第二十八話 資格を持つ者
一ノ瀬さんの見事なキックに伊波さんとオレは思わず、目を見開く。
攻撃後のユーモアあふれる意趣返しまで、一連の流れは完璧と言っていい。
ひっくり返ったラクを一瞥して、一ノ瀬さんは余裕そうに鼻を鳴らす。
「お、お前……やっぱり昔、やんちゃしてただろ……」
一ノ瀬さんがわざと蹴り上げたことに気づいたのか、ラクは逆さまになりながら声を籠らせて聞く。
彼女はわざとらしく高い声をつくって、
「えー! アタシわかんなーい。そんなこと、純情な乙女に聞いちゃ、めっ! なんだぞ?」
長い髪の毛を指でくるくるしながら上目遣い。
その声音に反応して、ラクは「いってーな」とぼやきながら再び椅子に座りなおす。
「一ノ瀬とかいったっけ? お前なー、あれだけの顔面シュートを決めておきながら、今さら乙女とか無理があるだろ」
「あ“あ”ぁ“?」
「この度は誠に申し訳ございませんでした」
ラクは至極真っ当なツッコミを入れるが、相手が悪いようで、それはたった一度の一瞥で即謝罪へと変換させられる。
それにしても一ノ瀬さんの高音から低音へのスイッチも見事なものだ。
声関係とか、演技関係とかに造詣があってもおかしくない。オレみたいな素人目にもわかる。こんな演技幅を持つ人が暴れまわっていた過去があるとは到底考えられない。
オレは彼女への興味に駆られるまま、
「一ノ瀬さんって、実際、中学生まではどんなことをしてた?」
気づけば口が勝手に開いていた。
頭の中を駆け巡るのは、彼女が辿ってきたであろう道程の妄想。
暴走族、声優、俳優、配信者、舞台関係者、歌手…………。
オレみたいな常人とは程遠い人生。実態を掴めないほど多くの可能性に満ちた過去。
この予想の難しさがオレの行動の原動力となり、断りなしに喉を震わせる。
―――――決して他人に興味があるわけではない。そう、勝手に。
「それ、私も知りたい!」
オレの問いに伊波さんも乗っかった。
彼女は打算の欠片もない様子で、純粋な双眸で一ノ瀬さんを見つめる。
そしてラクも一ノ瀬さんを見やり、三人の圧を感じながらも、彼女は依然として威容のある華やかさを演出して、
「そこまで知りたいのか。隠すようなことではないから、まあいい」
一ノ瀬さんは話すことを決心した。
これからどんなことが語られるのか、緊張でオレは喉を鳴らす。
彼女は過去を思い出すように目を瞑る。
「ひとことで表すなら、家出少女として過ごしてたってところかもな」
「家出少女…………もしかして聞いちゃいけないことだったか?」
「いーやー全然。ちょっと反抗期ってだけのことだ。親から離れたいがために、アタシはこの学校に来たんだよ」
詳細なことは語られなかったが、一ノ瀬さんは楽観的に告白する。
話し方とは裏腹に、想像よりも重そうな理由だ。もっと深掘りしていいものか、逡巡してしまう。
何が原因で親に反抗することを決めたのかはわからない。ネグレクトか、過保護によるものか。もしかしたら、ただ本当に他人よりも強烈な反抗期がきただけなのかもしれない。
どの理由を持っていたとしても、ひとつ言えることがある。
―――――彼女はオレとは違うんだな。
一ノ瀬さんはオレとは違う。
オレは家を出る勇気もなく、自らの意志でこの学校を選ぶようなこともなかった。
でも、彼女は自分の足で歩こうとしている。現状に不満があればそれを自らで克服する気概を持っている。
彼女はきっと英雄になる資格を持っている生徒だ。
「―――んま、それで性格がねじれまくったわけだけど」
「それで一ノ瀬はあんなにこえー顔面と、口調になったんだな。さっきの『うるせー』ってのがその片鱗ってことかよ。もう少し口調なおした方がいいぜー? ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ミドリムシくらいだけしかビビってねーけど…………」
なおも強気に一ノ瀬さんと会話するラク。
そこに伊波さんとオレが入るすきはなく、彼の暴走がいつか止んでほしいと願うばかりだ。
そんな暴走列車から一ノ瀬さんへの口調の指摘。
最初は強気だった指摘が、尾ひれにオプションが追加されていくことにより、覇気を失っていく。
「なに言ってっかわっかんねーよ、ラク。ちなみにこの顔は生まれつきだ。それに口調なんざ、どうせ人と話さないなら、なおす必要もないだろ。…………そんなに口調ヤバいか?」
一ノ瀬さんもさすがに気になったのか、余裕そうな態度から一転、彼の指摘に当惑の面差しを見せる。
彼女の憂い顔に、ラクはニヤリと笑って、
「そりゃもうな。さっきだって、なかなか威圧感のある『うるせー』が俺ら三人に飛んできてたぞ。あんだけ話し声が気に障るんなら、最初から人が集まるような教室で寝ないでほしいものだ。全くもう…………」
「は?」
肩をすくめながら先ほどの突発的怒号に吐息多めで苦情をいれるラク。
虚を突くように強気に出たはいいものの、一ノ瀬さんには全く効いていないようで、憂い顔から一瞬で眉間に皺が寄っていた。
「ふぇ?」
逆に虚を突かれたラクの口からは声と息の混合物が漏れ出してしまう。
一ノ瀬さんはご立腹なようで、『なに言ってんだよこいつ』的なことを言いたげに、わざとらしく大きく息を吐いて、
「…………アタシがいつ三人に言った?」




