第二十九話 そりも話も
一ノ瀬さんは、さも自分が何も言っていないかのように語る。
それはラクを否定するためにつくられた皮肉などではなく、本心で言っていることが彼女の声音からわかる。
たしかにオレたち三人は彼女の『うるせー』を聞いたはず。あの空気を押し出すように教室全体を震わせた怒号は決して空耳なんかじゃない。ラクだってその圧で吹き飛ばされていたわけだし。
一ノ瀬さんは寝ぼけていて、そのことを覚えていないのかもしれない。
そう考えるしかないほどの事実との乖離。思わずオレたち三人が「えっ」と言ってしまうほどの。
「さっき言ってただろ。もう忘れたのか? いいって、天然ドジっ子アピールはよー。一ノ瀬はその対極にいる存在なんだし、かわいかねーぞ」
隙を見せたと思われる一ノ瀬さんにまたしてもラクは強気な態度。
しかし一ノ瀬さんはそれを気にも留めていない。呼吸の乱れ、体・心の揺らぎがないことからそれがわかる。
「確かに『うるさい』とは言った」
「やっぱり言ってるじゃん」
二人の会話はいまいち噛み合っていない。
噛み合わせをよくするために、伊波さんがサイドからアシストを入れる。
「一ノ瀬さん、それってどういうこと? 今のままじゃ、『うるさい』って言ってないけど『うるさい』って言った、って一ノ瀬さんは言ったことになるよ」
なかなか解読の難しい聞き方になっているが、それも仕方ないだろう。
そういう矛盾を一ノ瀬さんはしてしまっているわけだし。
伊波さんの疑問にラクは腕を組んで大きく二回頷く。
一ノ瀬さんは、顎に手を当てて彼女からの疑問を噛み砕く。
数秒間、斜め下を向きながら考え、「そういうことか」と鼻を鳴らし、片側の口角を上げて、
「言葉どおりさ。アタシは『うるさい』って言った」
「だーかーらー…………」
「でも、それを三人には言ってない」
ラクが途中で割り込もうとしたところを、すかさず遮って話を続ける一ノ瀬さん。
そして話がうまく噛み合っていなかった原因が明らかになる。
最初にラクが「なかなか威圧感のある『うるせー』が俺ら三人に飛んできてたぞ」と言っていた。
それに対して、一ノ瀬さんは「アタシがいつ三人に言った?」と聞いた。
これは『うるさい』と言ったか否かではなく、三人に言ったかどうかということだったのだろう。
だからずっと、三人には一ノ瀬さんの言動が矛盾していたように聞こえていたわけだ。
妙に納得のいく結論に至ったな。
自分で解いたわけじゃないのに、この謎が解けた感じ…………癖になるくらいスッキリする。将来は探偵を目指すのも悪くない。
―――――この学校の生徒会の秘密を己の力で明かしたらもっと気持ちいいのだろうか。
…………ん? 三人には言ってない?
よくよく考えたら、あの状況で三人に言っていないのだとしたら、彼女は何に怒声を飛ばしたんだ?
「じゃあ、一ノ瀬さんは誰に言ったんだ?」
霊感がありすぎて、周囲の幽霊を感知してしまって煩わしく感じた。
なんていう非現実的なことあるわけないし、そもそも教室にいるのはここにいる四人だけ。
それにあのとき、オレたち以外の会話はほぼ聞こえなかった。廊下も静かで、校門の方からの音も大して響いていなかった。
耳に入った音の情報といえば、せいぜい、二、三人ほどの廊下を歩く足音だけ。
あの状況だったらオレたちが一番うるさかったと思うのだが…………。
彼女は自分の前髪を右手人差し指の側面で撫で、そのまま指を立てて彼女の正面を指差した。
「お前」
「…………俺? なんで? てか俺だけ??」
指の先にいたのは、ジト目で一ノ瀬さんへの呆れの表情を見せていたラクだ。
そんな彼は当然困惑。自身を指差して「えっえっ」と細かく息を吐きながら目を見開いて顔を震わせる。
なにせ、うるさかったのは三人ではないという前置きがあったのにも関わらず指されたのだ。それも一人だけ。
一ノ瀬さんはラクを嘲弄するように顎を上げる。
「そうだ。三人には言っていない。つまるところ、お前にしか言ってないんだよ」
「三人で話してたのに、なーんで俺だけなんだよ! そんなに俺のこと嫌いか?」
「ああ、嫌いだ。まだ出会って一時間も経っていないが一挙手一投足、そのすべてが鼻につく。―――しかしまあ、お前に怒鳴ったのに関して、好き嫌いは全く関係ない」
「嫌いなんかい。まあわかってたけど…………それが関係ないならじゃあなんで…………」
「アタシは別に同じ空間で会話してもらっても構わなかったんだ。それを理解していたうえで寝ていたからな。けど、思いやりの欠片もなしに叫んでいたアホがいたんだよ」
「他人が寝ている場所で叫ぶアホなんて…………あっ」
肩をすくめて首を左右に振るラクは、何かを思い出したのか口を半開きにして右斜め上を見る。
三回轟いた怒声のうち、最初の二回は確か…………
一回目は、作戦会議でラクが「わからん!!!!」と言った後で、二回目は、伊波さんの冗談にラクが思わず「えーーーーー!?」と絶叫した後だった。
三回目は、事前の二回を踏まえた『うるさい』だったので考慮しないとすると、これら全部に共通していえることは、どれもラクがトリガーになっているということ。
改めて考えたら、悪いのは明らかにラクじゃん。
伊波さんとオレは普通の声で会話していたから、一ノ瀬さんの逆鱗に触れない範疇だった、と。
これまた納得のいく結論。それでやけにラクへの当たりが強いのか…………いや、そんなこと関係なく二人はそりが合わなさそうだな。
オレはスッキリと安心によって胸をなでおろす。
一方でラクは静かに椅子の上で背筋を伸ばす。
「すみませんでした!」
椅子に座っているが、腰から曲げるキレイなお辞儀をするラク。
一ノ瀬さんは、顎を引いて鼻を鳴らした。今度は、ちょっとの笑みと一緒に。




