第三十話 なかなかのやり手
「こうして目の前で頭を下げられると気分がいいなー。苦しゅうない」
一ノ瀬さんは恐怖とは別の意味でラクに謝罪をされ、ご満悦のようだ。
二人の仲があやしいところではあるが、とにかくこれで一件落着。
彼女がキレていた理由もわかったし、どんな人なのかも少しだけ理解できた。
ラクをうまく弄ぶあたり、ノリがいいタイプなのだろう。半分くらいは心の底から出た言葉なのかもしれないけど。
「ところで、なんで教室で寝ていたのでしょうか? 寝るんなら、家帰ってから寝ればいいのに…………と申させてほしいです」
ラクは家臣のように振舞いながら一ノ瀬さんに聞く。
家臣としては打ち首にされてもおかしくないほどの無礼な意見だが、一ノ瀬さんは余裕の笑みを浮かべる。
「寝るのに理由なんていらないだろ。アタシはメシの後、急激に眠くなったから寝た。そして気がついたら授業は終ってて、教室にお前らしかいなかった。それだけだ…………」
謎にドヤ顔を決める一ノ瀬さんに、オレたちは開いた口が塞がらない。
どこにドヤ顔できる要素があったのか甚だ疑問だが、それもまた美しい。
見た目は佐倉さんに劣らないほど品行方正、その実、慣れてしまえば話しやすそうなノリのよさ。これがいわゆるギャップというやつなのだろう。
彼女のギャップに関心を示していたけど、よくよく考えると昼から寝ているということは、もしかしたら、それから一度も人と関わっていないのか?
話をすることもなく、連絡を取り合うこともなく、ただ孤独に夢の世界を旅していたというのか。
そう思うと、杞憂かもしれないが、なんだかスゴイかわいそうな人に見えてきた。
今、彼女がしているドヤ顔も本当は取り繕っているだけで、実は孤独で寂しがっているとしたら、それもまたギャップといえるのかもしれない。
一ノ瀬さんは漏れ出てしまいそうな欠伸を噛み殺しながら、
「まっ、そんなことはどうでもいいだろ。―――次はアタシからの質問だ。お前らはここで何を話していたんだ? まどろんでいたが、なんか面白そうな話だったような気がしてならないんだよ…………」
自分の話のときはあまり興味がなさそうな対応を見せる。
しかし攻守を切り替えて、三人に目配せしながら一ノ瀬さんは前のめりでオレたちの話していた内容について聞いてきた。
歯を見せて上擦った声を発し、上唇をひとなめ。これから狩りでも始めるのかと思うほどの表情だ。
「私たちね、作戦会議をしてたの!」
一ノ瀬さんの問いかけに砕けた口調で即座に答えたのは伊波さんだ。
一ノ瀬さんは伊波さんの発言に興味津々そうに「ほえー」と息を吐いて、少し開いた足の隙間の椅子を両手でつかみ、それに体重を預けるような体勢になる。
「なにそれ! おんもしろそうだなー! 内容はなんだ!? 作戦、作戦……なんか企んでるってことなのか!? 革命でも起こすのか!?」
「革命も面白そう! それもいつかやろう! でも、今回はちょっと違ってね、会議の議題は『一年四組に送られてきたメールについて』なんだよね。一ノ瀬さんもきっと話には聞いてるでしょ?」
「えっ!? このクラスにそんなものが送られてきてたの!?」
伊波さんが伝えた内容に、一ノ瀬さんはいまいちピンと来ていない様子。まるでこのクラスに問題があったことを、今初めて聞かされたような感じだ。
一ノ瀬さんはさらに目を見開いて口角を上げて「詳しく詳しく!」と椅子の上で駄々っ子のようにバウンドしながら伊波さんを急かす。
前のめりが過ぎて、キレイに四角形に並べられていた椅子が、気づけば一ノ瀬さんの位置で歪な形に変形しており、伊波さんの椅子の方へとアハ体験のように近づいていた。
おそらく椅子の上でバウンドしながら椅子を少しずつずらしていたのだろう。心の距離感に比例して物理的な距離感も変化しているようだ。
「一ノ瀬、知らないのか? 俺はてっきりクラス全体で取り掛かっているレベルの事件だと思っていたんだけど、違うのか?」
女子どうしの膝が接触しそうなあたりまで近づいていたとき、声を聞こえたのは二人とは違う場所、オレの右に座っているラクからだった。
先ほどまで遜っていたはずだが、すでにいつもどおりのラクへと戻っており、普通に会話に参加している。
彼と同じく、オレも一ノ瀬さんの反応には驚いた。
メールを送られたことに気づいていなかったとしても、朝の天賦君の演説とかで周知されているものだと思っていた。
「初めて聞いたな…………」
一ノ瀬さんは眉間に皺を寄せて考えるような表情を見せるも、なおも知らないことを貫こうとしている。
今日、途中登校だった人はいないはずで、退学した一人を除けばそれ以外は全員いたと記憶している。
伊波さんも予想外だったようで、指を口の端に当てながら首を傾げて、
「メールは見てないの?」
「全然見ないな」
「じゃあさ、今日みんなが話題にしてたこととか小耳にはさんでない?」
「へぇー、そんなにみんな話してたのか。全然聞いてなかったな」
「じゃあじゃあ! 朝のホームルームの前に天賦君があれこれ喋ってたのとかは?」
「天賦? 誰だ、それ? 全然知らん。というか、ずっと寝てたせいで今日あったこととかなんにもわからないんだよな!」
高笑いを決めながら、一ノ瀬さんは午後だけでなく、午前も寝ていたことをカミングアウトした。
これならばクラスの内情に疎いのも納得だ。友達と話さず、学校にいる間はずっと爆睡。普通の高校生なら先生に注意されてもおかしくない生活態度だが、ここでは先生が授業中に注意をすることはない。
それをいいことに睡眠とは…………。
―――――なかなかやるな。




