第三十一話 脚本家
オレは一ノ瀬さんの『学校で寝る』という行為に羨望の眼差し…………じゃなくて、冷ややかな目を向ける。
伊波さんは小さく微笑み、ラクは呆れ顔で一ノ瀬さんへのリアクションは多種多様。
まったく、勉強をするために来ている学校で寝るとは、けしからん!
ということを、学校でそこそこ寝ているカエデは自分勝手に考えていたのだった。
それにしても、クラスの内情にいくら疎いからと言って、天賦君の名前すら知らないのは、本当にクラスメイトなのか訝ってしまう。
彼は今日の朝の演説以外に、退学者を出したときも注目の的になっていた。
人気はなくとも絶賛話題沸騰中、一年四組のトレンドの中心にいる人物なのに、だ。
授業の疲れでため息の回数が多いオレとは反対に、睡眠の量ゆえか調子よく笑う一ノ瀬さんに、天賦君について聞く。
「天賦君を知らないのか」
「全然知らんな。自己紹介のときも自分以外のときは、うつらうつらしてたし、他人の会話を盗み聞く趣味もねぇ。だからアタシがクラスのことで知ってるのはほぼねぇんだわ」
「でも、さすがに一ノ瀬さんも一昨日の騒動はわかるだろ?」
「…………騒動って…なんだ?」
普通のクラスメイトであれば伝わりそうな表現で、一ノ瀬さんに退学の件で前に立ったヤツが天賦君だと説明しようとしたが、彼女はそれにすらも首を傾ける。
あの暗い感情が渦巻いていた教室の光景を、クラスメイトであれば鮮烈に目に焼きつけていることだろうが、どうやら一ノ瀬さんはその限りではないらしい。
どこまでも同じ教室で学校生活を送っているとは思えない返答の連続に、オレは思わず言葉を探す時間を要する。
「騒動は…………オレが退学させた、アレだ」
「んー…………あー! アレのことか!」
一ノ瀬さんは瞑目して記憶の海を泳ぎ、数秒後、思い出したかのように瞼をはねさせて手の平を拳で叩く。
ようやく一ノ瀬さんとオレたちの共通の記憶が存在していることを確認して、オレは人差し指で鼻の下を一往復分だけ擦る。
しかし、安心も束の間。一ノ瀬さんはその出来事を、こう表現する。
「でも、アレってそんな騒動ってほど…………
―――大したことじゃないだろ、仰々しい」
あろうことか、彼女はあの一件を大した騒動ではないと言うのだ。
あのときのアイツの涙、クラスを渦巻くドス黒い感情、戸惑いで声すら発せないクラスメイト、自尊心のバケモノ、そして退学者を選ぶ無能なクラス代表。
これまでにないくらいカラフルに感情が入り乱れていたアレは絶対に騒動だ。
一ノ瀬さんはあの空間にいなかったわけではない。同じ場所で、彼の最後の喚きを聞いていたはず。あの光景は数日間フラッシュバックしてもおかしくないくらいの強烈なインパクトだった。
それを大したことないと言われると、怒りにも似た感情が心の奥底から湧き上がってくる。
…………と思っていたが、オレが抱いていたのは別の感情だった。
―――――一ノ瀬からは何が見えているのだろう。
淡々と言い放った一ノ瀬さんに、あのとき、そして今も、満面の笑みを浮かべる伊波さんは聞く。
「確かに。…………でも、私は、大したことだと思うよ。一ノ瀬さん」
表情とは裏腹に語調は鋭く、一ノ瀬さんの発言を真っ向から否定する。
双眸は一ノ瀬さんの心を見ているようで、先ほどとは逆に伊波さんが威圧感を出している。
「そうか。考え方とか感じ方って人それぞれだしな」
対して、一ノ瀬さんは伊波さんの圧を、理由すら聞かずに、地に足をつけてカラッと受け流す。
伊波さんもそれ以上は語らずにクスっと笑って「そうね」とだけ。
「一ノ瀬さんは、どうして、あの出来事を大したことないと感じたんだ?」
直接的に否定した伊波さんとは違い、オレは相手に寄り添うスタイルで問いかける。
もちろん、アレの感じ方は人それぞれだという意見には激しく同意している。が、少なくとも人の感情が大きく揺さぶられる出来事ではあったはずだ。
であれば、そうならなかった一ノ瀬さんがどう考えているのか、オレは気になる。
一ノ瀬さんは背もたれに寄りかかってオレに視線だけ寄越し、「だって」と言って、
「生徒会則で決められた脚本に、アタシたちは従っているだけだろ?」
一瞬、言葉の意味が理解できず、オレは身体が動くことを忘れる。
一ノ瀬さんによると、オレたちは『脚本』というのに従っているらしい。ということは、あの一連の出来事は誰かに用意された舞台だということなのだろうか。
一ノ瀬さんの言葉の意味を探るため、オレは自分の口をつかむように手を添えて聞く。
「…………脚本?」
「そうだ。アレは偶発的に起きたことじゃない。生徒会則が出されて、それに従わなかった生徒がいたことによって、クラス代表が退学者を選ぶ。これ以上ないくらいにキレイな流れだな」
「生徒会則どおりの展開になったから、『脚本』ということか…………」
「つけ加えるなら、あの生徒会則の一週間は準備期間で、ルールを破ったヤツがいたから生徒会がつくった脚本が次のページに進んだ。つまりアタシたちは、生徒会制作の劇の単なる役者なんだよ。滑稽滑稽」
「それなら、なおさら大事じゃないのか?」
オレの問いかけに、一ノ瀬さんは鼻で笑って、
「誰かに感情を操作されて、マジになってる方がバカバカしい…………」




