲よりも人一倍、肩を落としているのはそういうことなのだろう。
―――――あの感情に支配されたら、ああなるのか。
オレは小芽生さんを反面教師にして、あの感情を抱かないように心に誓う。
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時間が経っていくにつれて小芽生さんたちの不安は増幅していく。
「全然返信来ない…………」
世間では『遅刻』と呼ばれる時刻まであと数分。
そんな時間まで主役の登場を待っても学校に来ない。連絡さえもつかない。
主役は遅れて登場する。なんていう、優等生の夢乃君には似合わない言葉でも願ってしまうほどだ。
最悪なことになっていなければいいが…………。
クラスの中心人物が来ない影響はウイルスのように周囲にも伝播していく。
「夢乃君、いないんだね」
「どうしちゃったんだろう」
「珍しいこともあるんだなー、今日の天気って雪だっけ?」
夢乃君たちと関わらないようなクラスメイトらも、今の異常事態に気づく。
彼らの大きかった声は、夢乃君がいない時間が増えていくにつれて、小さくなっていく。
自分の目の前に広がっている、机と腕と胸に囲まれた暗闇に、誰かの鼓動音や呼吸音が反響している。
そんなどうでもいいことがわかるくらいに、教室は静かになっていた。
みんな会話をしていないわけではない。が、声が小さくなっている。
今日の天気にも味が出てきたところで、ホームルームギリギリの時間になって、教室の前のドアを勢いよく開けて入ってくる人影がひとつ。
「…………! 望く…………」
ほとんどのクラスメイトが登校済みの一年四組。
みんなが噂しているときにタイミングよく開かれるドア。
そこに立っている誰かの背丈は高い。
条件が完璧に揃っていることでクラスメイトは誰が来たのかを確信して胸をなでおろす。
そんな安心感を覚えた人たちの代表として小芽生さんが高い音域の息を吐いて、窓際の席からドアへ駆け寄ろうとする。
しかし、ドアが完全に開かれたとき、教室に入ろうとしている誰かの正体が明らかになった。
「あぁ?」
生き別れの兄弟に再会したかのような足取りで駆け寄ってきた小芽生さんを見て、教室に入ってきたその人は思わず、眉根を寄せる。
誰もが確信していた主役の登場なんかではなく、そこにいたのは、
「あっ……………ごめんね、飛勝君…………」
小芽生さんは教室に入ってきた背丈の高い男子の正体に気づくと、瞬きを複数回して言葉を見失う。
数秒の沈黙が、安堵に包まれそうになっていた教室に落ちる。
飛勝君は、教室の入り口で目の前に立ちふさがって急に困惑を見せる小芽生さんに思わず自分の後頭部をひとなで。
教室を一度見回し、ほぼ全員の視線を受けていることに気づく。
飛勝君は少し照れながら、斜め下を向いて、眉を曇らせている小芽生さんの横を通って自分の席へと向かっていく。
その間もクラスの視線を一心に浴びる姿はまさにトップスターだが、もちろん飛勝君の本意ではない。
一方で、クラスメイトが飛勝君の顔を見ていることには理由があった。
―――――あのケガはなんだ?
飛勝君の顔には大きな腫れがくっついていたのだ。
左頬に赤く大きなりんごをつくって、それを気にも留めていない様子で自分の席へ向かう姿に視線は吸い込まれており、クラスメイトの安堵は驚きに変わっていた。
こそこそと聞こえる話の内容も、夢乃君のことより飛勝君のことへと変化していた。
オレもその声を聞いて、それまで机に伏せていた顔を上げて、飛勝君の顔を見てみる。
「…………」
「…………」
ポケットに手を入れて猫背になって歩く飛勝君。
机の上に腕を組んで、猫背で座っているオレ。
猫背同士、その瞬間、確かに目が合った。
机と机の間を悠々と歩く飛勝君の顔には、確かに赤い痕。それを覆うようにガーゼが張られていた。
クラスメイトに見せつけるようにはみ出した腫れの痕は熟しすぎた果実のようで、どれほど過激な喧嘩があったのかをみんなに想像させる。
しかし、オレはどんなレベルの喧嘩だったのかは興味がなく、キレイに赤くなっている飛勝君の頬の確認をして、目線を外し、机に伏せなおす。
うなだれている小芽生さんは、それからは黙ったまま自分の席へ力ない足取りで戻っていく。
みんな、安堵や驚きの入り混じった会話を繰り広げている一方で、伊波さんは机に伏せているオレの耳に囁く。
「いい感じ?」
オレはその質問に、頭を乗せている腕に、額を縦にこすりつける。




