第二十五話 バケモノの声
伊波さんの後ろに聳え立つ、鋭い目を携える女子に伊波さんとオレはおざなりな対応をしないよう心掛けていた。
しかし、椅子からもんどりうったラクはおそらくまだ険悪な目つきの女子を視界に入れていない。
一方で、三度目の「うっせー!!」を炸裂させた女子は、オレたちに順番に目を配る。
まずは、すでに目を合わせたであろう伊波さんの頭頂部をガン見。伊波さんはその女子の圧を、目を合わせるという最悪な形で実現していたためか、彼女は全力でオレの顔を見て、女子からの刺すような視線を和らげようとしていた。
―――――そんな目を向けられてもオレにはどうしようもできない。すまん。
助けを求めるような目を向けられても、体ごと逸らすという暴挙で対応。
伊波さんはそんなオレを見て、背後の女子にバレない程度に、オレに小さく指を差し、その眉尻を下げる。
そんなオレの挙動を縛り付けるように、女子の視線が即座にオレに移り変わる。
こんな美人さんが黙って睨みつける姿は、二次元であれば羨ましいなと思うところではあるが、残念ながらそんなことを考える余裕はなく、ただ『早くこの場から去りたい』という欲望だけがオレの心を埋め尽くす。
しかし、そんな夢が叶うわけもなく、オレは逸らした体を再び伊波さんとその女子がいる方向に向ける。そうしたからといって、オレがコミュニケーションを取れるというわけでなく、黙って時が過ぎるのを待つだけ。
まさに、ヘビに睨まれた蛙、というわけだ。ちなみにオレはカエルじゃなくてカエデというべきか。
何かを考えていないと、つい不興を買うような戯事を言ってしまいそうだ。
背筋を伸ばし、手は膝に。暴れる足は抑えつけ。気持ち程度の愛想笑いでやり過ごす。
数秒のにらめっこの後、オレの横からガサガサと音が聞こえてきた。
「急になんだよ、もう。うるさいっていう方がうるさいんだよ。叫びやがって、伊波さんよー」
ひっくり返った体を捻りながら起こして、総身を支えるように椅子に手を置いて愚痴をこぼしたのはラクだ。
他の三人で存在感を復活させたラクを見るが、当の本人はまだ現状を理解していないようで、その顔に映るのは不機嫌さを示す眉間の皺だった。
命知らずなラクは続けて、
「あー? っておーい! なんでそんなしけた顔してやがるんだよ、ダーッハッハッハッハ!」
伊波さんを指差しながらまだ地面に膝をつけているラクは豪勢に笑って言う。が、いつもなら軽快な返しを見せる伊波さんも、今回ばかりは何も話せないようだ。
その理由については、すぐにラクも気づいたようで、
「おーい、なんか話してくれよー! あんなバケモノみたいな声で言われると、さすがの俺もちびっちま…………」
「…………」
「あっ」
ラクの表情を見ると先ほどまで逆さまになっていた影響か、まだ顔には赤みが残っていたが、あの声を『バケモノみたいな声』と表現したあたりから、血の気が急激に引いていったようで、唇は紫色になっていた。
ラクの言葉は最後まで紡がれることはなく、後に残ったのは、何かを察したような半開きの口だけで、伊波さんに向けていた視線も、その少しばかり上の方をみていた。
その視線の先には何があるのか辿っていくと、そこには先の二人よりも、とてつもない黒色の覇気を纏った女子の姿があった。
―――――これは明らかにキレている。
グッバイ、ラク。短かったけど(二日)楽しかったよ。来世で会えたら、そのときはまた話そうな!
オレは黙ってラクに両手の平を合わせ、瞑目して小さく礼をする。
そんなラクがどんな反応をしているのか気になり、薄目を開けると、彼はオレに反応する余裕もなく、切るような目をしている女子に諦め交じりの満面の笑みを見せていた。
死を悟った彼の最期は末代まで語り継いでいこうと、胸の中で誓った。
ラクにヘイトが向いたことで多少なりとも解放されたオレのおふざけを気にする様子もなく、女子は吐息交じりに、
「おい……誰が『バケモノの声』だってー? あ“あ”ぁ??」
「本当に申し訳ございませんでした!!」
伊波さんの言ったとおり、彼女の迫力は元暴走族の女総長だと言われても遜色ないと思えるレベルだ。
顔色最悪のラクは、その女子のがなりに即座の謝罪。それも土下座で。
日本における最強の謝罪として語り継がれる、あの『土下座』を、彼は先ほどまで腰掛けていた椅子の上で披露した。
場所自体はかなり狭いが、その分、彼の縮こまり度合いがスゴイ。ダンゴムシみたいに丸まって、正方形の腰掛けゾーンにキレイに収まっている。
通常とは異なる、額を空中に浮かす形で最高の謝罪をしたラクがその頭を下げたまま、
「あなた様が暴走族の総長だと知らずにナメた口利いて、ほんっとうに申し訳ございませんでしたー!!!」
「…………は?」
ラクは続けて全力の謝罪と、その女子をソッチ系の人だと形容。
オレも今までの彼女を見ていると、それも真実なのではないかと思い始めてきた。
が、それを言われた女子はそれまでの険しい表情から一変、両眉を上げて、本気の困惑を見せてきた。




