第二十一話 ぺしゃんこのクリームパン
「廊下で面白そうな話が聞こえてきちまってよー」
そいつは腰に左手を据え、もう片方で後頭部を上下に撫でてはにかむ。
今のこのクラスメイトにはできない楽観的な仕草で隣に立ったのは、
「それで気になったんなら、もっと普通に入ってこいよ。ラク」
教室を見ていた『変なやつ』の正体は隣のクラスのラクだった。
こいつならどんなことをしてても納得ではあるけど、興味本位だけでクラスの問題に首を突っ込むとはなかなか度胸があるな。この場にいるのは一応クラスのツートップだ。ピリつき具合と人によってはブチ切れられていてもおかしくないぞ、ラクよ。そこらへんもう少し、警戒心とか思いやりというやつをだな…………
「ごめんってー! 謝罪の気持ちとして、これやるからさ」
ラクはそう言うと、ポケットから、ぺしゃんこに潰された、まだ袋から開けていない中身の溢れ出しているクリームパンを取り出した。
その袋の内側にべっとりと付着したクリームを見ると、彼の性格が強烈に反映されているように感じる。
オレは、彼の取り出した白に包まれた食料の入った袋の存在を横目で確認し、何も言わずに奪い取るように光速で掴み取る。放課後、疲労している脳が甘いものを欲しているせいで手が勝手に動いてしまっただけだ。
気づいたときには、自分の右手には先ほどまで彼が持っていたはずの袋があった。
「あ、あのー、こっそり見てたのは謝るからさ……黙って取り上げるのは…………」
手元に、袋に入った糖分の塊があるということは、次に自分が行わなければならないことは、その袋を開けること。これは決して自分の意思ではなく、生物的本能にプログラムされていることだから、オレは悪くない。
彼が両手の平を合わせて懇願するようなポーズを取って、何かを話しているが、実際に何を伝えようとしているのかは右の耳から左の耳へ驚くほどスムーズに流れていったため、よくわからない。
「…………」
袋を開けたら、次にやることは決まっている。それは中に入っている糖分を己の体内に入れること。オレは無意識に、開けた袋から半分ほど飛び出た食料を口元へ近づける。
口の前まで食べられる物体が近づいているということは、オレは自分の口を開けなければならない。というわけで、口の中にそれを勢いよく突っ込んだ。
まず柔らかみの薄い触感の生地が口の中に触れ、その後、ふんわりとしたクリームの甘みが舌を包み込む。よく噛んで、喉が甘みの団塊を受け入れる準備を整える。十分に口内で味を堪能したらゆっくりと飲み込んで糖分を体内に巡らせる。
―――――なんという至福のひととき。
体内に勝手に入ってきたクリームパンを堪能していると、ラクが肩を落としながら、
「別にいいんだけどさ…………やっぱり俺の扱い雑じゃない??」
「気のせいだろ」
「気のせいだよ!!」
「そうなのかなー…………」
伊波さんとオレでラクの勘違いを訂正しつつ、立っているラクに向かって、椅子に座れと催促をする。
彼は申し訳なさそうな素振りを見せるも、体は抵抗なく動き、近くにあった椅子を移動させ、伊波さんとオレの横に座った。
その間にもどうやらオレはパンを食べ続けていたようで、気づいたときには包装以外なくなってしまっていた。辛いことは長く感じるのに、楽しみというものは一瞬にしか感じないのは理不尽だ。と、しみじみ感じていると、ラクが「まあいいや」と言い、両足を伸ばして話を始める。
「二人は例の件で居残りって感じか?」
「そう、ちなみにラクはどんなことを聞いてる?」
まずラクがどのくらい知っているかの現状把握。そうすると話を進めやすいだろう。
ラクは顎の下に手を当てて唸り声とともに考えて、
「俺は直接聞いたってわけじゃないから、詳しいこたわかんねぇ。断片的にはなるけど、とりあえず、昨日話したとおり、一年四組には『イジメ』があるってことを示唆するメールが届いて、その詳細を探り始めたってのは聞いてて理解した」
「結構知ってるんだな」
「まあな。さっき廊下で話し声が聞こえてきたっつったけど、バカでかい声で話す女子がいたからそれで知ったんよな。確か名前は…………」
「小芽生さん?」
「そうそう! 小芽生ってやつの声がめっちゃ通るから他のクラスに全部筒抜けなんよな。だから多分、今頃は全クラスにこの問題が知れ渡ってると思うぞ」
「マジかよ」
ノリノリで聞き込み調査をしようとする気概を感じてはいたが、彼女の元気さからくる声の大きさのせいで、この件が学年全体に見事に伝播してしまったのは、上り坂と下り坂の存在を信じざるを得ない。
ラクは、オレたちがクラス単位でイジメ問題に対処しようと、奔走を始めたという情報を新たに仕入れたらしい。行動を起こしているのが小芽生さんだということも。
オレは伊波さんとアイコンタクトを取り、面白そうなのでどうせならこいつも巻き込んでやろうという合図をする。伊波さんは嗜虐的な笑みを浮かべ、クスクスと笑う。それはオレのアイコンタクトへの同意を意味していた。
ラクは他人事だと言わんばかりの呑気さを示す欠伸を見せつけ、
「ほれにしてもー、大変ほうだなー……おまへら……―――俺が昼食おうと思ってたクリームパンを掃除機みたいに爆速で吸い込むし、疲れてるんだなー」
「―――ラク」
「な、なんだよ伊波、そんな険しい顔して」
ラクは顔をしかめて伊波さんの顔を見る。
伊波さんは自分の右頬を右手で撫でながら蠱惑的に、
「あなたは知りすぎてしまったようですね」
「ふぁ?」




